奈良県奈良市はこんなに素敵なところ!
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こちらでは奈良県奈良市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、公園、神社、お寺などのパワースポット、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物、モダン建築などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。
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奈良市の名所、人気の観光スポット
ねえねえボンゾくん、奈良県の奈良市ってどんなところなの?おすすめの名所や人気の観光スポット、素敵な場所を教えてくれる?
奈良市には素敵なところがたくさんあるよ! 東大寺、奈良の大仏、興福寺、春日大社、春日大社の藤、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、唐招提寺金堂、平城宮跡・平城宮跡歴史公園、正倉院、奈良公園、奈良公園の鹿、西大寺本堂、依水園、浮見堂、多聞山城、柳生陣屋跡、月ヶ瀬梅林、旧大乗院庭園、円成寺庭園、平城京左京三条二坊宮跡庭園、法華寺庭園、平城宮東院庭園なんかがおすすめだね。それじゃあカートくんと一緒に奈良市のこと、詳しく調べてみようね!
東大寺
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東大寺の特徴
仏の加護により国家を鎮護しようとした聖武天皇の発願で建立されました。751年に大仏殿が完成し、翌年には盛大な大仏開眼供養がおこなわれました。その後、1180年と1567年に兵火にあい主要伽藍を焼失しましたが、そのつど再建されました。
現存する大仏殿は1709年に再建されたもので、世界最大規模の木造建築物としての威容を誇っています。本尊の盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像(国宝)は“奈良の大仏さん”とよばれ、全国の人たちに親しまれています。広大な境内にはほかにも、聖武天皇遺愛の宝物をおさめた正倉院正倉など、数多くの貴重な建物が残されています。また境内の東には、寺の鎮守として創立された手向山八幡宮があります。
南大門(鎌倉時代)・法華堂(正堂/奈良時代・礼堂/鎌倉時代)・鐘楼(鎌倉時代)・大仏殿(江戸時代)・開山堂(鎌倉時代)・転害門(奈良時代)・本坊経庫(奈良時代)・正倉院正倉(奈良時代)・二月堂(江戸時代)の9棟が国宝建造物に指定されています。
奈良の大仏さまで知られる奈良時代創建の代表的な寺院で、都である平城京に全国の国分寺の中心として建立されました。大仏殿は世界最大級の木造建造物です。
天平15年(743)に聖武天皇が生きとし生けるすべてのものが栄えるようにと願い、盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)造立の詔を発し、天平勝宝4年(752)に大仏さまは開眼されました。以降次々と堂塔が建造され、40年近くかけて伽藍が整いました。都が移ったあとも大仏さまの寺として朝野の篤い信仰を集めました。しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を失いました。重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。現在の伽藍の多くは公慶上人らによって江戸時代に再興されたものですが、法華堂や転害門、南大門をはじめ、各時代を代表する国宝建造物を含む多くの文化財を伝えています。
所在地:奈良市雑司町406-1
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奈良の大仏
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奈良の大仏の特徴
東大寺大仏 -盧舎那仏とは-
聖武天皇は、災害や政変、反乱などが相次ぐ当時の社会不安を、仏法の力によって解消しようと(鎮護国家思想)、全国に国分寺の創建を推進する一方、大仏造立を発願。 東大寺の本尊として世界最大の金銅仏、盧舎那仏(るしゃなぶつ)の造営が始まり、天平勝宝4年(752年)に開眼法会が盛大に行われました。
盧舎那(ルシャナ)・毘盧遮那(ビルシャナ)=いずれもサンスクリット語のヴァイローチャナの音訳で、光明があまねく照らすという意味の「光明遍照」と漢訳される、華厳経の教主です。平安時代の密教で宇宙の根本仏とされる大日如来は、ビルシャナ仏から展開した仏です。
大仏さまと大仏殿の造立には当時人口の約半分、のべ260万人もの人々が協力しました。
奈良の大仏、その大きさ
大仏の頭3.2m、体15m、台座3m
詳細
座高 1,498cm
顔の長さ 413cm
顔の幅 320cm
