目次
- 1 長崎県長崎市はこんなに素敵なところ!
- 1.1 長崎市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、神社、お寺、美術館、文化遺産、歴史遺産、歴史的建造物
- 1.1.1 大浦天主堂
- 1.1.2 グラバー園
- 1.1.3 旧グラバー住宅
- 1.1.4 旧オルト住宅
- 1.1.5 旧リンガー住宅
- 1.1.6 旧ウォーカー住宅
- 1.1.7 旧自由亭
- 1.1.8 旧スチイル記念学校
- 1.1.9 旧三菱第2ドックハウス
- 1.1.10 旧長崎地方裁判所長官舎
- 1.1.11 旧長崎高商表門衛所
- 1.1.12 崇福寺
- 1.1.13 出島和蘭商館跡
- 1.1.14 稲佐山
- 1.1.15 眼鏡橋
- 1.1.16 平和公園
- 1.1.17 浦上天主堂
- 1.1.18 山王神社
- 1.1.19 東山手十二番館
- 1.1.20 東山手町
- 1.1.21 南山手町
- 1.1.22 キリシタン博物館(旧羅典神学校)
- 1.1.23 旧長崎英国領事館
- 1.1.24 旧香港上海銀行長崎支店記念館
- 1.1.25 旧長崎税関下り松派出所
- 1.1.26 興福寺
- 1.1.27 長崎孔子廟
- 1.1.28 長崎新地中華街
- 1.1.29 長崎歴史文化博物館
- 1.1.30 長崎ペンギン水族館
- 1.1.31 i+Land nagasaki(アイランド長崎)
- 1.1.32 端島(通称:軍艦島)
- 1.1.33 自証寺
- 1.1.34 女神大橋
- 1.1.35 長崎スタジアムシティ
- 1.1 長崎市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、神社、お寺、美術館、文化遺産、歴史遺産、歴史的建造物
長崎県長崎市はこんなに素敵なところ!
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こちらでは長崎県長崎市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、公園、神社、お寺などのパワースポット、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物、モダン建築などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。
長崎市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、神社、お寺、美術館、文化遺産、歴史遺産、歴史的建造物

ねえねえボンゾくん、長崎県の長崎市ってどんなところなの?おすすめの名所や人気の観光スポット、素敵な場所を教えてくれる?

長崎市には素敵なところがたくさんあるよ! 大浦天主堂、グラバー園、旧グラバー住宅、旧オルト住宅、旧リンガー住宅、旧ウォーカー住宅、崇福寺、出島和蘭商館跡、稲佐山、眼鏡橋、平和公園、原爆落下中心地(爆心地公園)、長崎原爆資料館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館、浦上天主堂、山王神社、東山手十二番館、東山手町、南山手町、キリシタン博物館(旧羅典神学校)、旧長崎英国領事館、旧香港上海銀行長崎支店記念館、旧長崎税関下り松派出所、長崎台場跡魚見岳台場跡、小菅修船場跡、興福寺、孔子廟、長崎新地中華街、長崎歴史文化博物館、長崎ペンギン水族館、i+Land nagasaki(アイランド長崎)、伊王島灯台、端島(通称:軍艦島)、県民の森、自証寺、女神大橋、稲佐山温泉、長崎スタジアムシティなんかがおすすめだね。それじゃあカートくんと一緒に長崎市のこと、詳しく調べてみようね!
長崎市のおすすめグルメ、美味しいもの、お土産をこちらの記事で紹介しています。
大浦天主堂

大浦天主堂
大浦天主堂の特徴
幕末の開国後に長崎居留地に建設され、国内現存最古の教会として知られています。南山手グラバー通りに面して建ち、美しいステンドグラスが施されたゴシック様式の教会です。
1864年末に竣工した翌年3月、浦上の潜伏キリシタンが訪れ信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。建立直前に殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教地である西坂に向けて建てられています。
聖堂内のステンドグラスの一部は1879年の改築当時のもので、歴史ある荘厳な雰囲気に包まれます。レンガ造の教会ですが表面は漆喰で白く塗られています。1933年に国宝となりましたが、原爆による損傷の修復が完了した後、1953年に再度国宝に指定されました。
