目次
東京都渋谷区はこんなに素敵なところ
渋谷スクランブル交差点、忠犬ハチ公像、渋谷スクランブルスクエア、渋谷ヒカリエ、渋谷ストリーム、QFRONT、渋谷マークシティ、SHIBUYA109、新国立劇場、MIYASHITA PARK、金王八幡宮、渋谷氷川神社、川本喜八郎人形ギャラリー、渋谷区立松濤美術館、戸栗美術館、NHK放送センター、国立代々木競技場、代々木公園、代々木八幡宮、明治神宮、東郷神社、竹下通り、裏原宿、ラフォーレ原宿、表参道、表参道ヒルズ、太田記念美術館、ワタリウム美術館、代官山アドレス、重要文化財 旧朝倉家住宅、恵比寿ガーデンプレイス、広尾ガーデンヒルズ、山種美術館..
こちらでは東京都渋谷区の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい景色、絶景、公園、神社、お寺などのパワースポット、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物、モダン建築などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。
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ねえねえボンゾくん、東京都の渋谷区ってどんなところなの?おすすめの名所や人気の観光スポット、素敵な場所を教えてくれる?

渋谷区には素敵なところがたくさんあるよ! 渋谷スクランブル交差点、忠犬ハチ公像、渋谷スクランブルスクエア、渋谷ヒカリエ、渋谷ストリーム、QFRONT、渋谷マークシティ、SHIBUYA109、新国立劇場、MIYASHITA PARK、金王八幡宮、渋谷氷川神社、川本喜八郎人形ギャラリー、渋谷区立松濤美術館、戸栗美術館、NHK放送センター、国立代々木競技場、代々木公園、代々木八幡宮、明治神宮、東郷神社、竹下通り、裏原宿、ラフォーレ原宿、表参道、表参道ヒルズ、太田記念美術館、ワタリウム美術館、代官山アドレス、重要文化財 旧朝倉家住宅、恵比寿ガーデンプレイス、広尾ガーデンヒルズ、山種美術館なんかがおすすめだね。それじゃあカートくんと一緒に渋谷区のこと、詳しく調べてみようね!
渋谷区のおすすめグルメ、美味しいもの、お土産をこちらの記事で紹介しています。
渋谷駅周辺エリアの名所、人気の観光スポット
渋谷スクランブル交差点
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渋谷スクランブル交差点の特徴
世界一、人がカオスの中を衝突せずに駆け巡るスポット
渋谷の象徴的なひとつの観光資源・スポットとなっている渋谷駅前のスクランブル交差点。世界から訪れる訪都旅行者のうち半数弱が渋谷に訪れており、多くのひとが旅の思い出として記念撮影をしたりなど賑わっています。ピークタイムでは1度に約3,000人が渡り、1日にするとおよそ50万人(駅の乗降客数による算出)が利用する交差点。ここから様々な可能性やストーリーが生まれています。また、渋谷区観光協会では、これまで『人身事故がたったの一度しか起こっていない』ことを背景に、”スクランブル交差点は人々がぶつからない”ことから、関係のもつれ等様々な災難に「ぶつからない」ことを祈願し交差点の刺繍をあしらった「渋谷御守」を渋谷土産として製作・販売しており人気を集めています。
東京都内屈指の繁華街であり流行の発信地でもある渋谷で最も人が多く行き交う場所で、日本の都市風景を象徴する存在として「世界で最も有名な交差点」ともいわれています。また、1回の歩行青信号で1000人以上が行き交うため「世界で最も混雑している交差点」ともいわれています。日本における流行の発信地であるとともに、外国人観光客に人気のスポットです。
この交差点は膨大な通行人数もさることながら、ニュース番組や天気予報で頻繁にテレビ中継されることもあり、設置する広告の露出効果は極めて高く、日本における屋外広告の代表的スポットになっています。交差点の周囲には屋外広告が林立し、映像を流し続ける何枚もの大型屋外ビジョン(デジタルサイネージ)からは音楽や宣伝コピーが鳴り響き、映画監督のソフィア・コッポラはその光景を「まるで『ブレードランナー』のようだ」と表現しました。
この交差点が海外へ広く知られるようになったきっかけは、ソフィア・コッポラが監督した2003年の映画『ロスト・イン・トランスレーション』のロケ地の一つとなったことに遡り、ラインプロデューサーを務めた井上潔によるとこの映画が「日本のイメージとしての渋谷を、広く海外へと知らしめる契機となった」。その後、この交差点は東京を代表するロケーションとして日本映画のみならず多くの海外映画にも登場するようになり(例えば2006年の『バベル』、2006年の『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』、2010年の『バイオハザード4』など)、ほか様々なテレビドラマやプロモーションビデオのロケ地にもなっています。
所在地:東京都渋谷区道玄坂下
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忠犬ハチ公像
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忠犬ハチ公像の特徴
渋谷駅の待ち合わせスポットとして誰にも知られる忠犬ハチ公像のハチ公は帰らぬ故主の帰りを7ヵ年も駅頭で待ち続けました。
ハチ公の生涯
ハチ公は大正12年11月(1923年)に秋田県大館で生まれた純粋の秋田犬です。色は淡黄色、両耳は直立し、尾は左巻き、肩の高さ2尺1寸3分、体重11貫200匁、元気旺盛の時は14貫もあったといいます。
生まれた翌年、東京帝国大学農学部教授上野英三郎に養われ、彼は犬と食事を共にするほどの愛犬家であったといいます。渋谷町大向(現在の松濤一丁目)の自宅から渋谷駅まで常にこれを伴い、ハチ公もまた主人の帰る頃には駅前に出迎えるのが恒例でした。しかるに大正14年(1925年)5月に上野教授が急逝してから後も、預け先から故主を慕って逸走し渋谷駅頭に帰りを待ち続けました。そのいじらしい哀情が東京朝日新聞で伝えられてから全国にその名が高まりました。昭和9年(1934年)には銅像も作られましたが、翌10年3月に13歳で病没しました。墓は青山墓地の上野博士の傍らに設けられ、遺骸は剥製となって国立科学博物館に保存されています。
ハチ公銅像
初代ハチ公像は帝展審査員安藤照氏の手になり、昭和9年4月21日に除幕式が行われました。台座の高さは180cm、像高は162cmであったといいます。ハチ公自身も式に参列しました。しかし、昭和19年(1944年)に戦時中の金属回収令により鋳つぶされてしまいました。
現在の二代目ハチ公像は安藤照氏の子息・士氏の手になり、昭和23年(1948年)8月15日に除幕式が行われました。
生誕の地の秋田県大館の駅頭にも銅像が建てられています。
出典 渋谷区立図書館公式サイト
所在地:ハチ公前広場 東京都渋谷区道玄坂2丁目1
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渋谷スクランブルスクエア
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渋谷スクランブルスクエアの特徴
東急・JR東日本・東京メトロの鉄道会社3社の共同開発によって誕生した、1日の利用者数が約330万人を誇る渋谷駅に直結した大規模複合商業施設であり、商業施設、オフィス、交流スペース、展望施設などで構成されています。