目の長さ 102cm
鼻の幅 98cm
鼻の高さ 50cm
口の長さ 133cm
耳の長さ 254cm
手のひらの長さ 148cm
中指の長さ 108cm
足長(左足)374cm
ひざの厚さ 223cm
銅座の高さ 304cm
石座の高さ 252cm〜258cm仏教伝来 -どのようにして仏教が伝わったか-
仏教は、紀元前6世紀(紀元前5世紀説も有)に、インド、ネパール国境付近のシャカ(釈迦)族の王子として生まれた釈尊の教えです。 釈尊は青年時代に、人の生・老・病・死などの苦悩に深い思いをいたし出家。 約6年間にわたる苦行や瞑想により、仏陀(覚者)となられ、 悟りの内容や、だれもが覚者となれる可能性があることなど、その教えを広めました。 日本ではまだ縄文時代で、竪穴式住居に住み、狩りや植物などの採集などで生活していました。 その後、ガンダーラやバーミヤンからシルクロードの長い旅をして、552年(538年という説もある)に百済から日本に伝わったとされています。
釈迦(しゃか)族=ヒマラヤ山麓の小国、ネパール南西部に部族国家を形成した。釈尊の生誕地はルンビニ
釈尊(しゃくそん)=釈迦牟尼世尊の略(釈迦族の聖者)、本名はゴータマ・シッダールタ
仏陀(ぶっだ)=仏、真理を悟った者
入滅(にゅうめつ)=涅槃に入る、仏陀の死
涅槃(ねはん)=煩悩(人の心身をわずらわし悩ませる迷いの心)を断じて絶対自由となる
煩悩(ぼんのう)=人の心身をわずらわし悩ませる迷いの心
ガンダーラ=現在のパキスタンの一地方
バーミヤン=現在のアフガニスタンの一地方
百済(くだら)=現在の朝鮮半島中西部国分寺創建の詔 -なぜ東大寺を建てたか-
仏教伝来後、聖徳太子などが仏教を広めました。その後、藤原京から平城京に都が移ってからまもなく、政変や皇族同士の争い、疫病(えきびょう)、自然災害が多発しました。 天平十三年(741)に聖武天皇は国分寺創建の詔(みことのり)を発し、国ごとに仏像を造り、七重の塔を建て、仏法の力によって国を救おうと考えました。
国分寺創建の詔=国ごと(当時62の国にわけられていた)に鎮護国家のためのお寺を建てる、国分寺と共に国分尼寺も創建
ストゥーパから仏像 -なぜ大仏を造ったか-
仏像は釈尊の死後、約500年たってから始めてつくられたものです。当初、アショーカ王が釈尊の遺骨(舎利)を納めた塔、卒塔婆(ストゥーパ)などを礼拝の対象とし広めました。やがて、釈尊を人間像としてではなく、聖樹(菩提樹)・聖壇(台座)などで象徴し、礼拝するようになりました。 その後、アレクサンダー大王の東方遠征の際、ヘレニズム文化の影響により人間像の仏陀(仏像)が生まれたと言われます。紀元後1~2世紀にガンダーラやマトゥラー(インド)ではじめて仏像が誕生し、シルクロードを経て日本に仏教と共に伝わりました。東大寺の大仏は、中国洛陽の龍門奉先寺の大毘盧舎那仏をモデルにしたといわれ、鎮護国家仏教の拠点である東大寺にふさわしい本尊として造立されました。
アレクサンダー大王=ギリシャの大王、西北インド遠征時にヘレニズム文化を伝える
ヘレニズム文化=ギリシャとオリエントの文化が影響しあいうまれた文化
マトゥラー=現在のインド中部
龍門(りゅうもん)=北魏時代の494年頃から唐代まで石窟が開かれ、 約9万体の仏像があると言われる
奉先寺(ほうせんじ)=唐の則天武后の時代(675年頃)に造立された大仏が有名大仏開眼供養会から現在-その後の大仏-
天平勝宝4年(752年)、大仏さまの目に筆で瞳を描いて魂を迎え入れる儀式-「大仏開眼供養会」-が行われました。 開眼の導師を勤めたのはインドの僧侶、波羅門僧正・菩提僊那(ぼだいせんな)です。 また、中国や朝鮮をはじめ諸外国の珍しい音楽や舞踊などが披露され、当時の東アジアの中では最大級の国際イベントとなりました。東大寺は鎮護国家の役目とともに、仏教の教理を広く研究することが求められていました。華厳、法相、三論などの6宗(南都六宗)を研究する組織が整えられ、六宗兼学の寺として、今で言うところの国立総合大学の機能を持っていました。 その中で最も重んじられたのが華厳宗で、本尊として華厳の盧舎那仏がまつられました。 しかし、斉衡2年(855年)に大地震により仏頭が落下。また、源氏と平氏の戦いのなか、治承4年(1180年)には平重衡の南都焼き討ちにより、大仏殿などが焼失しました。まもなく大仏は修復、大仏殿も再建されましたが、戦国時代の永録10年(1567年)、再び戦火により大仏殿は焼失、大仏も被災してしまいます。雨ざらしとなっていた大仏は修理され、元禄5年(1692年)に開眼供養会が、続いて宝永6年(1709年)には、大仏殿の落成を祝う「落慶供養」が行われました。 その後、明治元年(1868年)に出された神仏分離令(神道を国の宗教とし、仏教と分離する政策)により、南都の諸寺がいずれも衰えたため、大仏殿も世間から顧みられない状況となりますが、困難をおして解体修理が行われました。さらに「昭和の大修理」を経て現在に至っています。
今日の大仏さまは、奈良、鎌倉、室町、江戸の各時代の合作とも言えます。世界が平和で全てのものが栄えることを願って造立された大仏さまは、多くの人々の手で護り伝えられているのです。