また、2018年にユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつとなっています。隣接する旧羅典神学校や旧長崎大司教館は現在、キリシタン博物館として開館しています。長崎のキリシタン関連資料が展示されており、歴史上重要な資料を数多く見ることができます。
所在地:長崎県長崎市南山手町5−3
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グラバー園
グラバー園の特徴
1858年(安政5)、江戸幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5ヵ国と修好通商条約を結び、新たな時代に進む日本へ、夢を抱いた外国人商人が集まりました。1641年(寛永元)より218年に渡り設置された出島のオランダ商館は幕を閉じ、条約により開港都市となった長崎には「居留地」が生まれました。長崎港を見渡す丘陵地には日本風の屋根瓦に覆われた洋風建築が立ち並び、各国から来崎した外国人たちの日常がそこにはありました。この地にある「グラバー園」。冒険商人トーマス・グラバーをはじめ居留地時代から残る外国人の住宅と長崎市内に点在していた洋館が集まるこの地では、幕末から明治の長崎の歴史を感じることができます。石畳や石段、長崎港を一望できるロケーションと共に、歴史、文化の香りに包まれながら、特別なひとときをお過ごしください。
グラバー園では9棟の伝統的建造物を見ることができます。そのうち、旧グラバー住宅、旧オルト住宅、旧リンガー住宅は居留地時代に建築され、150年以上この地に建ち続けている貴重な建物です。これら3棟は国指定重要文化財に指定され、旧グラバー住宅は「明治日本の産業革命遺産」の構成資産にも登録されています。
一方、6棟は明治中期ごろに長崎市内に建てられた洋風建築をグラバー園へ移築復元したものです。各建物に当時を思わせる特徴があり、明治時代の長崎を知る上で貴重な建物です。
出典 グラバー園公式サイト
所在地:長崎県長崎市南山手町8−1
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旧グラバー住宅

旧グラバー住宅
旧グラバー住宅の特徴
建物の平面は採光と通風を意識した半円形で、日本瓦や土壁(漆喰)を用いています。木造菱格子の天井を持つ広いベランダが特徴で、石畳の床に立つ木製の独立円柱、柱間の吊束(つりづか)を持つアーチ型欄間(らんま)が開放的な雰囲気をかもし出しています。
同邸宅の最初の主人であるトーマス・グラバーは1859年(安政6)21歳の時に長崎へ来航し、居留地として定められた南山手に自邸を建てました。グラバーは大きな松の木のすぐ横に建てられた自邸に「IPPONMATSU」という愛称をつけ、周囲からも「一本松邸」と呼ばれました。グラバーが1862年(文久2)に設立した「グラバー商会」が1870年(明治3)に倒産すると、住宅の権利は弟のアルフレッドに譲渡され、アルフレッドは管理人として住宅を居留地の人々に貸し出しました。その後グラバーが上京し、アルフレッドが死去すると、息子の倉場富三郎夫妻が住宅の権利を持ち、そこを住まいとしました。
富三郎は第二次世界大戦が始まると住宅を三菱重工長崎造船所(現三菱重工業株式会社長崎造船所)へ売却。終戦後はアメリカ進駐軍の接収を経て1957年(昭和32)長崎造船所開設100周年を記念して同造船所から長崎市へ寄贈され、翌年から一般公開が始まりました。1961年(昭和36)には「旧グラバー住宅」の名称で国の重要文化財に指定され、2015年(平成27)に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されています。
トーマス・ブレーク・グラバー
Thomas B. Glover 1838 – 1911造船、採炭、製茶などの貿易を通して、我が国の近代化に貢献。
グラバーは1859年(安政6)9月19日、21歳のとき開港して間もない長崎に訪れました。来崎当初はジャーディン・マセソン商会の代理人ケネス・ロス・マッケンジーの仕事の補佐でしたが、マッケンジーは天津条約(1858年)により中国が開港すると、漢口での業務に向けて長崎を去り、全ての業務をグラバーに託しました。グラバーは20歳前半の若さでジャーディン・マセソン商会の代理業務を担うこととなり、1862年(文久2)グラバー商会を設立しました。