都市再生特別地区認定事業となっており、旧渋谷駅街区プロジェクトとして2014年6月に第1期着工。渋谷駅の直上に位置し、東棟・中央棟・西棟の3棟で構成されます。第1期の東棟は高さ約230 m、地上47階・地下7階建て、延床面積約181,000 m2で、東急東横線旧渋谷駅地上駅舎及び東急百貨店東横店(東館)跡地に2019年11月1日に開業。また、第2期に当たる中央棟・西棟は2020年3月31日をもって閉店し解体された東急百貨店東横店(西館・南館)跡地及びJRの線路上に建設する計画で、両棟を含めた街区全体(延床面積約270,000 m2)の完成は2027年度を予定しています。2013年の東急東横線渋谷駅の地下化をきっかけに行われる渋谷駅及びその周辺地域の大規模再開発の中核を担う施設です。連絡橋を介して渋谷ヒカリエや渋谷ストリームと行き来することが可能。
東棟に関しては、低層階から中層階は大規模商業施設、高層階はハイグレードオフィス、最上階には開放感のある屋上展望台の「SHIBUYA SKY」が設けられています。
中低層部のショップ&レストランはコンセプトを「ASOVIVA(アソビバ)」とし、「若者の街」というイメージが強い渋谷の中心に位置する中、あえてターゲットを絞らず、年齢・性別・国籍問わず多様な客を取り込むことを目指しています。また、それまでの駅ビル型ファッションビルとしては珍しく、テナントとしてラグジュアリーブランドが入居していることが特徴。従来のようなアパレルブランドはもちろんハンズや東急百貨店のコスメやファッションの自主編成売場、JR東日本のスーパーマーケット業態である紀ノ国屋やエキナカ商業施設「エキュートエディション」などで構成されています。また、14階には 渋谷に法律上の「主たる事務所」を構える日本放送協会(NHK)の本部施設・NHK放送センターの老朽化に伴うサテライトスタジオ兼スタジオパークの代替施設として開設された「NHKプラスクロスSHIBUYA」が入居しています。
オフィスフロアにはMIXIやサイバーエージェント、DeNAといったITの大手企業や、ロッキング・オン、エヌエヌ生命保険などが入居しています。
所在地:東京都渋谷区渋谷2丁目24−12
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渋谷ヒカリエ
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渋谷ヒカリエの特徴
渋谷ヒカリエは、東京都渋谷区の渋谷駅東口に位置する東急文化会館跡地に建設された東急グループの複合商業施設。東急百貨店や飲食店、事務所のほか、ミュージカル劇場「東急シアターオーブ」などが入居しています。2012年のグッドデザイン賞を受賞。
17 – 34階 オフィス
34階 STPR(本社・レコーディングスタジオ・VRスタジオ)
30階 三基商事(東京本部)
19階、27 – 29階 アダストリア(本社)
20 – 26階 ByteDance株式会社
17階 株式会社スカラ(本社)
11 – 16階 「東急シアターオーブ」(劇場) ※運営会社は株式会社東急文化村
11階 「シアターガーデン」(オフィス・劇場エントランス)
9・10階 「ヒカリエホール」(イベントホール)
8階 クリエイティブスペース「8/(はち)」、渋谷区防災センター・区民サービスセンター、川本喜八郎人形ギャラリー
7階 ダイニング (柴田陽子プロデュース)
6階 カフェ(柴田陽子プロデュース)
地下3 – 地上5階 「ShinQs(シンクス)」(商業施設) ※運営会社は東急百貨店
地下2階・3階 「東横のれん街」(食品売場)
もとは東急百貨店東横店の名店街として1951年に開設。再開発による東急百貨店東横店東館閉館に伴い、2013年4月に渋谷マークシティに移転。2020年5月に渋谷ヒカリエに再移転した。
地下3階 東急東横線・東京メトロ副都心線渋谷駅改札(東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線も利用可)、渋谷スクランブルスクエア地下連絡口
地下4 – 地下2階 駐車場2005年に渋谷駅周辺(139ha)が都市再生特別措置法に基づく特定都市再生緊急整備地域に指定されて以降、同地域では東急東横線地下化に伴う複数の大型開発プロジェクト(渋谷再開発)や区画整理事業(渋谷駅街区土地区画整理事業)が進められています。そのトップバッターとして開業したのが、渋谷駅東口に竣工した高層複合施設・渋谷ヒカリエです。
東急東横線/東京メトロ副都心線(・東急田園都市線/東京メトロ半蔵門線)の渋谷駅と地下で直結し、低層部には東急百貨店が運営する「ShinQs(シンクス)」やカフェ・レストランフロア「dining6」等の商業施設、中層部には「東急シアターオーブ」「ヒカリエホール」等の文化施設、高層部にはディー・エヌ・エー等が入居する業務施設(オフィス)がゾーニングされ、それらを立体的に集積しています。また明治通りの向かい側にある渋谷スクランブルスクエア(東棟)とは連絡橋を介して行き来する方が可能。渋谷における情報・文化の発信拠点として、渋谷の新たなランドマークとなることが期待されます。
また、渋谷特有の谷状の地形に合わせて立体的に街をつなぐ役割も有し、「アーバン・コア」と呼ばれる巨大な吹き抜けを通して縦方向の動きを確保しています。渋谷という交通の結節点において公的動線の一翼を担い、人々を有機的に結び付ける役目も果たしています。
所在地:東京都渋谷区渋谷2丁目21−1
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渋谷ストリーム
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渋谷ストリームの特徴
渋谷ストリーム(しぶやストリーム、英称:SHIBUYA STREAM)は、日本の東京都渋谷区渋谷3丁目に所在する複合商業施設。東急東横線の旧渋谷駅地上駅舎ホーム南部の線路跡地及び周辺地域を再開発して開業した高層ビルです。低層階はカフェ&レストラン、高層階はホテル、オフィスなどから構成される複合施設。
オフィスフロア14階から35階の全てを、Googleの日本法人であるグーグル合同会社が一括で借り上げています。また、官民連携で付近を流れる渋谷川や川沿いの遊歩道の整備も行われました。第62回BCS賞受賞。
東京急行電鉄 (現:東急)は東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転による地下化を契機に、高架橋跡地及び隣接する個人地権者との共同で開発事業を進めることを決定し、都から都市再生特別地区の認定を受け、2015年8月に「渋谷駅南街区プロジェクト」として再開発事業に着手。3年余りの歳月を費やし、2018年9月13日、地上35階・地下4階建てのタワーを中核とする複合施設「渋谷ストリーム」を開業しました。名称は付近に渋谷川が流れていることから流れや小川を意味する「STREAM(ストリーム)」にちなんでいます。
敷地は駅と線路であったため細く長く、国道246号線を跨いで南の代官山方面に伸びていく独特の形状をしています。そこでこれを活かし、渋谷駅南側は交通量の多い国道246号線があることで人の流れが分断されていたため、この分断をなくし、渋谷散歩の延長で南側まで歩いてもらいたいとして、渋谷ストリームは建物の外と中の区別をなくし、遊歩道のような建物を目指し建設されました。
この建物の外部と内部をシームレスにし、高低差の激しい地形という渋谷ならではの問題を解決するため、渋谷ストリームでは「アーバン・コア」という概念が取り入れられました。アーバン・コアとは建築家・内藤廣(東京大学名誉教授)ら学識経験者がメンバーとして名を連ねた「渋谷駅中心地区まちづくり指針2010」が提言したもので、渋谷の駅と街、地上と地下をスムーズに結びつける垂直移動の仕掛けで、単にビル内にエレベーターやエスカレーターを設置するのではなく、地上と地下をつなぐと同時に、屋内と屋外をゆるやかにつなげていく、街をひらく仕組み。
