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松本城、上高地、大正池、大正池ホテル、上高地帝国ホテル、岳沢湿原、焼岳、明神池、田代池・田代湿原、穂高橋・田代橋、涸沢、野麦峠、乗鞍高原、三本滝、善五郎の滝、番所大滝、美ヶ原高原、美鈴湖、旧開智学校、あがたの森文化会館(旧制松本高等学校)、松本市旧司祭館、中町蔵の会館(中町・蔵シック館)、松本市美術館、松本市立博物館、松本市時計博物館、松本市はかり資料館、松本市歴史の里、日本浮世絵博物館、アルプス公園、城山公園、馬場家住宅、旧山辺学校、弘法山古墳、牛つなぎ石、源智の井戸、縄手通り、中町通り、針塚古墳、井川館、林城、山家城..
こちらでは長野県松本市の観光名所、おすすめスポット、人気の観光地、美しい自然景観、絶景、神社仏閣などのパワースポット、日本遺産、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。
長野県松本市の観光名所、おすすめスポット

松本市ってどんなところなの?人気の観光名所やおすすめスポットを教えてよ!

松本といえば松本城が有名だね。江戸時代には、松本藩の城下町として栄えた松本市のシンボルである松本城は国宝にも指定されているよ。そんな松本市には素敵なところがたくさんあるんだよ! 松本城、上高地、大正池、明神池、田代池、涸沢、野麦峠、乗鞍高原、三本滝、善五郎の滝、番所大滝、美ヶ原高原、美鈴湖、旧開智学校、あがたの森文化会館(旧制松本高等学校)、松本市旧司祭館、中町蔵の会館(中町・蔵シック館)、松本市美術館、松本市立博物館、松本市時計博物館、松本市はかり資料館、松本市歴史の里、日本浮世絵博物館、アルプス公園、城山公園、馬場家住宅、旧山辺学校、弘法山古墳、牛つなぎ石、源智の井戸、縄手通り、中町通り、針塚古墳、井川館、林城、山家城なんかがおすすめだよ。それじゃあ一緒に松本市のこと、詳しく調べてみようね!
松本城

松本城
松本城の特徴
姫路城、彦根城、犬山城、松江城とともに国宝に指定されている松本城は、天守の築造年代は文禄2~3(1593~4)年と考えられ、現存する五重六階の天守としては日本最古の城です。 松本城は、戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりです。世が戦乱に向かうと、信濃の守護・小笠原氏は信濃府中と言われた井川にあった館を東山麓の林(今の里山辺)に移します。その家臣らは林城を囲むように支城を構え、守りを固めました。深志城も林城の前面を守るために造られたのです。その後、甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、松本平を治める拠点として深志城を選んで信濃支配を目指しますが、天正10(1582)年に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めました。 天正18(1590)年、豊臣秀吉が天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。このとき松本城主・小笠原秀政が家康に従い下総へ移ると、石川数正・康長父子が代わって入城し、城と城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。 松本城は、松本の街のシンボルであり、市民の心の拠りどころでもあります。それは、その後のいくたびかの存続の危機を市民の情熱によって乗り越えてきた歴史があるからでもあります。
所在地:長野県松本市丸の内4−1
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上高地

上高地
上高地の特徴
上高地を世界に称賛した登山の先蹤者たち。
上高地の歴史を振り返ると、ウォルター・ウェストンと上條嘉門次の2人の名前がよく出てきます。英国人宣教師であるウェストンは、1896年(明治29)に著書『日本アルプス登山と探検』を出版し、自らが登った上高地や穂高連峰、槍ヶ岳を世界に紹介し絶賛しました。これによって、それまで信仰や修行、または生活のための山行きであった日本の登山が、広くレジャーとして知られるようになり、上高地も有名になりました。この功績から、ウェストンは今日でも「日本近代登山の父」として讃えられています。ウェストンの山行きを案内したのは、地元安曇村出身の猟師、上條嘉門次であり、彼の名前はウェストンの著書でも「ミスター・カモンジ」として記されています。
2人の歴史からさかのぼること60余年前、上高地周辺の山に初めて登ったのは、槍ヶ岳に登った富山の僧侶・播隆上人でした。当時は山岳信仰の登山であり、近代登山とは性格が異なりました。播隆は信者を連れて何度も槍ヶ岳に登りました。明治政府が近代化を進めるために外国人技師を多数雇ったとき、英国の冶金技師ウィリアム・ガウランドが1877年(明治10)7月に槍ヶ岳に登り、その記録を雑誌で紹介し、「Japan alps」という表現を使ったことが、今日の「日本アルプス」の語源になりました。日本人登山家の鵜殿正雄が嘉門次と一緒に初めて前穂高岳に登ったのが始まりでした。1916年(大正5)、後の首相である東久邇宮殿下が槍ヶ岳に登るために、島々から徳本峠、明神までの登山道が整備されました。このころから徐々に、大衆登山へと山は開かれ、上高地は観光地として知られるようになりました。
山岳リゾートとしての上高地発展の軌跡
上高地は現在、年間120万人もの観光客が訪れる山岳景勝地です。