グラバーは貿易商人として主に茶や生糸を輸出し、西南諸藩の需要に応じて布類や香辛料、鉄材などのほか、中古の蒸気船や武器を輸入品として扱いました。また日本人の英国留学の援助を行い、五代友厚率いる薩摩藩の19名の藩士が英国留学を果たし、彼らは帰国後日本の近代化を盛り立てました。そのほか、大阪造幣局の開設や現在の「キリンビール株式会社」の前進会社であるビール会社「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の設立にも尽力。そして1908年(明治41)、70歳のときに近代日本に貢献をしたとして叙勲を受け、その3年後東京の自邸で死去しました。現在グラバーは長崎市の坂本国際墓地で妻のツルと共に眠っています。
出典 グラバー園公式サイト
所在地:グラバー園
旧オルト住宅
旧オルト住宅の特徴
この建物は、大浦天主堂の建築者と同じ天草出身の大工小山秀之進によって建てられました。秀之進旧蔵の設計図には、英語で室名と寸法に日本の尺寸が書き加えられており、設計者が外国人、建築者が日本人であることが伺えます。残された設計図より、室内は、Verandah(ベランダ)、Entrance(出入口)、Drawing Room(応接間)、Dressing Room(居間)、Passage(廊下)、Bedroom(寝室、4室)、Bath(浴室、4室)などからなります。
建物は大規模で、木造に外壁は天草の砂岩を使用しています。正面にある噴水は建築当初からあり、車寄せのポーチや、トスカーナ風列柱のベランダが特徴です。一方で、裏手にある附属屋はレンガ造りになっており、その先にある崖沿いには、岩盤をくりぬいた貯蔵庫が残っています。
ウィリアム・オルト
William J. Alt 1840 – 1908茶貿易を通じて
我が国のお茶を世界に広める。この住宅の最初の主人であったオルトは1859年(安政6)、安政の五か国条約で開港した長崎に来ました。そして居留地であった大浦海岸通りに事務所を建設し、翌年に「オルト商会」を設立しました。オルトは貿易商として活躍し、製茶業で財を成しました。また、居留地自治会の初代議長を務めるほか、居留地の商工会議所の最初の議長も務めました。オルトは、妻エリザベスと二人の娘とで明治元年までこの家で過ごし、その後は大阪や横浜に滞在したのち、イギリスに帰国しました。エリザベスは長崎で過ごしたことを「長崎は本当に美しいところで、これ以上美しい所を私は知らない」と回想録の中で記しています。
オルトがこの住宅を去った後、この建物はメソジスト派の活水女学校の校舎や、アメリカ国領事館として使われました。1903年(明治26)からはリンガー家の所有となり、フレデリック・リンガーの長男一家が太平洋戦争勃発まで暮らしました。1943年(昭和18)には川南工業に売却され1970年(昭和45)に長崎市が買収しました。
出典 グラバー園公式サイト
所在地:グラバー園
旧リンガー住宅
旧リンガー住宅の特徴
建物の構造は、木造に外壁を石造とし、天草の砂岩を使用し、ベランダの床にはウラジオストクから運んだ御影石を敷いています。正面中央が出入口で、廊下左右に4室を配置し、厨房とメイド部屋が附属しています。
この住宅には明治から昭和にかけて、イギリス人のフレデリック・リンガーとその家族が親子三代で暮らしました。旧リンガー住宅が建つこの敷地はトーマス・グラバーの弟アレキザンダーが1864年(元治元)に永代借地権を取得し、1868年(明治元)に住宅を建てました。フレデリック・リンガーが借地権と建物を取得したのは1874年(明治7)で、結婚を機に1883年(明治16)から妻のカロリーナと暮らし始めました。住所の「南山手2番」にちなみ、「NIBAN(2番)」という愛称を付けました。リンガーが死去したのち、1913年(大正2)からは次男シドニー・リンガーが住みました。戦時の混乱を経て、1965年(昭和40)まで家族と暮らしましたが、1965年(昭和60)長崎市へ売却し、シドニーはイギリスで余生を送りました。
フレデリック・リンガー
Frederick Ringer 1838 – 1907長崎の明治期の産業経済界に
大きな功績を残したイギリス人中国・九江で茶葉検査官を務めていたフレデリック・リンガーは、1865年(慶応元)にグラバー商会に招かれ、長崎で製茶と輸出を監督の業務を行いました。1868年(明治元)11月、グラバー商会を退職し、イギリス人の同僚エドワード・ホームと「ホーム・リンガー商会」を設立。大浦11半番地に事務所を構え、グラバー商会の茶葉貿易を引き継ぎました。そのほか明治・大正・昭和初期を通じウラジオストックなどの海外の各港との貿易業、各国商社代理業務にも携わりました。また、長崎における英字新聞の刊行やホテルの経営のほか、長崎市内の上下水道敷設にも尽力。社員であったグラバーの息子倉場富三郎と共同で国内初のトロール船による漁業を行いました。一方で、リンガーはベルギー、スウェーデン、ノルウェー、デンマークなどの名誉領事に就任し、長崎の国際交流にも力を注いでいます。