アーバン・コアの設置で渋谷ストリームでは、東横線・田園都市線、半蔵門線・副都心線地下3階から、一気に渋谷駅東口国道デッキや渋谷ストリームへのアクセスが可能となっています。2階の貫通通路「国道246号横断デッキ」は国道246号線をまたぐ旧東横線の高架線路を生かした歩行者デッキで、デッキ上には東横線地上駅舎時代の旧渋谷駅の名物であった蒲鉾型の屋根が再現され、渋谷スクランブルスクエアや渋谷ヒカリエなどとつながります。
官民連携で隣接して南北に流れる渋谷川の整備も行われ、これまでは水流が少なく、どぶ川のイメージが強かったのですが、下水処理を行って再生水を利用し、水流が復活しました。また、渋谷ストリームから並木橋までの川沿いには遊歩道「渋谷リバーストリート」が設けられ、遊歩道には鉄道遺構やモニュメントなども設置されました。遊歩道の先には東急が建設したA棟の保育所、B棟のホテル・店舗・オフィスからなる「渋谷ブリッジ」が渋谷ストリームと同日に開業しています。
所在地:東京都渋谷区渋谷3丁目21−3
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QFRONT
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QFRONTの特徴
QFRONT(キューフロント)は、東京都渋谷区にある商業ビル。渋谷スクランブル交差点に面した渋谷駅周辺のランドマークの一つであり、建物脇には渋谷センター街入口があります。
QFRONTが完成するまでここには、東海銀行や渋谷宝塚劇場などが入る「峰岸ビル」(1960年竣工)がありましたが、渋谷スクランブル交差点前という好立地にかかわらず影の薄いものでした。渋谷をおひざ元とする東急百貨店グループにとって、同ビルの再開発は長年の課題でしたが、800平方メートルに満たない中途半端な敷地面積が、通常のショッピングセンター的な開発を阻んでいまし。
1990年代に入り、東急グループの渋谷再開発(渋谷マークシティ、セルリアンタワー)の一環で、旧建物の建て替え計画が持ち上がります。三浦守東急百貨店社長から相談を受けたアール・アイ・エーの近藤正一は、この場所には、”看板仕上げ”の建物か、内部の動きが透けて見えるような半透明の真っ白な建物か、どちらかと思い、漠然とした建物イメージが固まってきたころ、東急ハンズの業態開発に参画した浜野安宏氏が、メディアやデジタル関連のテナントを集積させ、建物は、透明か半透明のファサードで巨大な映像とアートで覆い、形態を感じさせないようにすることを提案。同時に「グレーター・シブヤ」(拡大渋谷圏)構想を掲げ、女子高生が闊歩する駅周辺に商圏を狭めるのではなく、近隣の商業集積エリアである初台、恵比寿、三軒茶屋、六本木という半径3キロメートル圏まで拡大、そこに台頭するデジタル族という新しいターゲット層を取り込むという概念をひねりだし、浜野氏は総合プロデュースを手掛けることになりました。
「不在建築」というコンセプトのもと建てられたQFRONTは、建物内部はラチス構造の無柱空間で、狭く変形した敷地ながら店舗面積を最大限確保。地下2階から地上8階までの10層のうち、7階の東宝の映画館「渋谷シネフロント」(2010年1月22日閉館)を除くすべてのフロアにカルチュア・コンビニエンス・クラブが入居し、筆頭店と位置付けられた「SHIBUYA TSUTAYA」は同社の店舗の中で最大の在庫を揃えました。
街頭ビジョン
キューズ・アイ
建物の目玉はダブルスキン・カーテンウォールに内蔵された街頭ビジョン「キューズ・アイ(Q’s EYE)」。2005年には老朽化に伴いビジョンを交換し、2013年には既存中央の「メインビジョン」(横13m×縦7.7m)の周囲を取り囲むように新たに配置した「アートビジョン」(横19m×縦23.9m)の設置工事が完了しました。2種類となったLEDディスプレイのうち、メインビジョンではHD画質の映像にも対応するようになり、メインビジョンとアートビジョンを連動させることで、1200インチの一つの巨大画面として使用することも可能となりました。ビジョンの運営管理はヒビノが受託しています。
キューズ・アイには長期固定契約したスポンサーの広告をはじめ、インターネットから直接取り込んだ映像、公共情報などを配信。過去には「message a 55」と呼ばれる特別枠も組まれ、ルールに則た内容のコンテンツならば、個人を対象にイラストや映像等で作成したメッセージを流してもらうこともできました。渋谷コークビジョン
2020年にはビル最上部となる地上から約40メートルの位置に、日本コカ・コーラが渋谷コークビジョン(媒体名は渋谷ICONICビジョン)を設置しました。同ビジョンでは透過型LEDビジョンと、その背面からLED照明を当てることで立体感のある映像が上映されています。映像システム導入・運営は株式会社シーマが手掛けています。
フロア構成
8F TSUTAYA(STUDIO)
7F TSUTAYA(コラボレーションカフェ)
オープン当初は渋谷シネフロント(TOHOシネマズ直営の東宝洋画系映画館が入店していました。同地にはかつて「渋谷宝塚劇場」<東宝邦画系映画館>があった)だったが、2010年1月22日をもって閉館。改装の後、TSUTAYAが入居、コミックフロアとして同年4月23日から営業開始しました。1階にあった映画館券売窓口はこれに伴い閉鎖し、スターバックスのテイクアウト専用売り場として営業。
6F TSUTAYA(IP SHOTEN)
5F TSUTAYA(POKÉMON CARD LOUNGE)
4F TSUTAYA(SHARE LOUNGE)
3F TSUTAYA(SHARE LOUNGE)
2F TSUTAYA(STARBUCKS)
1F TSUTAYA(SHIBUYA IP SQUARE A、STARBUCKS)
B1 TSUTAYA(SHIBUYA IP SQUARE B)
B2 TSUTAYA(ENTAME WONDERLAND)
出典 ウィキペディア QFRONT公式サイト
所在地:東京都渋谷区宇田川町21−6
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渋谷マークシティ
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渋谷マークシティの特徴
渋谷マークシティは、東京都渋谷区道玄坂一丁目にある、株式会社渋谷マークシティが運営する複合商業施設。京王井の頭線の渋谷駅や商業施設、ホテル(渋谷エクセルホテル東急)、オフィス、バスターミナルなどの機能を有しています。2000年度グッドデザイン賞受賞(建築・環境デザイン部門)。
「イースト」(EAST=東)と「ウエスト」(WEST=西)の2棟のビルからなり、東京地下鉄渋谷駅構内側線(渋谷車庫)、京王電鉄渋谷駅に跨って建てられています。
概要
渋谷マークシティは、京王帝都電鉄(現:京王電鉄)、帝都高速度交通営団(現:東京地下鉄〈東京メトロ〉)、東京急行電鉄(現:東急)が所有する土地、合計約1万4000 m2を一体として有効活用を図り、鉄道施設上空利用施設として老朽化した既存施設を更新し、鉄道施設の改良に併せて、ホテル・オフィス等2棟の高層ビルを建設。さらに鉄道施設上部を利用して東西を貫く遊歩道を設置し、鉄道の相互アクセスの改善と道玄坂を含めた街の回遊性を高め、副都心である渋谷の活性化に資するとの方針に基づき建設されました。
ハチ公広場側、京王井の頭線渋谷駅上に「マークシティイースト」、道玄坂上側、東京メトロ車両基地上に「マークシティウエスト」が建てられました。また、敷地は渋谷駅から道玄坂上にかけて16mの高低差があり、道玄坂上でマークシティウエストの4階レベルです。この特性を利用し、鉄道施設上部に敷地を貫通する遊歩道を設置して、店舗を配置することで新しいショッピングモール「マークシティモール」を誕生させました。