出典 奈良市観光協会公式サイト
所在地:奈良市雑司町406-1
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興福寺
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興福寺の特徴
669年に前身寺院が創立されたのがはじまりです。遷都にともなって平城京に移され、興福寺となりました。藤原氏の氏寺ですが、主要堂塔の建立の発願は天皇や皇后によるものが多く、造営工事も政府直営ですすめられました。平安時代以降、たびたび火災にあいましたが、藤原氏の力を背景にそのつど再建されてきました。
五重塔は奈良のまちのシンボルとなっており、猿沢池からのながめは多くの観光客に親しまれています。北円堂(鎌倉時代)・三重塔(鎌倉時代)・五重塔(室町時代)・東金堂(室町時代)の4棟が国宝建造物に指定されています。南都七大寺の中で最も密接に奈良の街とつながりを持ちながら発展した寺。和銅3年(710)藤原不比等が飛鳥から平城京へ前身の厩坂寺を移転したもので、藤原氏の氏寺として、藤原一族の隆盛とともに寺勢を拡大しました。最盛時には数多くの堂塔僧坊が立ち並んでいたといいます。また、神仏習合の影響をうけ、春日社と一体化し、時には僧兵をしたがえて朝廷へ強訴に及ぶまでになりました。治承4年(1180)平家に焼き打ちされ、ほとんどの堂が焼失しますが、直ぐに再建されました。鎌倉時代には大和守護職の実権を握り、実質的に大和国一帯を支配していました。現在の堂塔は、鎌倉以降の建物を一部残し、広い境内に東金堂・中金堂・北円堂・南円堂・五重塔・三重塔・大湯屋・大御堂・国宝館などが建並び、仏教彫刻類は天平時代や鎌倉時代の至宝を数多く保存しています。(中金堂は平成30年(2018)に落慶しました。)
所在地:奈良市登大路町48
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春日大社
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春日大社の特徴
奈良時代の初め、平城京鎮護のために茨城県鹿島の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂に祀ったのが起こりとされています。神護景雲(じんごけいうん)2年(768年)、称徳天皇の勅命により現在の場所に社殿を造営し、千葉県香取から経津主命(ふつぬしのみこと)、大阪府枚岡から天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)をあわせて祀りました。
平安時代になると皇族や貴族の春日詣も盛んになり、20年ごとの式年造替の確立に伴い、本殿以下各社殿は現在のような規模になりました。また中世以降になると武家や庶民にも信仰が広まり、全国各地に3,000社を超える分社が造られるまでになりました。
境内には「万燈籠」で知られるさまざまな形の釣燈籠、石燈籠があり、それらの多くは庶民の寄進によるものだということからも、庶民信仰の深さを伺い知ることができます。毎年2月節分の日と8月14・15日にすべての燈籠に火を入れる「万燈籠」の神事が行なわれ、その幻想的な美しさに、多くの参拝客が訪れます。
所在地:奈良市春日野町160
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春日大社の藤
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春日大社の藤の特徴
我が国最古の万葉植物園である春日大社萬葉植物園には、早咲きから遅咲きまでの20品種、約200本の藤が順に開花(4月中旬~5月中旬)する藤の園があり、一年通しての通常拝観料で参観できます。御本社の砂ずりの藤の見頃はゴールデンウィーク。
春日大社と藤
春日大社の社紋は『下り藤』です。藤は境内随所に古くから自生し、藤原氏ゆかりの藤ということもあり、次第に定紋化されました。御巫の簪、また春日若宮おん祭の「日使」の冠にも藤の造花が見られます。とりわけ御本社の「砂ずりの藤」は、名木として知られています。
藤の名所 萬葉植物園 藤の園
20品種、約200本を植栽しております。
一般的な棚造りではなく、『立ち木造』というこだわりの形式をとり、藤棚のように見上げずに目線で花が観賞できます。そして、花が外向きに咲くことで常に光を浴び美しく見える、まさに自然と一体化した風光優美な庭園になっています。早咲きの頃には、園内中に香りを広げる中国の『麝香藤』や濃いピンク色の『昭和紅藤』など、珍しい藤が多く咲きます。期間の中旬から長い房の藤や『八重黒龍藤』などが咲き始めます。
藤の花の開花時期
開花期間は気候により多少前後しますが、例年4月末頃から5月上旬頃までです。
早咲きの開花から遅咲きが咲き終わるまで約2週間で、すべての藤が一斉に咲き揃うことはありません。