リンガーは晩年までこの住宅で過ごしましたが、1907年(明治40)イングランドのノーリッジへ一時帰郷中に死去。リンガーは現在、ノーリッジの墓地で両親と早世した妹の隣で眠っています。
出典 グラバー園公式サイト
所在地:グラバー園
旧ウォーカー住宅
旧ウォーカー住宅の特徴
この建物は主人であるロバート・ウォーカー二世が明治中期に建てられたと考えられるこの建物を1915年(大正4)に購入しました。
瀟洒(しょうしゃ)な外観で、建物の周りをベランダが囲い、張り出し窓からは日光が入り心地よい雰囲気を醸し出します。旧所在地である大浦天主堂横の祈念坂沿いにあった頃は母屋のほか風呂、トイレ、和室もありましたが、移築の際、洋風の意匠を残す部分のみが移築されました。
ウォーカー兄弟とロバート・ウォーカー二世
ロバート・ネール・ウォーカー(Robert N. Walker, 1851-1941)
この住宅の主人ロバート・ウォーカー二世の父イギリス出身のロバート・ネール・ウォーカーは、1874年(明治7)に来日。1876年(明治9)に日本政府より甲種船長の免許を受け、三菱系列の会社と日本郵船に勤務しました。退社後、一旦イギリスに帰国しましたが、1895年(明治28)再び来日。1898年(明治31)に「R.N.ウォーカー商会」を設立し、海運業を中心とした貿易事業を幅広く展開しました。また、1904年(明治37)には、「バンザイ清涼飲料工場」を開業、ジンジャーエールなどの大量生産に成功したのち、会社を次男に託し、晩年はカナダで過ごしました。
ロバート・N・ウォーカーの兄、ウィルソンは1868年(明治元)に来日し、グラバー商会(後ホーム・リンガー商会)で船長を務めました。1874年(明治7年)に郵便汽船三菱の監督船長に抜擢され、翌年の1875年(明治8年)には、日本初の国際定期航路である上海航路の船長を務めました。その後日本郵船会社に勤務した後、横浜でグラバーと共にジャパン・ブルワリ・カンパニー(キリンビール㈱の前身)を設立。筆頭株主であるとともに、同社の支配人も勤めました。1894年(明治27年)、家族と共に長崎へ移り住み、南山手10番地でクリフ・ハウス・ホテルの経営を行いました。
ロバート・ウォーカー二世(Robert Walker Jr. 1882-1958)
ロバート・ウォーカー二世は、ロバート・N・ウォーカーと日本人の福田サトの次男として生まれました。1908年(明治41)に父の事業を譲り受け、その後この住宅を購入し、妻と3人の子供とともに暮らしました。1958年(昭和32)にロバート二世が亡くなると、妻シゲコは住宅の一部を長崎市に寄贈し、1974年(昭和49)にグラバー園に移築されました。
出典 グラバー園公式サイト
所在地:グラバー園
旧自由亭
旧自由亭の特徴
自由亭のシェフであった草野丈吉は1840年(天保11)に長崎市内の農家に生まれ、21歳で出島のオランダ総領事のもとで働き西洋料理を習得しました。その後1863年(文久3)、24歳の時に長崎市伊良林(いらばやし)に「良林亭(りょうりんてい)」という日本人初の小さな西洋料理専門店を開業し、長崎奉行の外国人接待などに使用されました。またのちに日本赤十字社を設立した佐賀藩の佐野常民が来店した際、丈吉は佐野のすすめで店名を「自遊亭」から「自由亭」としました。自由亭は、当時の長崎の三大西洋料理店「小島郷福屋」、「西浜町清洋亭(精洋亭)」のひとつで、 内外の貴賓、地元高官などの社交の場に利用されていました。
1867年(慶応3)、丈吉は大阪の土佐商会に呼ばれ、前土佐藩主山内容堂に士分をと取り立てられました。同年、外国官権判事だった五代友厚の命により大阪川口居留地にホテルを開業。ほかにも京都博覧会に際して外国人向けホテルを経営や、明治天皇の食事、来日した各国の要人たちに料理をふるまい活躍しました。
グラバー園に残る「旧自由亭」は丈吉が1878年(明治11)に長崎市馬町で開業した西洋料理店で、建築当初は2階にベランダがありました。丈吉の死後、1887年(明治20)に自由亭は廃業し、この建物は、検事正官舎として使用しました。この時期に改築を繰り返しており、現在の造りは検事正官舎として使用されていたときの状態で、現在、喫茶室になっている部屋は応接室として使用されていました。また本来は和式の部分もありましたが、旧所在地からグラバー園に移築する際、洋風の意匠の部分のみ移築されました。
出典 グラバー園公式サイト
所在地:グラバー園
旧スチイル記念学校
旧スチイル記念学校の特徴