施設は1994年に着工し、2000年4月7日にオープンしました。渋谷は若者の街として知られていますが、その中でもあえて『オトナ発信地』をコンセプトとして、渋谷で生活する20歳代後半以上の女性をターゲットに設定しました。渋谷マークシティのオープンは渋谷駅周辺の人の流れを変えたといわれました。
所在地:東京都渋谷区道玄坂1丁目12−1
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SHIBUYA109
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SHIBUYA109の特徴
東京都渋谷区宇田川町周辺で展開するセゾングループの渋谷公園通りの開発に対抗して、東急グループが東急百貨店本店に続く東急本店通り(現:文化村通り)に顧客を吸引するために、東急モールズデベロップメント (TMD) の前身である旧「東急商業開発」(当時の社名はティー・エム・ディー)が1979年(昭和54年)4月に渋谷区道玄坂二丁目の道玄坂下交差点に面した鋭角の角地にオープンさせた「ファッションコミュニティ109」(現:SHIBUYA109)が初の店舗であり、今なお売上の多くを占める旗艦店。
開業当初は20代後半から30代の女性向けテナントを集積させていたが、その後方針を転換。現在では店内のほとんどが10代後半から20代前半の女性向けのテナントで占められています。その購買層からは「マルキュー」の略称で呼ばれている。鋭角の立地を活かした円柱形のエレベーター・タワー(シリンダーと呼ぶ)が特徴の設計は、ポストモダン建築で有名な竹山実によるもの。アルミパネルで覆われたその壁面は、渋谷スクランブル交差点などからも容易に見通せるため、化粧品、携帯電話や旬の歌手などの広告が掲げられ、その時々の商業戦略をうかがうことができます。
正面外壁に取り付けられる巨大ポスターは、屋外広告としては世界一良い場所にあるといわれています。その料金はポスターの制作費込みで2週間1800万円。(2003年時点)
所在地:東京都渋谷区道玄坂2丁目29−1
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MIYASHITA PARK
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MIYASHITA PARKの特徴
MIYASHITA PARKは、東京都渋谷区渋谷から神宮前に所在する低層複合商業施設。
全長約330 mからなる。立体都市公園制度を活用して整備され、施設屋上に移設された「渋谷区立宮下公園」、その下層に位置するPark-PFI制度を活用して誕生した商業施設「RAYARD MIYASHITA PARK」、および原宿側端部に開業したホテル「sequence MIYASHITA PARK」で構成されています。渋谷と原宿・表参道の中間地点に位置。
1953年(昭和28年)、梨本宮の邸宅地に隣接していた「宮下町」(当時)に平地の宮下公園として開園し、66年には折からの高度成長期によるモータリゼーションの影響から、1階に都市計画駐車場を持つ東京初の空中公園として整備し直されました。
1990年代以降は多数のホームレスが住み着き、老朽化が進行。このため区は2009年(平成21年)6月、公園の命名権をナイキ・ジャパンに売却するとともに公園の改修費用の全額を同社の負担とし、有料公園として改修する方針を公表。2011年(平成23年)4月30日にリニューアルオープンするが、この際には反対運動が起こり、訴訟に発展するなどしました。
その後、躯体老朽化による耐震性の問題や経年劣化、バリアフリー動線の確保が不十分であるとの課題を抱えこむことに至り、区は東日本大震災や熊本地震を経て高まった防災機能の必要性や、増加する渋谷への来街者に対して公園に求める機能の変化に対応するため、PPP(パブリックプライベートパートナーシップ)として官民連携による30年間の定期借地権で公園の建て替えを行う方針を定め、2017年(平成29年)から始まったPark-PFI制度を活用し、公募型プロポーザルの結果、三井不動産を事業者に指定しました。
MIYASHITA PARKは、JR山手線と明治通り、渋谷川暗渠に挟まれた幅35m、長さ330mの公園全体を区が初めて立体都市公園制度を活用して地上17mに浮かせ、三井不動産が下3層に商業施設、原宿側端部にホテルを整備しました。また南北両端に大階段を配置し、渋谷側、原宿側からスムーズな動線を確保。加えて中央では美竹通りに公園をかぶせ、通りを見下ろせる象徴的な大階段も設けました。加えて、各街区の歩道橋やキャットストリート(旧渋谷川遊歩道路)がぶつかる部分にも建物をえぐる形で縦動線を配し、来街者に商業施設やホテルからも自由に公園に至ることができる快適なアクセスが提供されています。2024年には、日本建設業連合会が主催する第65回BCS賞を受章。
出典 ウィキペディア MIYASHITA PARK公式サイト
所在地:東京都渋谷区神宮前6丁目20−10
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金王八幡宮
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金王八幡宮の特徴
春日局、家光将軍決定の御礼として建立された総漆塗社殿
源義家が、後三年役の勝利は河崎基家(渋谷氏の祖)の崇拝する八幡神の加護なりと渋谷城内に寛治六年(1092年)に勧請しました。基家の子、重家は堀河帝より渋谷の姓を賜り、これが渋谷の地名の発祥とされます。重家の子、渋谷金王丸は武勇に勝れ源義朝・頼朝に仕えました。境内の金王桜は、頼朝が金王丸の誠忠を偲び名付け植えました。
御祭神
応神天皇(おうじんてんのう)
出典 東京都神社庁公式サイト 金王八幡宮
所在地:東京都渋谷区渋谷3丁目5−12
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渋谷氷川神社
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渋谷氷川神社の特徴
境内約4,000坪の渋谷最古の神社
創始は非常に古く、慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとあります。境内には江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡があります。
御祭神
素盞鳴尊
稲田姫命
大己貴尊
天照皇大神
出典 東京都神社庁公式サイト
所在地:東京都渋谷区東2丁目5−6
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川本喜八郎人形ギャラリー
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川本喜八郎人形ギャラリーの特徴
渋谷区千駄ヶ谷で生まれ育った川本喜八郎(1925~2010)は、人形美術家・アニメーション作家として高い芸術性を備えた人形アニメーションを生み出し、NHKの人形劇「三国志」や「平家物語」などで国内・外の多くのファンを魅了しました。
渋谷区が開設した川本喜八郎人形ギャラリーには、「三国志」、「平家物語」の人形がテーマに応じて約30体ほど展示されています。
出典 渋谷ヒカリエ公式サイト
所在地:渋谷区渋谷2丁目21−1 渋谷ヒカリエ8階
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渋谷区立松濤美術館
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渋谷区立松濤美術館の特徴
絵画、彫刻、工芸など幅広い分野・時代にわたる特別展のほか、2~3月には渋谷区に関連する展覧会(区内在住・在勤・在学者による公募展や渋谷区ゆかりの作家又はコレクターによるサロン展など)を開催しています。展示のほかにも、音楽会や講演会、ギャラリートーク(展示解説)、ワークショップなども行っています。