その由縁は、手つかずの自然が多く残り、大自然の宝庫と呼ばれることにあります。しかしながら、リゾート観光地としての歴史が浅く、一般的な観光客が多く訪れるようになったのは昭和年代に入ってからです。明治以前、上高地には主に木こりが出入りしており、樹木を伐採していた。明治に入り、地元の島々の上條百次良は許可を得て、夏の間だけ松本周辺で集めた牛や馬を徳本峠を超えて上高地で放牧を始めました。これが上高地牧場の始まりです。牧場は小梨平、明神、徳沢の3箇所に位置しており、特に徳沢は徳沢牧場としても知られています。山々の残雪を背景に、牛や馬が放牧される光景は、古きよき時代の牧歌的な景色として、訪れる登山者に愛されました。
大正4年6月には焼岳が大爆発を起こし、流れ出た土石流が梓川をせき止め、そこにできた池は大正池と命名されました。その後、1927年には上高地が文豪芥川龍之介の小説『河童』の舞台となり、東京と大阪の新聞社が主催した「日本八景」の渓谷の部において、上高地が第一に推されました。また、同年には昭和天皇の実弟秩父宮殿下が上高地から奥穂高岳に登ったことや、国立公園選定の準備調査の中で、上高地の河原で日本で初めてケショウヤナギを発見したことが話題となりました。
その後、国の名勝および天然記念物に指定され、初の山岳リゾートホテルである上高地帝国ホテルが開業しました。建設にあたっては、釜トンネルを通り大正池まで資材を運び、そこから小船で大正池を運んでホテルを建設したとされています。これらの出来事により、上高地は山岳リゾート地として発展していきました。上高地の歴史は、自然と人間の共存・調和を求めてきた歴史でもあります。観光ブームが訪れた時期には、その影響によって自然環境が損なわれることが懸念され、それに対する取り組みが行われました。
県道上高地公園線のマイカー規制は、その代表的な取り組みの一つです。自動車による排気ガスの影響を最小限にとどめることで、自然環境を保全し、今後も多くの人々に愛される場所として残すことができました。
また、上高地を管理する国立公園は、自然保護や地域振興を目的に設置されたものであり、その取り組みが継続されています。例えば、登山ルートの整備や山小屋の運営、トイレの整備などが行われ、上高地を訪れる人々が快適に過ごせる環境が整備されています。
上高地は、自然と人間の共存・調和を実現するための様々な取り組みが行われ、今日も多くの人々に愛される場所として存在しています。
所在地:長野県松本市安曇上高地
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大正池

大正池
大正池の特徴
山々を映し出す穏やかな水鏡
釜トンネルを抜け、生い茂る緑の中を潜り抜けると木々の合間から穂高連峰の一角が顔を覗かせます。雄々しくそびえ立つその岩肌は、春先から初夏にかけては残雪、晩秋には新雪の衣裳を身に纏い、見る者を圧倒します。ほどなくすると悠然と横たわる穂高連峰の全景が目の前に姿を現します。手前には、静寂のなかに穏やかな表情で山々を映し出す水鏡。大きく手を広げ、訪れるすべての人々を迎え入れてくれるような壮大なパノラマビューです。
左手に見える焼岳は大正4年(1915)に噴火。噴出した熔岩や泥流によって梓川が堰き止められて出現したのが大正池です。当時は広大な面積だったことから「梓湖」と言われていたようですが、いつしか「大正池」と呼ばれるようになりました。大正池の朝と夜、静寂に浸るひととき
大正池といえば、晴れた日の穂高連峰を映し出した風景が印象的ですが、早朝の景色も必見です。特に雨上がりの朝などは靄(もや)が立ちのぼり、水面に浮き上がる立ち枯れの木々と相まって、白くかすんだ青の世界が何とも幻想的です。穏やかで風のない朝、刻々と変化していく自然の造形美。その様はいつまで見ていても飽きません。夜の大正池、まさに静寂の時が訪れます。辺りは一面漆黒の闇、周りに光はありませんが、不思議と穂高のシルエットが見えています。夜空に浮かぶ天の川、一瞬現れては消える流れ星、散りばめられた無数の小さな光。大正池エリアは星空観察に恰好のスポットでもあります。時おり夜行性動物の気配も感じながら…きっと特別な体験ができることでしょう。
100余年の時を刻んで…
焼岳の噴火により一夜にして姿を現した大正池。原生林は水没し、当初は田代橋のあたりまで湖になっていたともいわれています。100年以上経った現在では面積も半分以下にまで小さくなり、立ち枯れの木々もだいぶ減っています。景観が少しずつ変化していくのも時の流れで仕方ないことですが、その時代その時代の風景を楽しむことができます。
一方で、梓川の上流から流れ来る砂礫や、雨が降るたび焼岳の沢から流れ込む土砂が毎年大量に堆積しています。自然のままにしておけば、いずれ大正池は埋まってしまうことが懸念されています。
この素晴らしい景観を守り次世代に継承していくため、シーズンも終わりに近づいた11月、大正池に流れ込む土砂を取り除く浚渫(しゅんせつ)作業が行われています。
所在地:長野県松本市安曇上高地
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大正池ホテル
大正池ホテルの特徴
釜トンネルを抜け、生い茂った木立の中をくぐり抜けると程なく視界が開け、穂高連峰全景が姿を現します。そして左手には焼岳が見えます。焼岳は大正4年(1915)に噴火。噴出した熔岩や泥流によって梓川が堰き止められてできたのが大正池です。 当時は広大な面積だったことから、「梓湖」と言われていたようです。