旧スチイル記念学校は(Steele Academy)は東山手9番の英国領事館跡地に建てられました。設計を行ったのはアメリカ人宣教師ヘンリー・スタウトで、外観は教会を思わせる形が特徴です。また幾度となく増改築をしており、大正時代には踊り場から別棟に向かう渡り廊下があり、現在はその名残で2階に上がる階段の踊り場が広くなっています。
この学校は1887年(明治20)9月に開校しました。学校の名称は、当時アメリカのダッチ・レフォームド教会の外国伝道局長であったスティール博士の名前に由来します。彼の息子ウィリアム・ヘンリーは18歳の若さで亡くなり、スティール博士はこの学校を建設するにあたり、息子を祈念し建設資金を寄附しました。
東山手の洋館群。中央がスチイル記念学校開校後、私立東山(とうざん)学院、私立中学東山学院、明治学院第二中学部東山学院と校名は改称されましたが、英語教育と特色ある学風で1932年(昭和7)までの45年の歴史を長崎の教育史に刻ました。その後、東京の明治学院に合併されると、長崎公教神学校、東陵中学校、海星学園校舎と変遷し、1972年(昭和47)に海星学園より保存のため長崎市が寄贈を受け、翌年グラバー園に移築し復元されました。
出典 グラバー園公式サイト
所在地:グラバー園
旧三菱第2ドックハウス

旧三菱第2ドックハウス
旧三菱第2ドックハウスの特徴
旧三菱第2ドックハウスは1896年(明治29)、三菱造船所(現三菱重工業株式会社長崎造船所)の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎です。「ドック」は造船所の主要施設で、船の建造や修理を担うところです。
建築当初は「第2ドック」に隣接していたため「第2ドックハウス」という名称でしたが、1965年(昭和40)に立神に新しく第1ドックと第2ドックが建設されたのを機に、これまでの「第2ドック」の名称を「第4ドック」とし、隣接していた建物も「第4ドックハウス」と改称しました。その後、建物は第4ドックが閉渠する1972年(昭和47)まで同造船所で使用されたのち、建築当初の「第2ドックハウス」名称に戻し、グラバー園へ移築されました。
出典 グラバー園公式サイト
所在地:グラバー園
旧長崎地方裁判所長官舎
旧長崎地方裁判所長官舎の特徴
旧長崎地方裁判所長官舎は、長崎控訴裁判所(現在の高等裁判所)の官舎として、長崎市上町に建てられました。長崎控訴裁判所は1886年(明治19)に長崎控訴院に改称。控訴院が1945年(昭和20)に福岡に移転すると、本建物も「控訴院官舎」から「長崎地方裁判所長官舎」の名称となりました。
歴代の裁判所長と家族がここで暮らし、室内には洋室と和室の両方が造られました。大きな玄関を設け、屋根の軒は重厚な蛇腹(じゃばら)で飾り、上げ下げ式の窓が並びます。
1979年(昭和54年)、明治時代の西欧化を反映した貴重な官庁建築のひとつとして、グラバー園に洋風の意匠がある部分が移築されました。
出典 グラバー園公式サイト
所在地:グラバー園
旧長崎高商表門衛所
旧長崎高商表門衛所の特徴
長崎高等商業学校(長崎高商)は、東京高商(一橋大)、神戸高商(神戸大)に次ぐ第三高商として1905年(明治38)に設立されました。学生は、表門から西山川にかかる拱橋(こまねきばし、1903、国登録文化財)を渡って通学し、この表門衛所は、橋の袂に建っていました。屋根は銅板で覆われ、棟に徳利型の飾りが特徴で、室内は土間と畳敷きを備えています。
長崎高商は、旧制の高等教育機関(現在の大学にあたる)のなかで、商業・商学を担い本科のほかに海外貿易科をおき、国内外で活躍する人材を輩出しました。1944年(昭和19)の長崎経済専門学校を経て、1949年(昭和24)に長崎大学経済学部となりました。
出典 グラバー園公式サイト
所在地:グラバー園
崇福寺
崇福寺(そうふくじ)の特徴
福州地方の唐人たちの希望で、1629年に渡来した唐僧超然により創建された崇福寺は福州寺とも呼ばれ、竜宮門を思わせる三門や珍異奇巧を極めている第一峰門があります。
殿堂内の仏像仏具類は、いづれも中国人名匠の手によるもので、明朝末期文化の縮図といえるものです。
第一峰門と大雄宝殿は国宝に指定され、その他にも国指定重要文化財、県指定有形文化財、市指定有形文化財を多数もつ文化財の宝庫です。長崎の唐寺の特色は媽祖堂(まそどう)をもつことで、唐船主たちが航海安全を祈願して祀ったものです。媽祖とは海の神様のことで、中国建築様式と和様が違和感無く調和しています。
境内にはコウモリや牡丹、桃の花など中国で縁起物とされる模様が随所に施されています。隅々までじっくり見回してこうした縁起物を探すのも崇福寺を見学するポイント!