また、区内在住・在勤・在学の高校生以上を対象に、実技指導を行う美術教室を年4コース開催しています。
出典 Tokyo Art Beat公式サイト 渋谷区立松濤美術館公式サイト
所在地:東京都渋谷区松濤2丁目14−14
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戸栗美術館
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戸栗美術館の特徴
公益財団法人戸栗美術館は、創設者戸栗亨が長年に渡り蒐集しました陶磁器を中心とする美術品を永久的に保存し、広く公開することを目的として、1987年11月に鍋島家屋敷跡にあたる渋谷区松濤の地に開館しました。コレクションは伊万里、鍋島などの肥前磁器および中国・朝鮮などの東洋陶磁を主体として約7000点を所蔵しています。日本でも数少ない陶磁器専門の美術館として活動し、年4回の企画展を開催しています。
出典 戸栗美術館公式サイト
所在地:東京都渋谷区松濤1丁目11−3
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NHK放送センター
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NHK放送センターの特徴
NHK放送センターは、東京都渋谷区神南2丁目にある日本放送協会(NHK)の施設。全国ネットワーク番組の大半がここで制作・発信されています。施設内には関東甲信越地方向けブロック放送の拠点である首都圏局や、衛星放送(NHK-BS)を行う衛星放送局、日本国外向けの国際放送(NHKワールドTV・NHKワールド・ラジオ日本)を行う国際放送局があります。所在地は代々木公園の一角、渋谷区役所・渋谷公会堂の向かい。かつての大日本帝国陸軍代々木練兵場だった一角にあたり、終戦後は日本占領アメリカ軍居住区域・ワシントンハイツの一部を構成していました。 放送センター内には総合テレビだけでなく、Eテレやラジオや国際放送にも対応するため、テレビ番組用だけでも25のスタジオを擁しており、テレビ局が保有する数としては日本最大です。
所在地:東京都渋谷区神南2丁目2−1
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国立代々木競技場
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国立代々木競技場の特徴
国立代々木競技場は、東京都渋谷区にあるスポーツ施設である。第一体育館、第二体育館、インドアプールなどからなっています。通称として「代々木○○(第一、第二)体育館」も用いられます。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックの開催に備えて建設された国立代々木競技場は、同大会のサブ会場として使用されたもので、メインアリーナとなる第一体育館(本館、または「代々木オリンピックプール」ともいう)では競泳競技が、第二体育館(別館)ではバスケットボール競技が開かれました。また、2021年(令和3年)に行われた2020年東京オリンピックではハンドボールの、2020年東京パラリンピックではバドミントンと車いすラグビーの競技会場となりました。
第一体育館と第二体育館は、「ダイナミックな外観と壮大な内部空間を有する戦後建築の金字塔」「当時一流の技術者を結集し、前例のない技法、構法を開発、駆使し、意匠、構造、機能を極めて高い水準で融合させて空前のダイナミックな建築を実現しました。意匠的にも技術的にも秀でた、戦後モダニズム建築として価値が高い。」などとして、2021年に国の重要文化財に指定されました。
体育館の意匠設計は丹下健三、構造設計は坪井善勝の手によるもので、丹下・坪井の代表的作品として名高いものです。第一体育館・第二体育館とも、吊橋と同様の吊り構造の技術を用いており、第一体育館は2本、第二体育館は1本の主柱から、屋根全体が吊り下げられています。観客を競技に集中させるために考案された、内部に柱を持たない珍しい構造の建物です。また吊り構造の天井を安定させ、台風等の災害時にも問題が生じないように、油圧ダンパー(制震ダンパー)で屋根の振動を抑える構造を採用しているが、油圧ダンパーを制震目的で採用した建物は日本初となりました。
所在地:東京都渋谷区神南2丁目1−1
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代々木、千駄ヶ谷、初台エリアの名所、人気の観光スポット
代々木公園
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代々木公園の特徴
代々木公園は、23区内の都立公園の中で五番目に広く、道路を挟んで森林公園としてのA地区と、それとは対照的な陸上競技場、野外ステージなどを備えたB地区とに分かれています。
かつて陸軍代々木練兵場だったこの場所も、戦後は米軍の宿舎敷地・ワシントンハイツとなり、東京オリンピックの選手村を経て公園となりました。開園当時はまだ若かった木々も、今ではすっかり成長し、隣接する明治神宮の木々と共に緑濃い森を作っています。また平成3年5月には、高さ15m~30mに及ぶ大小3基の噴水や水回廊をもつ水景施設が完成、“水と緑”に恵まれた公園として生まれかわりました。
出典 代々木公園公式サイト
所在地:東京都渋谷区代々木神園町2−1
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代々木八幡宮
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代々木八幡宮の特徴
代々木八幡宮がお祀りしている神さまは応神(おうじん)天皇=八幡さまです。八幡さまは古くは朝廷や武家からの崇敬をあつめ、国家鎮護、破邪顕正の神と仰がれました。その強いご神徳から「厄除開運」の神さまとして全国で鎮守の神として祀られました。
鎌倉時代、二代将軍・源頼家の側近であった近藤三郎是茂(これもち)の家来で荒井外記(げき)智明(ともあきら)という方が、頼家公暗殺の後、名も宗祐(そうゆう)と改めてこの代々木野に隠遁し、主君の菩提を弔って暮らしていましたが、時に建暦2年(1212年)8月15日夜、霊夢の中で八幡大神の託宣と宝珠の鏡を感得しました。
そこで同年9月23日、元八幡の地に小さな祠を建て、鶴岡八幡宮を勧請したのが創始とされています。
出典 代々木八幡宮公式サイト
所在地:東京都渋谷区代々木5丁目1−1
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新国立劇場
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新国立劇場の特徴
新国立劇場は、東京都渋谷区本町一丁目にあるオペラ、バレエ、現代舞踊、演劇の劇場。日本芸術文化振興会が設置し、公益財団法人新国立劇場運営財団が委託を受けて運営をしています。
オペラ、バレエ、現代舞踊、演劇の主催公演の実施及びこれらの公演のための施設の貸付を行っています。付属のオペラ学校、演劇学校、バレエ学校である研修所を有しています。
オペラ劇場 (OPERA PALACE Tokyo)
座席数:1,814席
1〜4階の4階層に客席を配置。
主としてオペラ、バレエ等の公演に利用。コンサートが開催されたことは、過去に数回。
最大120人(4管編成)の奏者が入るオーケストラピットは常設であり、公演内容に応じて深さの調整が可能。
4面舞台をもつプロセニアム形式。上下奥舞台の機構を使用し、度々入れ替え公演が行われています。