毎年大型連休のころが満開になることが多く、ご来園の方が集中します。ご鑑賞には期間中の平日をおすすめします。藤の種類
『藤の園』には20品種・約200本もの藤の木があります。
山藤系
甲比丹藤 【早咲き】
白甲比丹藤 【早咲き】
昭和紅藤 【早咲き】
岡山一歳藤 【早咲き】
緋ちりめん藤 【早咲き】野田藤系
口紅藤 【早咲き品種】
新紅藤 【早~中咲き品種】
長崎一歳藤 【早咲き品種】
黒龍藤 【中咲き品種】
八重黒龍藤 【中咲き品種】
九尺藤 【中咲き品種】
本紅藤 【中~遅咲き】
海老茶藤 【中咲き】
白野田藤 【遅咲き】支那藤系
白花支那藤 【早咲き】
麝香藤 【早咲き】
所在地:奈良市春日野町160-7
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春日山原始林
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春日山原始林の特徴
春日大社の東側にある春日山は、841年に狩猟と伐採が禁止されて以来、大社の聖域として保護されてきました。カシ、シイ類を主体とした常緑広葉樹林の原始林となっています。昼なお暗い山内には、モリアオガエル、ヒメハルゼミ、カスミサンショウウオなど珍しい動物が生息しています。原生的な状態を維持している照葉樹林としても貴重ですが、日本人の伝統的な自然観とふかく結びついて保護されてきたということが、人とのかかわりを示しています。スケールの大きな鎮守の森なのです。このため、春日大社と一体のものとして文化遺産に含まれています。
昭和30年に特別天然記念物に指定され、また平成10年(1998)世界遺産に登録されました。
所在地:奈良市春日野町
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元興寺
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元興寺の特徴
前身は6世紀末蘇我馬子によって開かれた法興寺(飛鳥寺/明日香村)でしたが、平城遷都に伴い現在地に新築移転され、名も元興寺と改められました。かつては南都七大寺の一つとして威勢を振るい、現在の奈良市街の南東部を占めていました。広大な境内には、金堂・講堂・五重塔・僧房などが立ち並んでいましたが、平安時代半ば、その勢威も衰えてしまいました。現在では僧坊の一角が唯一現存しています。
極楽堂はかつての元興寺僧坊の一部で、鎌倉時代に極楽堂〔国宝〕と禅室〔国宝〕に改築されました。屋根には飛鳥・奈良時代の瓦も現存しています。中世以来庶民の信仰を集め、境内から無数の石仏と民俗資料が発見されています。法輪館には奈良時代の木造五重小塔〔国宝〕木造阿弥陀如来坐像・中世庶民信仰資料〔各重文〕などが多数安置されています。
所在地:奈良市中院町11
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薬師寺
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薬師寺の特徴
今からおよそ1300年前の白鳳時代、天武天皇が皇后・鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ/のちの持統天皇)の病気平癒を祈って発願され、持統天皇が即位してから藤原京に造営されました。その後平城遷都に伴い、養老2年(718)に現在地に移されました。中央に本尊・薬師三尊像をまつる金堂、東西に2基の塔を配する日本初の伽藍配置は「薬師寺式伽藍配置」と呼ばれています。その大きな特徴は、堂塔の各層に裳階(もこし)をつけた壮麗な姿の「龍宮造り」でした。
しかしその華麗な堂塔は数次の火災にあって次々と焼失し、創建当時から現存する建造物は東塔(国宝)のみとなりました。その後、長年のお写経勧進により、昭和51年(1976)に金堂が、昭和56年(1981)には西塔が、その後中門、回廊、玄奘三蔵院伽藍などが復原造営され、平成15年(2003)には大講堂が落慶、平成29年(2017)には食堂(じきどう)も再建、創建当時の壮麗な白鳳伽藍が鮮やかに復興されました。平成10年(1998)、法相宗大本山 薬師寺は「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、ユネスコの世界遺産に登録されました。
近年では、国宝・東塔の12年に及ぶ全面解体修理が行われ、令和3年(2021)2月に竣工。「凍れる音楽」という愛称で親しまれる美しい姿に蘇りました。薬師寺は、白鳳伽藍とともに国宝・薬師三尊像をはじめとする多くの文化財を継承し、1300年続く祈りを今も伝えています。
所在地:奈良市西ノ京町457
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唐招提寺
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唐招提寺の特徴
聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によって建立されました。鑑真和上は日本に着いてから5年間、戒壇院での授戒を制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、東大寺を引退された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そこを「唐律招提」と称し、戒院として教学の場を営むことになりました。やがて鑑真和上を支持する人々から居室や宿舎を贈られ、倉庫、食堂、講義用の講堂、本尊を安置する仮金堂などが建てられ、鑑真和上の没後も金堂や東塔が建立されました。平安時代初頭に伽藍全体が完成し、そのころ「唐律招提」から「唐招提寺」となりました。
所在地:奈良市五条町13-46
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唐招提寺金堂
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唐招提寺金堂の特徴
南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、その建立年代を示しています。堂内は、連子窓から取り入れられた柔らかな光に満たされ、中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。
唐招提寺は奈良市街の西方、秋篠川西岸に所在する律宗総本山である。天平宝字3年(759)に平城京右京五条二坊の土地を朝廷から賜り、鑑真によって開かれました。
金堂は桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺で南面して建ち、南側一間を吹放ちとしています。金堂は九世紀初頭までに建設されたと考えられ、その後、近世以前には平安時代後期に軒廻りの修理、鎌倉時代に石造須弥壇を築造、元亨年間(一三二一~二四)に屋根葺替、元禄年間(一六八八~一七〇四)に解体修理などの修理が行われました。明治三一年から三二年までの保存修理では解体修理が行われ、小屋組をトラスに置換えました。
唐招提寺金堂は、奈良時代につくられた寺院金堂の唯一の遺構です。後世の修理によって改変を受けていますが、建造物の保存修復の歴史を今に伝えており文化史的な意義が認められます。
所在地:奈良市五条町13-46
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平城宮跡・平城宮跡歴史公園
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平城宮跡・平城宮跡歴史公園の特徴
和銅3年(710年)に藤原京より遷都された平城京の中心であった「平城宮(へいじょうきゅう)」の宮跡で、1998年(平成10年)には「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、世界遺産に登録されました。長期間にわたって調査や復原整備が進められており、東西1.3km、南北1kmの広大な敷地に第一次大極殿、朱雀門などが復原されています。2018年(平成30年)には5つの複合施設を含む「朱雀門ひろば」がオープンし、平城宮跡歴史公園(正式には「国営飛鳥・平城宮跡歴史公園 平城宮跡区域」)となりました。四季の移り変わりを感じられる自然の風景や、1年を通じて行われる多彩なイベントも見どころです。
出典 奈良市観光協会公式サイト 平城宮跡歴史公園公式サイト
所在地:奈良市二条大路南、奈良市佐紀町
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正倉院
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正倉院の特徴
東大寺を創建した聖武天皇の遺品をはじめとする宝物や東大寺の年中行事用の仏具を納めた倉で、世界的に知られた古美術の宝庫です。校倉造の正倉はあまりに有名で国宝に指定されています。外構は一般公開されており、また宝物の一部は毎年秋、奈良国立博物館で正倉院展として公開されています。
所在地:奈良県奈良市雑司町129
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奈良公園
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奈良公園の特徴
奈良市街の東一帯に広がる、総面積約660ヘクタールという広大な公園。東大寺・興福寺・春日大社・国立博物館などと一体となり、さらに春日山原始林まで取り込む古都にふさわしい雄大な公園です。美しい芝生と樹齢1000年の松木立などの豊かな自然が調和した園内では、約1,300頭の野生のシカが群れ遊び、古都奈良を象徴する観光スポットとして多くの人が訪れています。
所在地:奈良市春日野町ほか