出典 長崎市公式観光サイト
所在地:長崎県長崎市鍛冶屋町7−5
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出島和蘭商館跡
出島和蘭商館跡の特徴
1636年(寛永13)、ポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止するために、江戸幕府は長崎の有力な町人に命じて岬の突端に人工の島を築き、ポルトガル人を収容しました。この島が出島です。その後、鎖国令によってポルトガル船の来航が禁止されると、出島は一時、無人の島となりましたが、その後1641年(寛永18)、平戸のオランダ商館が出島に移転。それ以来、1859年(安政6)に出島和蘭商館が廃止されるまでの218年もの間、日本の近代化に大きな役割を果たしましたが、出島和蘭商館の廃止以降、出島周辺の埋め立てが進み、1904年(明治37)には、その姿を消してしまいました。
しかし現在、出島復元整備事業が進み、2016年までに16棟の復元建物が完成し、19世紀初めの景観が広がっています。海外・日本とつながる出島、日蘭貿易、蘭学、出島での生活など、各復元建物内でテーマごとに展示を行っています。また、史跡東側では、交流ゾーンとして、旧石倉(復元)や旧出島神学校(1878年)、旧長崎内外クラブなどの開国後に建てられた建物があり、出土遺物の展示や居留地時代の展示スペースが設けられています。
出典 長崎県公式サイト
所在地:長崎県長崎市出島町6−1
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稲佐山
稲佐山の特徴
長崎市のランドマーク的存在で、夜景鑑賞で賑わう人気のフォトジェニックスポットです。
鶴の港と称される長崎港を中心に山々に囲まれたすり鉢状の地形が独自の立体的な夜景を作り出し「1,000万ドルの夜景」として知られています。その美しさが認められ、2021年の「世界夜景サミットin長崎」において、モナコ、上海と共に「世界新三大夜景」に選ばれました。また「夜景サミット2022 in札幌」においても稲佐山を含む長崎市が「日本新三大夜景」に再認定されました。
展望台は照明を散りばめたフロアが幻想的な空間を演出しています。夜景だけでなく、晴れた日の昼間には長崎市街地はもちろんのこと、雲仙・天草・五島列島まで眺めることができます。ツツジの名所として知られる稲佐山公園は、憩いの空間やレクリエーションの場として年間を通じて人々に親しまれています。中腹にはイベント広場や野外音楽堂があり、国内を代表するアーティストのコンサートやさまざまなイベントも催されます。
山麓から山頂を結ぶロープウェイ、ガラス張りのゴンドラから360度ワイドビューの空中散歩を楽しめます。また、2020年には稲佐山中腹駐車場と山頂を約8分で結ぶスロープカーが運行を開始しました。自然との調和を重視したデザインでゆっくり進むスロープカーはロープウェイとは異なる景色が楽しめ今注目の乗り物です。
出典 長崎市公式観光サイト
所在地:長崎県長崎市大浜町364 稲佐山公園
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眼鏡橋
眼鏡橋の特徴
1634(寛永11)年、興福寺の黙子如定(もくす にょじょう)禅師が架設したとされている眼鏡橋。川面に映る影が双円を描き「メガネ」に見えることからこの名前がついたと言われ、東京の「日本橋」、山口の「錦帯橋」と並び日本三名橋に数えられます。
1982年の長崎大水害で一部崩壊しましたが翌年復元され、国の重要文化財に指定されています。水位が低い時は、階段を使って川縁に降り水際を散策できるようになっています。眼鏡橋をはじめとする中島川護岸にあるハートストーンは恋愛成就のパワースポットとして注目されているので、訪れた際にはぜひ探してみてください。
長崎の冬の風物詩、ランタンフェスティバルの時期には、眼鏡橋周辺も提灯で華やかに飾られ普段以上に多くの人で賑わいます。
出典 長崎市公式観光サイト
所在地:長崎県長崎市魚の町
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平和公園
平和公園の特徴
原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界恒久平和への願いを込めてつくられました。
長崎市民の平和への願いを象徴する平和祈念像。(高さ:9.7m 重さ:30t 材質:青銅 制作者:北村西望氏)
制作者は長崎出身の彫刻家で、この像は神の愛と仏の慈悲を象徴し、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めました。
毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされます。「平和の泉」 (直径:18m)
原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。その痛ましい霊に水を捧げて冥福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いが込めて浄財を募り建設された、円形の泉です。1969年(昭和44年)に完成し、平和公園の一角、平和祈念像の前方に位置しています。
被爆し水を求めてさまよった少女の手記を刻んだ石碑が正面に設置されており、当時の惨状を重々しく映し出しています。
平和の鳩と鶴の羽根をイメージした噴水が舞い、平和祈念式典の前夜には数多くのローソクが灯され、犠牲者を悼む催しも行われます。
出典 長崎市公式観光サイト
所在地:長崎県長崎市松山町9
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浦上天主堂
浦上天主堂の特徴
出典
所在地:長崎県長崎市本尾町1−79
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山王神社
山王神社の特徴
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所在地:長崎県長崎市坂本2丁目6−56
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東山手十二番館
東山手十二番館の特徴
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所在地:長崎県長崎市東山手町3−7 市旧居留地私学歴史資料館
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東山手町
東山手町の特徴
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所在地:長崎県長崎市東山手町