オペラの字幕装置は舞台左右に設置され、縦書きで表示されます。
劇場が愛称を公募し、2007年3月29日にオペラパレス(OPERA PALACE Tokyo) と決められました。中劇場 (Playhouse)
プロセニアム形式:1,038席、オープン形式:1,010席
1〜2階の2階層に客席を配置。
主として演劇、現代舞踊等の公演に利用。オペラ、バレエ公演も可能。
4面舞台、仮設オーケストラピットもあります。小劇場 (The Pit)
座席数:340 – 468席
B1Fにあります。
可動式の舞台と座席を持っています。
オープンステージによる上演形式を持つ現代舞台公演の公演に利用されます。その他の施設
情報センター (5F)、リハーサル室 (B2F)、研修室、屋上庭園 (5F) など。
所在地:東京都渋谷区本町1丁目1−1
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原宿・表参道、神宮前エリアの名所、人気の観光スポット
明治神宮
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明治神宮の特徴
明治神宮は、明治天皇・昭憲皇太后をお祀りする神社で、清らかで森巌な内苑を中心に、聖徳記念絵画館を始め数多くの優れたスポーツ施設を持つ外苑と、結婚式とパーティー会場の明治記念館からなっています。
およそ70万平方メートルの広大な鎮守の杜は、明治神宮創建にあたって全国から献木された約10万本を植栽し、「永遠の杜」を目指して造成された人工林です。
明治45年(1912)に明治天皇が、大正3年(1914)に昭憲皇太后が崩御になりましたが、国民から御神霊をおまつりして御聖徳を永久に敬い、お慕いしたいとの熱い願いが沸き上がり、御祭神とゆかりの深い代々木の地に創建されました。
以来、明治神宮では皇室の弥栄(いやさか)とわが国の隆盛、世界の平和をお祈りしています。初詣は例年、日本一となるほどの参拝者数を集めますが、平常は豊かに大きく成長した杜と森厳な神気が静かに人々の祈りを包みこんでいます。年間を通じて祭典・行事が行われており、春秋の大祭ではさまざまな奉祝奉納行事が境内を賑わします。また、結婚式から初宮詣、七五三など人生儀礼のお参りから家内安全、厄祓等の御祈願をとり行っています。
境内には、御祭神・明治天皇が皇后のために整備し、花菖蒲を植えさせられた御苑、重要文化財の宝物殿、明治神宮のことがより詳しく理解できる明治神宮ミュージアムがあります。
出典 明治神宮公式サイト
所在地:東京都渋谷区代々木神園町1−1
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東郷神社
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東郷神社の特徴
東郷神社とは
東郷神社は東郷平八郎命をおまつりする神社です。「至誠、勝利、強運、縁結び」の神様として多様な世代から崇敬を集めています。東郷平八郎命の「至誠(まごころ)は神に通じる」とその一生を貫かれた御徳を後世に顕彰するため、神社におまつりしてほしいと国民からの要望と浄財によって創建された神社です。日本はもとより、世界中の方々からの崇敬を集め、数多く参拝者が訪れています。
出典 東郷神社公式サイト
所在地:東京都渋谷区神宮前1丁目5−3
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竹下通り
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竹下通りの特徴
見る
日本国内はもとより今や世界中から人が集まるカワイイ文化の発信地原宿竹下通り。
アクセスはJR原宿駅の目の前!ショッピング
カワイイファッションアイテムから雑貨、スイーツまで欲しいものが無くても見ているだけでも楽しめます。
食べる
竹下通りと言えば昔からクレープを始めとした手軽に食べられるテイクアウトのお店。
個性的なカフェも増加中。
所在地:東京都渋谷区神宮前1丁目
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裏原宿
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裏原宿の特徴
裏原宿は、神南エリア辺りまでを含めた東京都渋谷区神宮前から同区千駄ヶ谷に至る、原宿界隈の服飾洋品店等が集まっている一帯を指す通称、あるいは換喩。
なかでも特に、竹下通りから明治通りを跨いだ先の原宿通りや渋谷川遊歩道(通称キャットストリート)沿いの南北に伸びたエリアを指します。略称は、裏原・ウラハラ。原宿駅前から続く竹下通りよりも若者向けの店の進出が遅く、後から発展したことから「裏」原宿と呼ばれています。
裏原宿の若者向けショップの先駆けは、1993年にファッションブランド「GOODENOUGH」の藤原ヒロシ、「A BATHING APE」のNIGO、「UNDERCOVER」の高橋盾がオープンした「NOWHERE」と言われています。また、このような若者向けショップから発展したファッションブランドは裏原系と呼ばれています。
道が入り組んで少々不便である事からテナント等の賃料が安く設定されており、竹下通りでは賃料が高く自分の店を出店出来ない若者が集中した事が裏原宿形成のきっかけとなりました。
出典 ウィキペディア
所在地:東京都渋谷区神宮前
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ラフォーレ原宿
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ラフォーレ原宿の特徴
ラフォーレ原宿は、東京・表参道(渋谷区神宮前一丁目)にあるショッピングセンター、ファッションビル。
1978年(昭和53年)10月、表参道と明治通りとの神宮前交差点(渋谷区神宮前一丁目)に、現在の地上6階、地下2階建ての建物が竣工。若者向けのファッションビルとして開業しました。ラフォーレ原宿が建設される以前、この場所は穏田三丁目という住所で、交差点の角はセブンスデー・アドベンチスト教団の東京中央教会、その北側隣りは伝説的なドライブイン・レストラン「ルート5」でした。
計画された当時の原宿エリアは、山手線・原宿駅を挟んだ西側にある明治神宮の近隣という性格が強く、一方で、原宿セントラルアパートや歩行者天国に集まりファッションやアート、音楽を志す若者が増えつつあり、そうした人々に場を提供しようとファッションビル建設が決まりました。開業後は地元商店街と連携したり、1982年からはラフォーレミュージアム原宿で舞台上演を始めたりするなど、「ファッションのまち、原宿」を国内外にアピールする役割を担いました。
こうしてラフォーレはこの地区のランドマークとなるとともに、流行のファッショントレンドを発信、またここからは多くの若手ファッションクリエイターや起業家などが生まれました。さらに、ラフォーレはユニークなイベントの企画や、インパクトのある広告活動などでもしばしば話題となりました。
「ラフォーレ (La Forêt)」とはフランス語で「森 (The Forest)」の意であり、設置・運営者である森ビルに由来しています。建物としてのラフォーレ原宿は延べ床面積が15,672平米であり、所在地の敷地面積は2,776平米です。
6階には、森ビル流通システムが運営する多目的ホール「ラフォーレミュージアム (Laforet Museum)」が設置されています。
所在地:東京都渋谷区神宮前1丁目11−6
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表参道
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表参道の特徴