池のほとりに位置する大正池ホテルは昭和28年(1953)に創業、約70年にわたり大正池と穂高連峰、そして焼岳を見守り続けています。 沢渡からのシャトルバスや観光バスで訪れる人々の多くは大正池ホテル前で下車。ここから河童橋を目指し遊歩道を歩いていきます。かつては島々谷から徳本峠を経て明神につながるルートが上高地への道筋でしたが、バス路線が開通して以降、ここが言わば上高地の玄関であり、上高地散策の出発点のひとつにもなっています。
所在地:長野県松本市安曇4468
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上高地帝国ホテル
上高地帝国ホテルの特徴
帝国ホテル前のバス停で降り、緩やかなスロープを下ると、ひっそりとした木立の中に佇む赤い三角屋根が見えてきます。屋根越しには雄大な穂高連峰の姿が。春先は、残雪を背景にした新緑の中の赤色がひときわ鮮やかです。上高地帝国ホテルは、日本初の本格的山岳リゾートホテルとして昭和8(1933)年開業。現在の建物は、昭和52(1977)年に建て替えられたものですが、スイス・アルプスの山小屋を思わせる赤い三角屋根と、丸太小屋風の外観は創業当時の趣そのままに、今なお変わらないおもてなしの心でお客様をお迎えしています。
出典 上高地観光旅館組合公式サイト 上高地帝国ホテル公式サイト
所在地:長野県松本市安曇上高地
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岳沢湿原

岳沢湿原
岳沢湿原の特徴
上高地バスターミナルから河童橋を渡り、木道が続く梓川右岸遊歩道を明神方面に15分ほど歩いていくと、岳沢湿原があります。岳沢より流れ来る筋と善六沢が合流するあたりに広がる小さな湿原です。サワラやチョウセンゴヨウなどの原生林に囲まれた どこまでも透き通った清らかな水。日が射すと水面がキラキラと輝き、空の青さが溶け込んでとてもきれいです。湿原の上には展望ウッドデッキが設置されています。ここは絶好の撮影ポイント。正面に見える六百山(標高2,450m)と立ち枯れの木、澄んだ湧水が何とも趣のある風景を創り出しています。光が射し込む朝方は、特におすすめ。静寂の中に柔らかな光が織りなす景色は幻想的です。 岳沢湿原を過ぎれば明神池まで約2.5km。木道の先には奥穂高岳が見え隠れします。原生林の中に続く木道をゆっくりと歩き、変化に富んだ四季折々の景色を楽しみましょう。
田代湿原よりはかなり狭い岳沢湿原ですが、ここは上高地の魅力がギュッと詰まっていて心落ち着くスポットです。木漏れ日の中どこからか聞こえてくる小鳥のさえずり、苔むした名もなき沢のせせらぎの音、マガモやイワナも優雅に泳いでいます。木道脇にはヤマドリゼンマイが密生し、初夏にはレンゲツツジやニッコウキスゲ、夏の盛りにヨツバヒヨドリ・ノアザミ・ミゾソバなど季節の花々が咲き誇ります。 穂高連峰を望む大正池や河童橋は上高地を代表するスポットで当然人気なのですが、ここ岳沢湿原のファンも実は意外に多いようです。
所在地:長野県松本市安曇上高地
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焼岳

焼岳
焼岳の特徴
長野県と岐阜県の県境にある焼岳(標高2,455m)は、今も噴煙をたなびかせる活火山で、岐阜県側では硫黄岳とも呼ばれていました。上高地から日帰りで登れる山として、多くの登山者に親しまれています。南峰(2,455m)は登山禁止になっていて、登れるのは北峰(2,444m)のみですが、山頂からは、蛇行する梓川の様子や雄大な槍ヶ岳・穂高連峰、笠ヶ岳や乗鞍岳も一望でき、目の前に広がる360度絶景のパノラマビューを満喫できます。南峰と北峰の間には、エメラルドグリーンの火口湖・正賀湖があります。
およそ3万年前から始まったといわれる火山活動は、現在沈静化していて噴火警戒レベルも最小の1に設定されています。安全に登山を楽しむため、事前に必ず気象庁の火山情報を確認し、噴気孔近くには近寄らないようにしましょう。
溶岩ドームを形成する鐘状火山(トロイデ)焼岳は、大正4年(1915)の噴火によって梓川を堰き止め「大正池」を生み出しました。朝もやの幻想的な風景、穂高連峰や焼岳を映す水鏡は、上高地を代表する観光スポットとなっています。また、焼岳の火山活動は周辺に豊富な温泉をもたらしています。上高地温泉、中の湯温泉、坂巻温泉、そして岐阜県側の平湯温泉をはじめとした奥飛騨の温泉群。焼岳登山や上高地散策のあとは、焼岳の恩恵「天然温泉」で疲れを癒してみてはいかがでしょうか。
所在地:長野県松本市安曇
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明神池

明神池
明神池の特徴
穂髙神社奥宮の境内にある明神池は、一之池と二之池の大小2つからなる池で、遊歩道脇には三之池もあります。梓川の古い流路の低地に明神岳からの湧水がたまってできた池で、常に伏流水が湧き出ているため、冬でも全面凍結しません。透明感あふれる水面には澄み渡った空が映り、静寂が広がります。カラマツの森に囲まれた池の頭上にそびえる明神岳最南峰、イチョウバイカモの水中を優雅に泳ぐイワナやマガモ、二之池に配された岩石群は自然による造形美そのものです。
所在地:長野県松本市安曇
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田代池・田代湿原

田代池
田代池・田代湿原の特徴