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南山手町
南山手町の特徴
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所在地:長崎県長崎市南山手町
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キリシタン博物館(旧羅典神学校)
キリシタン博物館(旧羅典神学校)の特徴
出典
所在地:長崎県長崎市南山手町5−3
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旧長崎英国領事館
旧長崎英国領事館の特徴
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所在地:長崎県長崎市大浦町1−37
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https://maps.app.goo.gl/NvvBT4tHFjtg5nRb9
旧香港上海銀行長崎支店記念館
旧香港上海銀行長崎支店記念館の特徴
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所在地:長崎県長崎市松が枝町4−27
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旧長崎税関下り松派出所
旧長崎税関下り松派出所の特徴
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所在地:長崎県長崎市松が枝町5−36
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興福寺
興福寺の特徴
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所在地:長崎県長崎市寺町 4番32号
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長崎孔子廟
長崎孔子廟の特徴
長崎孔子廟は、1893年(明治26年)に、清国政府と在日華僑が協力して建立したもので、その後いくどかの改修を経て現在に至っています。
中国山東省曲阜にある総本山なみに、建物の随所に壮麗な伝統美を凝らした、日本で唯一の本格的中国様式の霊廟です。孔子
『論語』で知られる孔子は、中国の春秋時代の思想家です。
今からおよそ2500年ほど前、紀元前552年※魯の国の曲阜郊外(現山東省曲阜市)に生まれました。
孔子の時代は、周王朝が崩れ、諸侯が対立抗争した動乱期でした。
孔子は魯の定公に召されて要職にも就きましたが、その後職を退き諸国を歴遊。14年後に祖国の魯に帰り、弟子の教育と研究に専念しました。
紀元前479年没す。74歳。
孔子の死後、門弟たちは彼の言行や子弟との問答などを集めた『論語』を編纂しました。
※紀元前551年生誕の説もあります。中国歴代博物館
大成殿の奥につづいているのが博物館の建物で、2階フロアが「中国歴代博物館」、3階フロアが「長崎孔子廟史料館」となっています。
「中国歴代博物館」は、日中友好と文化交流の促進をめざして1983年に建てられ、多様な企画展を開催しています。
「長崎孔子廟史料館」は、長崎孔子廟が所蔵する数々の銘品や関連の資料を多数展示しており、孔子や孔子廟のことを学ぶには必見のフロアです。
出典 長崎孔子廟公式サイト
所在地:長崎県長崎市大浦町10−36
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長崎新地中華街
長崎新地中華街の特徴
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所在地:長崎県長崎市新地町10−13
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長崎歴史文化博物館
長崎歴史文化博物館の特徴
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所在地:長崎県長崎市立山1丁目1−1
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長崎ペンギン水族館
長崎ペンギン水族館の特徴
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所在地:長崎県長崎市宿町3−16
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i+Land nagasaki(アイランド長崎)
i+Land nagasaki(アイランド長崎)の特徴
自転車で1周2時間ほどの伊王島は、さまざまな魅力にあふれた長崎屈指のエンターテインメントリゾートを有する島です。
長崎市中心街から車で約30分というアクセスも魅力で、日帰りでも宿泊でもたっぷりと非日常体験を楽しめます。オーシャンビューの広々としたバルコニーからは、絵になる風景が眼前に広がります。ハンモックが設置されたファミリールームや、遊具をリニューアルしたプレイキッズランドも家族連れに大人気!パワー全開のキッズも大満足です。
レストランでは、日本一豊富な魚種を誇る長崎の新鮮な海の幸や地元食材を使った料理を堪能できます。2024年11月30日より伊王島で牡蠣焼きを楽しめる “牡蠣焼き魚市(うおいち)” がスタート! 夏場はSEASIDE BBQだったエリアが冬季限定の牡蠣焼きを楽しめるエリアに大変身。 旨みがぎゅっとつまったアツアツの長崎県産の牡蠣を思う存分ご堪能いただけます! また冬のお食事プランでは、長崎県戸石産のとらふぐをふんだんに使用した美食プランも登場します。 長崎で水揚げされた新鮮な魚介類、ブランドのお肉と共にお楽しみください。
多彩なコンセプトを持つ5つのカフェがあり、オリジナルハーブティーなどを味わいながらのカフェ巡りもオススメです。
源泉かけ流しの天然温泉大浴場や展望露天風呂が自慢のスパでは、ヒノキ風呂や樽風呂のほか岩盤浴や庭風呂も楽しめます。さらにArk Land Spaでは全天候型のスパテーマパークもございます。温水のため、季節を問わずお楽しみいただくことが出来ます。
SUPやシーカヤックなどのマリンスポーツのほか、セグウェイやレンタサイクル、日本最大級のギミックの数を誇る四輪バギーなど、アクティビティも充実!広々としたドッグランも整備され、ペット連れのお客様にも好評です。
1日では遊び尽くせない、リピーター続出のイチオシ観光スポットです。
出典 長崎市公式観光サイト
所在地:長崎県長崎市伊王島町1丁目3277−7