表参道は、東京都渋谷区神宮前(原宿)・港区北青山・南青山(青山)にある明治神宮の参道の一つ。現在の都道413号線のうち、青山通りから原宿駅前の神宮橋交差点(明治神宮前)に至る区間が相当する。 。その表参道と青山通りの交差点の名称であり、その周辺一帯の通称。
1919年に明治神宮の参道として整備された大通りが「表参道」そのものであるが、現在ではその通りを中心とする原宿・青山地域を漫然と指して「表参道」と称することも一般的。とはいえ、1970年代以降の実態は「kawaii文化」発祥の原宿とは違った街の発展を遂げてきました。より洗練された「モードファッション」(モード系ファッション)がその代表であり、それこそが原宿とは違う「表参道」の街の特徴です。
所在地:東京都渋谷区神宮前
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表参道ヒルズ
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表参道ヒルズの特徴
表参道ヒルズ(おもてさんどうヒルズは、東京・表参道にあり、商業施設、住宅施設、及び駐車場からなる複合施設。同地に存在した同潤会青山アパート(渋谷アパート)の再開発プロジェクト(第1種市街地再開発事業)として、2006年に開業しました。
2006年2月11日(建国記念の日)にオープン。全長は約250メートルで、地上6階、地下6階。西館、本館と同潤館からなり、地下3階から地上3階は国内外の有名ブランドなどが入居する商業施設であり、4階以上は住居施設となっています。表参道の傾斜にあわせ、床をスロープ状に傾斜させているのが特徴。本館内部は6層分の吹き抜け構造になっており、そのまわりでは「スパイラルスロープ」と呼ばれる通路がらせん状につながっています。
表参道ヒルズは同潤会アパート(青山アパートメント)を取り壊した跡に建設された。同潤会青山アパートは1927年に竣工し、築年数80年を経過していました。再開発は森ビルが中心になり計画を推進しました。設計は安藤忠雄。元々道路に挟まれた細長い敷地であったため、斜線制限により高層建築を造るのは難しい敷地でした。ケヤキ並木の景観と調和させることもあって地上部分を3階と低く抑え、地下3階とあわせて6層分のフロアとしています。外部照明の設計は照明デザイナーの内原智史が担当、空調、衛生、及び電気に関わる設備設計は森村設計が行いました。かつて東端にあった同潤会アパート一棟を新たに再現し、同潤館と名づけ店舗利用しています。
所在地:東京都渋谷区神宮前4丁目12−10
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太田記念美術館
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太田記念美術館の特徴
太田記念美術館は浮世絵を専門とする美術館です。浮世絵とは江戸時代から明治時代にかけて庶民の間で発展した大衆美術で、19世紀にはヨーロッパの画家などにも大きな影響を与えました。葛飾北斎や歌川広重、東洲斎写楽などの絵師による多色摺りの木版画が世界的にもよく知られています。
太田記念美術館では木版画と肉筆画を含む約1万5000点の作品を所蔵。コレクションは浮世絵の歴史的な流れを通観できるバランスの良いもので、多岐に渡る浮世絵のジャンルを網羅しており、また保存状態に優れたものが多いことでも知られています。
当美術館では、所蔵作品の中から月ごとにテーマを変えて100点前後の浮世絵を展示。常設展はなく、毎月作品を入れ替えるので、何度来ても新しい発見をしていただけることでしょう。様々な切り口で開催する企画展を通して、浮世絵の多彩な魅力を紹介しています。
出典 Tokyo Art Beat公式サイト 太田記念美術館公式サイト
所在地:東京都渋谷区神宮前1丁目10−10
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ワタリウム美術館
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ワタリウム美術館の特徴
ワタリウム美術館は、1990年9月、プライベート美術館として開館しました。 初代館長を務めた和多利志津子(1932-2012)は、1972年から1988年まで同地でギャルリー・ワタリを運営し、アンディー・ウォーホル、キース・ヘリングやドナルド・ジャッド、ソル・ルウィットなど、世界の現代美術をいち早く日本に紹介してきました。ワタリウム美術館の所蔵品は80年代のこれらの活動によって集められたものがベースになっています。
また、建物はスイスの建築家マリオ・ボッタによって設計され、御影石とコンクリートのストライプ模様の外壁と、街に大きく羽を広げた鳥のように力強いデザインが印象的で地域のランドマークとなっています。 美術館としての設備を備え、未来のアート作品の展示にも対応できるよう、世界で活躍するキュレーター、ハラルド・ゼーマンが建築アドバイザーとして参加しました。
美術館の展覧会としては、開館当初からハラルド・ゼーマンや伝説のキュレーターであるヤン・フートなどをゲストキュレーターとして迎え、国際的な現代美術展を発表、さらに南方熊楠、岡倉天心といった日本の文化を支えた人物についても調査し、独自の視点で発表しています。さらに1990年以降は日本の若い現代アーテイストたちの紹介に力を入れ、現代アートファン層を大きく広げてきました。
また展覧会をより深く理解してもらうため様々なイベントを開催していることも大きな特徴です。講演会、ワークショップ、研究会、現地への研修旅行など開館以来1,000回以上の催しがありました。
所在地:東京都渋谷区神宮前3丁目7−6 オン・サンデーズ B1F
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代官山、恵比寿、広尾エリアの名所、人気の観光スポット
代官山アドレス
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代官山アドレスの特徴
代官山アドレスは、東京都渋谷区代官山町にある複合施設。施設はタワーマンション、商業施設、公共スポーツセンターなどによって構成されており、2000年(平成12年)8月に開業しました。
代官山アドレスは、所在地にかつて存在した旧同潤会アパート36棟などの建替え、再開発によって建設されました。住宅部分は36階建の高層マンション、「ザ・タワー」を中心とする合計501戸があり、そのなかには再開発前からの居住者253世帯も再入居しました。
さらに、ショッピングセンター「ディセ」や、渋谷区の公共施設「代官山スポーツプラザ」、駐車場などが施設全体を構成しています。また、旧同潤会代官山アパート時代より児童公園として存在した「代官山公園」が、代官山駅の駅前広場と一体化する形で再整備されました。
所在地:東京都渋谷区代官山町17−1
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重要文化財 旧朝倉家住宅
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重要文化財 旧朝倉家住宅の特徴
旧朝倉家住宅は、東京都渋谷区猿楽町に所在する歴史的建造物(民家)、重要文化財に指定されています。
旧朝倉家住宅は、渋谷区猿楽町、台地が目黒川の谷に落ち込む南西斜面に、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎によって、1919年(大正8年)に建てられました。大正期の木造2階建て住宅の趣のある主家と、回遊式庭園を見ることができます。現在の所有者は文部科学省。