原生林のなかに、ぽっかりあいた湿原に広がる田代池。八右衛門沢などからの土砂によって流れがせき止められてできた浅い池です。池のなかには幾つかの島があり、まるで水田地帯のように穏やかな風景となっています。田代池の四季は美しく、夏はイチョウバイカモや周辺のニッコウキスゲ、コケモモが箱庭のような美しい景観を見せてくれます。5月の新緑や10月の黄葉、晩秋の霧氷もおすすめの光景です。
サギスゲに覆われた田代湿原では、透明度の高い水面に穂高連峰が映り込んで、新緑の頃咲くレンゲツツジのオレンジが絶妙なアクセントになっています。日本アルプス・上高地を世界に称賛し、楽しみとしての登山を広めた日本近代登山の父、W.ウェストン。日本に3度来訪したウェストンは、大正3年(1914)上高地を離れる日の最後に田代池を訪れています。著書にはこんな言葉が記されています。「早朝、すがすがしく澄み切ったなかを、私たちはしょんぼりと梓川谷をくだっていき、人影のない田代の池を通りすぎた。鏡のような沼面は穂高の灰色の断崖と輝く雪を静かに映していた」。穂高の山並みを眺めるには、田代池あたりがもっとも適した場所であると言う人もいるほど。ウェストンもそう感じていたのでしょうか…。大雨による土砂の流入・堆積の影響で徐々に小さくなった田代池は、自然界の大きな定めの中で今も、青く澄んだ水面を輝かせています。
所在地:長野県松本市安曇
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穂高橋・田代橋
穂高橋・田代橋の特徴
大正池から田代湿原・田代池を経由し、梓川沿いの遊歩道あるいは樹林帯の中の遊歩道をゆっくり歩くこと小一時間。田代橋・穂高橋にたどり着きます。
瀬音が心地よい梓川の清流に架かる橋の上からは、上流に穂高連峰、下流に焼岳が望めます。ここで記念撮影しながら、ひと休み。橋を渡らず梓川沿いを行けば、生い茂る緑越しに見える穂高の遠景が素晴らしい中ノ瀬園地。その先を大きく右に曲がりながら進むと、上高地バスターミナル・河童橋方面に抜けられます。霞沢岳と六百山
田代橋・穂高橋を渡ってすぐ右の小道を進んでいくと、一気に視界が開けます。ここからは霞沢岳と六百山の連なりを最も近くで眺めることができます。川沿いのベンチに腰掛け、ゆっくりとした時間の流れの中に身を置いてみましょう。10月中旬ともなれば、梓川脇を彩るカラマツの黄葉や山頂の雪化粧のコントラストが鮮やかです。上高地といえば、まず河童橋や穂高連峰、大正池や明神池などの代表的な景観を思い浮かべることでしょう。でもここまで足を延ばせば、それらに匹敵する風景に出会えます。すぐ近くにはウェストン碑、ウェストン広場からの眺めも素晴らしいものがあります。このあたりには日帰り入浴ができる温泉施設もあるので、上高地のひとときを思う存分満喫してみてはいかがでしょうか。
所在地:長野県松本市安曇
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涸沢
涸沢の特徴
涸沢は2万年前に氷河が山を削った、日本有数のカール地帯。その幅は2kmに及び、明るく広大な、スプーンでえぐられたような地形を呈しています。標高2,300mほどのカールの底部から周囲を囲む3,000m級の山々との標高差は900mほど。切り立った岩壁が迫りくるような迫力と紅葉のコントラストは圧巻。ここまで登った人にしか見ることができない、一大パノラマを堪能できます。
所在地:長野県松本市安曇上高地
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野麦峠
野麦峠の特徴
野麦街道(かつては飛騨道・善光寺道とも呼ばれていた)は古来より、東日本と西日本を結ぶ重要な道路として、また飛騨国と信濃国を結ぶ主要路であり、この街道から多くの歴史文化が生まれました。
中世には北陸と信州を結ぶ交易路として、能登で取れたブリ(鰤)を飛騨を経由して信州へと運ぶ道筋でもありました。信州では飛騨ブリとして珍重され、能登では1尾=米1斗の値段が、峠を越えると米1俵になると言われるほど貴重であり、野麦峠の麓ある奈川は運搬を担う人と牛の中継地として重要な場所となりました。野麦街道はブリ街道とも呼ばれ、江戸時代、尾張藩の庇護のもと発達した尾州岡船と呼ばれる牛による運送は、貴重な産業として奈川の地域を支えていました。
野麦街道のブリの輸送は、明治35年(1902年)に国鉄篠ノ井線が開通し、松本地方が鉄道で結ばれるまで続きました。明治の初めから大正・昭和初期にかけて殖産興業の国策のもとで、当時の主力輸出産業であった生糸工業で大きく発展していた諏訪地方・岡谷へ、現金収入の乏しい飛騨の村々から大勢の女性たち(多くは13歳くらいの10代の少女)が、工女として出稼ぎのために野麦峠を越えることになりました。
この史実は、昭和43年(1968年)に発表された山本茂実(やまもと・しげみ)のノンフィクション『あゝ野麦峠』によって著述され、昭和54年(1979年)には映画化もされて全国的に有名になりました。
所在地:長野県松本市奈川
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乗鞍高原
乗鞍高原の特徴
のりくら高原は、”岳都松本”の西端に位置する雄大な乗鞍岳の麓 標高1500mにある山岳観光地です。春は眩しいほどの新緑と高山植物が溢れ、美味しい山菜、10m程の高さの雪の回廊が見られ、山スキーも楽しめます。夏はもちろん夏山登山!そして猛暑の街では考えれないような涼しい高原で、滝巡りやサイクリングなどが楽しめます。秋は山全体が燃えるように色づく紅葉、山の幸”きのこ”料理が食べられます。