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端島(通称:軍艦島)
端島(通称:軍艦島)の特徴
長崎港から船で約40分のところに位置する端島(はしま)。小さな海底炭坑の島は、岩礁の周りを埋め立てて造られた人工の島です。岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。最盛期の1960年には約5300人もの人が住み、当時、日本一の人口密度を誇っていました。島内には小中学校や病院などを完備、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もあり生活の全てを島内で賄うことができたそうです。
端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化に大きく貢献しました。しかし、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより衰退の一途をたどり、1974年に閉山。島民はさまざまな思いを胸に島を去り無人島となりました。
2009年に一般の方の上陸が可能となり、現在では多くの方が上陸ツアーに参加して軍艦島を訪れています。
2015年7月世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として正式登録されました。
出典 長崎市公式観光サイト
所在地:長崎県長崎市高島町
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自証寺
自証寺の特徴
琴海戸根町の国道206号線沿いに銀杏の巨木が見えてきます。ここは日蓮宗の歴史ある寺院「自證寺(じしょうじ)」。趣きのある山門をくぐると右手に鳥居があり、神仏分離令が出される明治以前の寺社光景を偲ばせる風景です。
自證寺は1658年、大村藩の家老・浅田安昌によって祖母・自證院(じしょういん)の菩提を弔うために建てられました。この自證院は、日本初のキリシタン大名・大村純忠の長女「お伊奈」で、お伊奈もまたキリシタンで洗礼名を「ドンナ・マリイナ」といいます。
マリナ伊奈は家臣で熱心なキリシタンの浅田純盛に嫁ぎましたが、キリシタンの弾圧が激しくなると大村藩の領地だった戸根に日蓮宗を装った庵を築きます。そこで宣教師をかくまったり、密かに宣教を行い、キリスト教の信仰を貫いて、島原の乱の翌年の1639年、その生涯を閉じました。歴代墓地には自證院の墓があります。
境内には水徳浄行菩薩があり、頭から水をかけて清め、身体の悪い部分と同じ場所をさすると直るという言い伝えがあります。
出典 長崎市公式観光サイト
所在地:長崎県長崎市琴海戸根町1096
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女神大橋
女神大橋の特徴
女神大橋(ヴィーナスウィング)は、長崎港によって分断されている長崎市南部と西部を最短距離で結んでいます。塔と桁を斜めに張ったケーブルでつないで支える構造を持つ斜張橋としては、国内で6番目の長さを誇り、大型船舶も通過可能な桁下65mの高さを確保しています。
また、夜間にはライトアップされ、香港・モナコと共に「世界新三大夜景」のシンボルとなっています。通常は白を基調とした照明ですが、イベントの際は彩りある演出照明がされます。その美しさは「日本夜景遺産(ライトアップ夜景遺産)」にも認定されました。
有料道路「ながさき女神大橋道路」となっていますが、歩行者は無料で通行することができます。車の場合は、ながさき女神大橋道路は駐停車禁止なので、駐車場に車を止めて散策しましょう。
出典 長崎市公式観光サイト
所在地:長崎県長崎市
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長崎スタジアムシティ
長崎スタジアムシティの特徴
サッカースタジアムを中心にアリーナ・ホテル・商業施設・オフィスなどの複合施設
長崎スタジアムシティはジャパネットグループのリージョナルクリエーション長崎が、サッカースタジアムを中心にアリーナ・ホテル・商業施設・オフィスなどの複合施設を民間主導で開発するプロジェクトです。2018年に「長崎・幸町工場跡地活用事業 土地活用事業者募集」に応募し、JR長崎駅から徒歩約10分と長崎市の中心地に約7.5ha(東京ドーム1.5個分)の土地を購入いたしました。総事業費は約1,000億で、13,000人の雇用創出を見込んでおり、2024年10月14日に開業予定です。
プロサッカークラブ「V・ファーレン長崎」のホームとなる約20,000席を収容できるスタジアムと、プロバスケットボールクラブ「長崎ヴェルカ」のホームとなる約6,000席を収容できるアリーナ、日本初のスタジアムビューホテル、食べる・学ぶ・遊ぶが詰まった楽しさあふれる商業施設、国内外の企業を誘致する長崎県内最大級のオフィスがございます。
所在地:長崎県長崎市幸町7−1
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その他
原爆落下中心地(爆心地公園)
https://maps.app.goo.gl/yrwcMpx1YDe1S5yG8
長崎原爆資料館
https://maps.app.goo.gl/mhozCFg7xEr9MmT56
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
https://maps.app.goo.gl/Lao1Q95r9AmvmQfGA
県民の森
https://maps.app.goo.gl/WBxKhaWLsb8YUiP3A
伊王島灯台
https://maps.app.goo.gl/Bb7sWMnnhBP6HUoz8
世界新三大夜景都市(長崎市、上海市、モナコ)
日本新三大夜景都市(長崎市、札幌市、北九州市)
日本の渚百選(高浜)
快水浴場百選(高浜)
残したい日本の音風景100選(山王神社被爆の楠の木)
かおり風景100選(野母崎水仙の里公園と潮)
近代水道百選(本河内高部貯水池、樺島地下ダム)
ふるさといきものの里百選(本河内高部貯水池上流 保全対象:ゲンジボタル)
日本の棚田百選(大中尾棚田)
都市景観100選(東山手地区・南山手地区景観形成地区、中島川・寺町地区)
日本の道100選(オランダ坂)
新・日本街路樹100景(セントポール通り)
歴史の道百選(長崎街道日見峠越・井樋尾峠越 (長崎市、諫早市、大村市))
日本におけるモダン・ムーブメン トの建築100選(長崎市公会堂、日本二十六聖人殉教記念施設)
がんばる商店街77選(長崎市中央地区商店街)
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