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奈良公園の鹿
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奈良公園の鹿の特徴
奈良公園に生息するシカは国の天然記念物に指定されている野生動物です。 決して飼育されている動物ではありません。野生動物は「無主物」であり、所有者はありません。 だからといって、個人が捕まえたり、傷つけたりすることは違法行為です。シカはかわいい動物ですが、その生態を知らないと被害を受けることもあります。
野生動物ですので、時として攻撃することがあります。シカに突進される・角で突かれる・噛み付かれる・蹴られる等してケガをすることがありますので、不用意にシカに触れたり子どもだけでシカに近寄ったりしないでください。
また、春は出産後のメスジカが我が子を守るため、秋はオスジカが発情期に入るため、気が荒くなっていて人に襲いかかることもありますので、特に注意が必要です。奈良公園では、シカにエサを与えることを禁止しています(鹿せんべいは例外です)。奈良公園のシカは野生動物であり、公園内に生えている植物(シバ、葉っぱ、ドングリなど)を主食とし、それらを自力で食べて生きています。
鹿せんべいはシカの大好物のおやつですが、それ以外の食べ物(お菓子、パン、野菜、残飯など)を与えるとシカが病気になったり、事故につながったりするおそれがあります。絶対に鹿せんべい以外の食べ物を与えないでください。鹿せんべいは、江戸時代から始まった「奈良のシカ」と人とのふれあいに欠かせないものであり、歴史的背景をもつ文化です。
鹿せんべいは、シカにとって安全に作られたおやつであり、その売り上げの一部がシカ保護の費用に充てられていることから、保護と観光振興の観点から例外として認めています。出典 奈良市公式サイト
所在地:所在地:奈良市春日野町ほか
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西大寺本堂
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西大寺本堂の特徴
称徳天皇の勅願により、天平神護元年(765年)に創建されました。当時は広大な寺域に多数の堂塔が建ち並び栄えていました。平安時代には一時衰退しましたが、鎌倉時代に興正菩薩叡尊上人により密教と戒律を不二一体のものとして双修する「真言律」の根本道場として復興されました。現在残っている本堂(重文)、愛染堂(県指定)、四王堂などは江戸時代中期に建てられたものです。叡尊上人が始めた「大茶盛」の寺としても有名です。
所在地:奈良市西大寺芝町1-1-5
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依水園
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依水園の特徴
かつて奈良晒の御用商人が別邸として作った庭園で、昭和50年に国の名勝に指定された。若草山や春日山、東大寺南大門の屋根が借景となり、あたかも若草山の芝生が園内まで続くかのように中の島と築山は芝生でおおわれています。また園内には、寧楽美術館があり、東洋古美術品を収蔵・展示しています。
所在地:奈良市水門町74
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浮見堂
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浮見堂の特徴
奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂です。水面に写る姿が美しく、水辺の憩いの場となっています。大正5年(1916)に建てられ、昭和41年(1966)に修復、現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえらせました。 春日大社より浅茅が原の林をぬけて行くとつきあたります。
出典 奈良市観光協会公式サイト
所在地:奈良県奈良市高畑町
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月ヶ瀬梅林
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月ヶ瀬梅林の特徴
初春を真っ先に感じさせる花と言えば、やっぱり梅。梅の名所「月ヶ瀬」の中央には渓谷美を描きながら五月川が流れ、その両岸に約1万本の梅樹が立ち並びます。この地は「月ヶ瀬梅渓」と言われ、大正11年には名勝地に指定。シーズンになると梅の花を目当てに川沿いを散策する人々が見られます。また、無数の梅が咲き競う姿にまばゆさを感じながら、真福寺や天神社沿いの道を歩く人も。休憩しながら、梅グルメやお餅、山の幸、お茶などがお店でも楽しめます。奈良市中心部から月ヶ瀬梅林までは、車で約1時間、バスであればJR・近鉄奈良駅から約80分。
散策も兼ねて小旅行へ出かけてみてはいかが?出典 奈良市観光協会公式サイト