冬は標高が高い内陸部に降る極上のパウダースノーが自慢です。スノーシューで見に行く善五郎の滝の氷瀑も圧巻です。一年を通じて温泉と輝く星空、美しい山岳風景を楽しめます。
乗鞍三名滝 「三本滝、善五郎の滝、番所大滝」真冬の景色も名所です。
出典 松本市公式サイト
所在地:長野県松本市安曇4306-5
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三本滝
三本滝の特徴
日本の滝百選の1つ。長野県の指定名勝ともなっています。水源が異なる3つの沢が、別々の様相の滝となり1つ所に集まるので、3つの滝が一望できます。各滝の落差はおおよそ50~60m 。昔修験者が修行した場所としても伝えられています。「無名沢の滝」 向かって左、水量の少ない糸を引いたような繊細な滝で、落下高さはおおよそ60m。「本沢の滝」中、落下の滝で、高さおおよそ50m。勢いのある直瀑。昔修験者が修行した場所と伝えられます。「クロイ沢の滝」向かって右、落口は小さいものの、三段に流れ落ち、黒い岩肌を優美に伝いながら流れ裾は広がっています。落差おおよそ50m。
出典 乗鞍高原公式サイト
所在地:長野県松本市安曇
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善五郎の滝
善五郎の滝の特徴
三本滝、番所大滝とともに「乗鞍三名滝」と称されています。滝見台からの乗鞍岳を背景に流れ落ちる滝の眺めは素晴らしく、滝つぼ近辺では豪快な水しぶきを楽しめ、朝日に輝く虹を見ることもできます。滝の名前は、イワナに引き込まれて滝壺に落ちた釣り師「善五郎」からつけられたと言われています。標高1525mにあり、落差21.5m、幅8mで、幅いっぱいに平均して水が落ちる端正な滝です。落口の様子に特徴のある滝。東向きであるため、朝日に輝き、虹が現れることも多いです。
出典 乗鞍高原公式サイト
所在地:長野県松本市安曇
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番所大滝
番所大滝の特徴
三本滝、善五郎の滝とともに「乗鞍三名滝」と称されています。岩盤が板のように剥がれる板状節理の山肌に囲まれた滝展望台では、滝の全景を間近に眺め、水しぶきを浴びて圧倒されることでしょう。滝の上流に沿って歩く「千間淵遊歩道」は、涼やかな散歩道。番所大滝と併せて楽しみましょう。標高1,248m、小大野川に架かる幅15m 落差40mの大滝。黒い岩を流れゴツゴツとした岩肌にあたり霧のように流れ落ちる様は、他の滝にはない荒々しさを感じます。
出典 乗鞍高原公式サイト
所在地:長野県松本市安曇
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美ヶ原高原

美ヶ原高原
美ヶ原高原の特徴
松本駅お城口を降りて正面に見える山が、美ヶ原高原です。山の詩人「尾崎喜八」が讃えた広く美しい高原で、夏には、放牧の牛たちがのんびりと草を食み、可憐な花たちが風に揺れます。標高2000mに広がる高原からは、北アルプスはもちろん浅間山、南アルプス連峰、富士山も見渡せる360度の大パノラマが広がる、「アルプスの展望台」と呼ばれるにふさわしい景色を楽しむことができます。富士山が見えるときは、ラッキーです!
美ヶ原高原は、八ヶ岳中信高原国定公園の最北に位置する、日本一広い高原台地です。日本百名山のひとつに謳われる美ヶ原の最高峰は王ヶ頭(標高2034m)では、牧歌的な草原と急峻な地形が広がる風景を望みながら、遊歩道散策や本格的なトレッキングを楽しむことができます。
また、平成24年には四賀地区金山町から、戸谷峰、武石峰、王ヶ頭、茶臼山、三峰山、鉢伏山の峰々を繋ぐ、総延長約45キロメートルの美ヶ原高原ロングトレイルが整備されました。長野県の各テレビ・ラジオ局の送信所のほか、防災無線の中継など多数のアンテナが建てられているのも特徴。高原のシンボルである美しの塔にカップルで行くと、結ばれるという噂も・・・。
出典 松本市公式サイト
所在地:長野県松本市入山辺
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美鈴湖
美鈴湖の特徴
標高1000mにある湖です。農業(かんがい)用水を確保するため池として築かれた人造湖で、古くからの名は芦の田池(あしのたいけ)。湖周辺は遊歩道があります。へら鮒釣り、寒い時期はワカサギ釣など楽しめます。秋には紅葉が美しいです。近くには、松本市美鈴湖自転車競技場、美鈴湖もりの国オートキャンプ場などあります。過去には国際大会も開かれていた「浅間温泉国際スケートセンター」がありましたが、2015年より「松本市美鈴湖自転車競技場」になりました。釣り券は、バス停そばの「ウテナ荘」で購入出来ます。
出典 松本市公式サイト
所在地:長野県松本市三才山
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旧開智学校
旧開智学校の特徴
明治9年に完成した旧開智学校は地元の大工棟梁立石清重が設計した学校建築で擬洋風建築の代表です。文明開化の時代を象徴する洋風とも和風ともいえない不思議な建築は「擬洋風建築」と呼ばれています。注目すべきは正面の車寄せ、この一点に擬洋風が凝縮されています。八角の太鼓楼と寺っぽいアーチの窓、青竜の上に雲がわきその上に二人のエンジェルが「開智学校」の旗を掲げています。文明開化時代の日本一の小学校「擬洋風建築」を見学して見てください。1961年から国の重要文化財として指定されていますが、2019年に国宝に指定されました。