当住宅は、大正期に建てられた大規模な邸宅であり、東京都心部に所在する数少ない関東大震災以前の和風住宅である。関東大震災では土蔵は壊れたが、住宅は瓦一枚落ちず、被害が出ませんでした。建物は、主屋が敷地北側にあり、土蔵が西側に、車庫等の附属屋が東側にある配置となっている。主屋の外装材は、屋根が瓦葺き、外壁は下見板張り、部分的に漆喰塗りとなっており、明治時代から昭和30年ごろまでに建設された大きな邸宅の特徴を顕著に表しています。屋内は、床が殆どが畳敷と、接客と家族のための座敷が統一されていますが、茶室等の機能の違う部屋の意匠には特徴があります。
出典 ウィキペディア 重要文化財 旧朝倉家住宅公式サイト
所在地:東京都渋谷区猿楽町29−20
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恵比寿ガーデンプレイス
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恵比寿ガーデンプレイスの特徴
恵比寿ガーデンプレイス(えびすガーデンプレイス、英: Yebisu Garden Place)は、東京都渋谷区恵比寿及び目黒区三田に所在する再開発地区・複合商業施設。サッポロビール工場跡地の再開発事業として計画され、1994年に開業しました。「恵比寿ガーデンプレイス」はオフィスビル、商業施設、レストラン、集合住宅、美術館などで構成されており、事業主であるサッポロホールディングスやサッポロビールの本社も所在しています。施設の入口は、東日本旅客鉄道(JR東日本)恵比寿駅からおよそ400メートル南にあり、駅とは冷房付きの動く歩道「スカイウォーク」(約400m)によって結ばれています。第37回BCS賞、1997年日本建築学会賞(業績)、平成7年度都市景観大賞(都市景観100選)、空気調和・衛生工学会賞、電気設備学会賞を受賞。
構成施設
エントランスパビリオン
入り口付近にある建物で、大きなからくり時計が設置されている。からくり時計は毎日12・15・18時の3回、音楽に合わせて人形が登場して時を告げます。
BLUE NOTE PLACE
2022年12月6日、ブルーノート・ジャパンがビヤステーション恵比寿跡地に開業する新業態のダイニング。
グラススクエア
1階にフィットネス、地階に飲食店があります。
坂道のプロムナードとセンター広場
ガーデンプレイスの中央付近にある広場。屋外であるが屋根があるので風がなければ雨天でも濡れずに利用できます。
サッポロ本社
恵比寿ガーデンプレイス入口正面に位置するビルで、従前、銀座に本社を構えていたサッポロビールは、当地に本社を移すと共に、地下にビール文化を発信する「恵比寿麦酒記念館」を開館しました。サッポロHDおよびサッポロビールが本社、ポッカサッポロフード&ビバレッジが東京本社を置いています。この他神州一味噌などのサッポロHD傘下企業の本社事務所が入居。外装にはビール工場のイメージを引き継ぐレンガタイルが使われています。
所在地:東京都渋谷区恵比寿4丁目20
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広尾ガーデンヒルズ
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広尾ガーデンヒルズの特徴
広尾ガーデンヒルズは、東京都渋谷区広尾に所在する大規模マンション。住友不動産、三井不動産、三菱地所、第一生命保険の4社共同開発によって、1987年2月に全体が竣工しました。第29回BCS賞を受賞。
北西方向の隣接地には2009年以降、新たな大規模マンション「広尾ガーデンフォレスト」が順次竣工。
1972年(昭和47年)末、渋谷区広尾の堀田備中守の屋敷跡に位置する日本赤十字社医療センターが老朽化したため、日本赤十字社が敷地の半分に新しい病院棟を建設する目的で事業プロポーザルを実施。住友不動産、三井不動産、三菱地所、第一生命保険の4社共同事業体の提案が選定されました。4社共同事業体が選定された理由は、計画案全体が住宅建設という、公共性をもったプロジェクト内容という日赤側の趣旨に見合ったものだったからでした。しかし、日赤の不動産ビジネスに対する無知のため、市場価格の半値程度で敷地を手放していると日本赤十字社医療センター院長を務めた幕内雅敏が明かしています。
当初のプロジェクトの全体計画案は圓堂建築設計事務所(現:エンドウ・アソシエイツ)によるもので、いずれも超高層の住居棟3棟(総戸数1000戸)を建設するというものでした。ところが、土地取得後の1年後に第一次オイルショックが発生。それによって計画案は見直さざるを得なくなり、新規計画案は圓堂建築設計事務所と三菱地所・設計管理部門(現:三菱地所設計)の共同で行われ、1975年(昭和50年)にマスタープランの原型(中高層住宅)が完成した。その後、1981年(昭和56年)11月に敷地の整備工事を着工。翌年11月、イーストヒルA・B・C棟の第1期分譲が開始され、1987年(昭和62年)2月に全体竣工を迎えました。施工は清水建設をはじめとする共同企業体 (JV) が担当しました。土地代を除く総工費は約400億円。
広尾ガーデンヒルズは、起伏に富んだ約6.6haの敷地に2-3棟ごとに同じデザインコンセプトで建設された「ヒル (Hill)」と呼ばれる単位に分けられており、5つの「ヒル」に全15棟・合計1,181戸が設けられたほか、管理センター、スーパーマーケット(ナショナル麻布)、三菱UFJ銀行ATM(共同利用三井住友銀行)、医院(広尾ガーデンヒルズクリニック)も配されました。また各ヒルには共有部分として遊歩道、庭園が設けられ、植栽スペースが広がり、設置率75%の駐車場の大半が、建物と庭園の地下に設けられています。 管理業務は賃貸のM棟(広尾ガーデンヒルズ第一マンションズ)のみが相互住宅、ほかは住友不動産建物サービスが受託しています。
各戸の間取りは53.4-362.2m2であり、新築時の分譲価格は8,000万円-4.9億円。発売当初から高い人気を得て即日完売、抽選倍率平均40.8倍、最高倍率209倍を記録しました。また、完成後にはバブル景気が到来し、新築時に76-127万円/m2程度であった価格は、中古市場で最高900万円/m2程度にまで跳ね上がりました。東京ではよく知られた超高額のいわゆる「ヴィンテージ・マンション」の筆頭格であり、緑豊かで落ち着いた住環境の良さなどが評価され、竣工以来現在まで中古市場で高い人気を維持しています。
最寄駅は東京メトロ日比谷線広尾駅で、最も駅に近い棟で徒歩約5分。
出典 ウィキペディア
所在地:東京都渋谷区広尾4丁目1
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山種美術館
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山種美術館の特徴
山種美術館は、山﨑種二(1893-1983・山種証券[現・SMBC日興証券]創業者)が個人で集めたコレクションをもとに、日本初の日本画専門美術館として1966年に開館しました。
所蔵品は近代・現代日本画を中心に、古筆、近世絵画、浮世絵、洋画なども含む約1800余点を所蔵。岩佐又兵衛《官女観菊図》、椿椿山《久能山真景図》、竹内栖鳳《班猫》、村上華岳《裸婦図》、速水御舟《炎舞》《名樹散椿》の6点の重要文化財、酒井抱一《秋草鶉図》などの重要美術品も所蔵しています。
また、120点の御舟コレクションや、川合玉堂の作品・全77点、135点に及ぶ屈指の奥村土牛コレクションをはじめ、横山大観や竹内栖鳳、上村松園、東山魁夷など、近代日本画を語る上で重要な画家たちの作品も数多く所蔵しています。
2009年に現在の渋谷区広尾に移転し、現在は年5、6回の企画展を通して所蔵品を紹介しています。
出典 Tokyo Art Beat公式サイト 山種美術館公式サイト
所在地:東京都渋谷区広尾3丁目12−36
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