所在地:奈良市月ヶ瀬尾山
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旧大乗院庭園
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旧大乗院庭園の特徴
旧大乗院庭園は、15世紀の半ば過ぎ、善阿弥とその子が、京都から招かれて改修されたものです。善阿弥は義政に寵愛された作庭の名手。現在は、奈良ホテルのすぐ南にその一部が残されています。また、その一角に建てられた「名勝大乗院庭園文化館」では、かつての大乗院を復元した模型や、関係資料を公開しています。
出典 奈良市観光協会公式サイト
所在地:奈良市高畑町1083-1
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円成寺庭園
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円成寺庭園の特徴
柳生街道随一の名刹で、本堂は藤原期の阿弥陀堂様式の室町建築です。大仏師運慶青年期在銘の大日如来像(国宝)は相應殿に安置されています。また、鎮守春日堂、白山堂(国宝)は、全国最古の春日造社殿となります。円成寺庭園(名勝)は藤原期の浄土式舟遊式の名園です。
名勝庭園
円成寺でまず目に入るのが、楼門前に広がる美しい庭園です。平安時代末期に寛遍上人のころに造成されたと見られています。平安から鎌倉時代にかけて貴族住宅に流行した寝殿造系庭園に類似し、寺院としては阿弥陀堂の前面に広がる浄土式庭園として、奥州平泉(岩手県)の毛越寺庭園とともに貴重な遺構です。
苑池中央と西には中島があり、かつて中央の島には橋が架かっていました。
明治以降、池と伽藍地の間に県道が走り、その景観を著しく損なっていましたが、昭和36年(1961)県道を庭園の南に移し、昭和51年に庭園の復元改修を施行、現在の美しい面目を回復しました。
所在地:奈良市忍辱山町1273
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法華寺庭園
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法華寺庭園の特徴
法華寺は奈良時代総国分尼寺として創建された法華滅罪之寺の法灯を引く尼門跡寺院です。江戸時代に入り、後水尾上皇の皇女で近衛信尋の養女として入寺した高慶尼が秀頼復興後の寺域を整え、客殿は寛文年間御所からの移築、庭園もそのときの作庭で、御所的な雰囲気を感じさせています。庭園は三区からなり、中門から客殿に至る前庭、客殿南面の内庭、上御方西南に広がる主庭からなっています。
前庭は築地によって限られる矩折状の通路で中央部に鱗敷の敷石道を設け、マツ・マキの規則的な植栽列によって縁取られる整形的な格式を感じさせる空間となっています。玄関近くには御所から移植したと伝える梅樹があります。進むに従って通路幅がやや狭くなり、遠近感を演出する構成となっています。
内庭は広くない空間を平庭・露路風に仕上げた瀟洒な庭で、へ字状に折れる透塀で主庭と接し潜門を穿っています。左手に閼伽井・灯籠を配し、右手に捨石一つ、前面に伽藍石を置き若干の高木植栽を配するのみの簡素な構えの壺庭的空間です。
主庭は東から岬状に伸びる築山を包み込むように広がる池を中心とした庭で、岬先端部から池北岸に山形の土橋がかけられています。この土橋を境に東水面には杜若、西水面には蓮が植えられています。上御方正面の築山は透塀潜門東から延びる混植高生垣に巻き込まれるようにして背景(南面)を仕切られています。この築山には枯山水風滝石組と水流を表す砂利敷きが施されていますが、今は灌木が茂りすぎてほとんど見ることはできません。主庭南西隅には高慶尼の元禄14年銘の墓碑があります。
このように法華寺庭園は、三区からなる庭園空間がそれぞれ個性を持って作られていて、尼門跡の格式と優しさを示した御所の雰囲気を感じさせる庭園です。その構成手法は江戸時代前期の特徴を良く表しており、名勝に指定してその保護を図ろうとするものです。
所在地:奈良市法華寺町882
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平城宮東院庭園
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平城宮東院庭園の特徴
「東宮」あるいは「東院」と呼ばれた平城宮跡東の張り出し部分に位置する、優美な庭園。L字型の池を中心に、皇族らが宴会や儀式を行う迎賓館のような役割を果たしていたと考えられています。1967年(昭和42年)に庭園の遺構が発見され、長年の研究成果をもとに1998年(平成10年)に復原されました。2010年(平成22年)には、特に貴重な古代庭園として特別名勝に指定されました。
出典 奈良市観光協会公式サイト
所在地:奈良県奈良市法華寺町480
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