出典 松本市公式サイト
所在地:長野県松本市開智2丁目4−12
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あがたの森文化会館(旧制松本高等学校)
あがたの森文化会館(旧制松本高等学校)の特徴
あがたの森文化会館は、ヒマラヤ杉に囲まれた「あがたの森公園」内にある重要文化財「旧松本高等学校」校舎を保存しながら、市民の教育文化活動に活用している施設です。
大正8年(1919)、あがたの地に開校した松本高等学校。戦後の学制改革により廃止されるまで多くの人材を輩出しました。戦後は信州大学として生まれ変わりましたが、昭和48年(1973)、キャンパスが移転されることになりました。大正時代の代表的な木造洋風建築物である校舎は、市民や同窓会の運動により保存され、今なお「あがたの森文化会館」として利用されています。
そのあがたの森の一角に旧制高等学校記念館があります。学生達の教科書やノート、愛読書など松高ゆかりの資料や、登山の盛んだった松高ならではの山岳雑誌や登山用品など展示されています。
旧制高等学校記念館は、当初、旧制松本高等学校記念館として開設しましたが、学制改革から数十年が経過し、教育史上大きな役割を果たした旧制高等学校の資料が、全国的に散逸し、無くなっていく傾向にありました。そこで、松高ばかりでなく、他の旧制高等学校の資料も収集するため、平成5年7月、新たに旧制高校等学校記念館として開館しました。
出典 松本市公式サイト
所在地:長野県松本市県3丁目1−1
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松本市旧司祭館
松本市旧司祭館の特徴
出典
所在地:長野県松本市開智2丁目6−24
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中町蔵の会館(中町・蔵シック館)
中町蔵の会館(中町・蔵シック館)の特徴
出典
所在地:長野県松本市中央2丁目9−15
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松本市美術館
松本市美術館の特徴
平成14年4月にオープンした松本市美術館は、市民が心をひらく学びの森として、地域に根ざす総合美術館を目指しています。
1階フロアには学習活動を支援する市民アトリエ、講座室、版画室など教育普及機能を備えています。
2階フロアは、企画展示室、多目的ホール、市民ギャラリーから構成され、動きのあるフロアとなっています。3階フロアは、松本市が収集している珠玉の美術資料を中心に常設展示しています。特に松本出身の書家・上條信山(かみじょうしんざん)や、信州の山をこよなく愛した洋画家・田村一男(たむらかずお)の作品は記念展示室を設けています。また、松本出身で世界的に活躍している草間彌生(くさまやよい)の作品も展示しています。
美術館正面には草間彌生の巨大彫刻作品≪幻の華≫が設置されています。
出典 松本市公式サイト
所在地:長野県松本市中央4丁目2−22
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松本市立博物館
松本市立博物館の特徴
出典
所在地:長野県松本市大手3丁目2−21
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松本市時計博物館
松本市時計博物館の特徴
出典
所在地:
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松本市はかり資料館
松本市はかり資料館の特徴
出典
所在地:
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松本市歴史の里
松本市歴史の里の特徴
出典
所在地:
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日本浮世絵博物館
日本浮世絵博物館の特徴
出典
所在地:
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アルプス公園
アルプス公園の特徴
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城山公園
城山公園の特徴
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馬場家住宅
馬場家住宅の特徴
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旧山辺学校
旧山辺学校の特徴
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弘法山古墳
弘法山古墳の特徴
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牛つなぎ石
牛つなぎ石の特徴
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源智の井戸
源智の井戸の特徴
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縄手通り
縄手通りの特徴
江戸時代は、総掘りと女鳥羽川に挟まれた土手でした。一本の縄を伸ばしたような真っ直ぐな道から「縄手通り」と呼ばれています。明治になり天皇ご巡幸に併せて南総掘りが埋められ「四柱神社」が建立されてから参道として賑わいました。大正時代から場所止めされ現在も365日歩行者天国です。小さな子供・ペット・車椅子の人なども安心して散策出来のんびりした雰囲気があります。1972年にカエル大明神が通りに祀られ、2001年より「松本かえるまつり」が開催されかえるの街としても有名です。また最近ではおしゃれな雑貨屋さんが増えて国内外の若い観光客の方で賑わっています。
出典 松本市公式サイト
所在地:長野県松本市大手3丁目3−1
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中町通り
中町通りの特徴
江戸、明治等の大火から守るために、漆喰で作られた“なまこ壁の土蔵”が今も数多く残っている商店街です。近代にできた建物も、一部をなまこ壁にしたり、似せたり、景観を統一しています。松本民芸家具のお店や民芸品店、和食・そば・イタリアン等の飲食店、八百屋さん等、さまざまな年代の方が楽しめる観光商店街です。商店街の数箇所に井戸があり、特にポンプ式の井戸はノスタルジックです。
出典 松本市公式サイト
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針塚古墳
針塚古墳の特徴
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井川館
井川館の特徴
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林城
林城の特徴
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山家城
山家城の特徴
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村井城
村井城の特徴
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埴原城
埴原城の特徴
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桐原城
桐原城の特徴
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平瀬城
平瀬城の特徴
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伊深城
伊深城の特徴
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波多山城
波多山城の特徴
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淡路城
淡路城の特徴
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筑摩神社
筑摩神社の特徴
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大宮熱田神社
大宮熱田神社の特徴
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深志神社
深志神社の特徴
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四柱神社
四柱神社の特徴
明治時代神道として建立された四柱神社(よはしらじんじゃ)四つの神様が鎮座されていて「神道(しんとう)」とも呼ばれ親しまれています。四柱神社の参道的な場所として女鳥羽川沿いにあるナワテ通りは、栄えてきました。松本の街中にある四柱神社の境内には、緑の小路があり様々な木や花が植えられています。秋には、紅葉が美しく自然が豊富な神社で、市民の憩いの場所としても親しまれています。最近では、パワースポットとしても有名になり、国内外を問わず多くの方々が参拝に訪れています。
出典 松本市公式サイト
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若宮八幡宮
若宮八幡宮の特徴
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穂高神社奥宮
穂高神社奥宮(上高地)の特徴
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松本神社
松本神社の特徴
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長野縣護國神社
長野縣護國神社の特徴
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塩釜神社
塩釜神社の特徴
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多賀神社
多賀神社の特徴
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瘡守稲荷神社
瘡守稲荷神社の特徴
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沙田神社
沙田神社(いさごだ、信濃国三之宮)の特徴
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須々岐水神社
須々岐水神社の特徴
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岡田神社
岡田神社の特徴
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牛伏寺
牛伏寺の特徴
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放光寺
放光寺の特徴
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広沢寺
広沢寺の特徴
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徳運寺
徳運寺の特徴
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真光寺
真光寺の特徴
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無量寺
無量寺の特徴
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神宮寺
神宮寺の特徴
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無極寺
無極寺の特徴
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専称寺
専称寺の特徴
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浄林寺
浄林寺の特徴
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玄向寺
玄向寺の特徴
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兎川寺
兎川寺の特徴
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弘長寺
弘長寺の特徴
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王徳寺
王徳寺の特徴
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全久院
全久院の特徴
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保福寺
保福寺の特徴
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盛泉寺
盛泉寺の特徴
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安養寺
安養寺の特徴
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若沢寺跡・田村堂
若沢寺跡・田村堂の特徴
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松本市について
松本市の特徴
松本市は、本州及び長野県のほぼ中央に位置しています。平安時代には信濃国府が松本の地に置かれ、中世には信濃守護の館の所在地として、また、江戸時代には、松本藩の城下町として栄えました。明治40年5月1日に市制を施行し、その後、近隣の村との合併を経て現在の市域が形成され、平成19年には市制施行100周年を迎えました。
明治期からは製糸業を中心とした近代産業が勃興し、大正初年には日本銀行松本支店が開業されるなど長野県内の経済金融の中心地となりました。近代工業化は第二次世界大戦中の工場疎開に端を発し、さらに昭和39年の内陸唯一の新産業都市の指定が契機となって、電気・機械・食料品等の業種を中心に発展し、最近ではソフトウエア産業の振興が図られています。商業は『商都松本』とも称されてきたとおり、中南信の商圏の中心として大きな商業集積を形成してきており、平成14年1月に竣工した12ヘクタールの中央西土地区画整理事業、蔵のまち中町街なみ環境整備事業、縄手通り整備など個性ある商店街が出現してきています。一方高速交通網は、平成5年に長野自動車道が全線開通、北陸地方を通年で結ぶ安房トンネルは平成9年12月開通、平成6年の松本空港ジェット化整備により、交流拠点都市としての機能も充実してきました。また、本市は伝統的に教育を尊重する気風が強く、明治初年の開智学校の開校に始まり、大正期には松本高校が招致されました。近年ではスズキメソード、世界花いっぱい運動が発祥するとともに、平成4年からは小澤征爾マエストロの「サイトウキネンフェスティバル松本」(平成27年から「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」へ改称)が毎年開催されています。
また、平成14年には市民待望の美術館が開館、平成15年9月には松本市文化芸術振興条例が制定されました。さらに平成16年8月には、まつもと市民芸術館がオープンするなど、芸術文化の息づく教育のまちづくりを進めています。日本アルプスを擁して多くのアルピニストを迎える『岳都』、まちかどにバイオリンの調べを聴く街、セイジ・オザワ 松本フェスティバルの街『楽都』、古くから学問を尊び、学生を大事にする都、進取で議論好きの市民気質から『学都』。「『三ガク都』まつもと」~岳都・楽都・学都~と呼ばれています。
出典 松本市公式サイト
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