蕨市の名所 人気の観光スポット 観光地 絶景 神社 お寺 文化遺産 歴史遺産 歴史的建造物.. 埼玉県蕨市の魅力

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埼玉県蕨市はこんなに素敵なところ!

河鍋暁斎記念美術館、蕨城跡、和樂備神社、塚越稲荷神社初午祭、中仙道武州蕨宿宿場まつり、わらび機まつり..

こちらでは埼玉県蕨市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、公園、神社、お寺などのパワースポット、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物、モダン建築などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。

蕨市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、神社、お寺、美術館、文化遺産、歴史遺産、歴史的建造物

カートくん
カートくん

ねえねえボンゾくん、埼玉県の蕨市ってどんなところなの?おすすめの名所や人気の観光スポット、素敵な場所を教えてくれる?

ボンゾくん
ボンゾくん

蕨市には素敵なところがたくさんあるよ!河鍋暁斎記念美術館、蕨城跡、和樂備神社、塚越稲荷神社初午祭、和樂備神社例大祭、中仙道武州蕨宿宿場まつり、機まつりなんかがおすすめだね。それじゃあカートくんと一緒に蕨市のこと、詳しく調べてみようね!

蕨市のおすすめグルメ、美味しいもの、お土産をこちらの記事で紹介しています。

河鍋暁斎記念美術館

 

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河鍋暁斎記念美術館の特徴

幕末から明治前半の江戸・東京で活躍した狩野派絵師・暁斎(キョウサイ)の曾孫が設立した美術館。伝来の下絵・画稿類を中心に3000点余を所蔵。1,2ヶ月毎にテーマを替えて展示し、暁斎のバラエティに富んだ作品をご覧いただけます。

出典 河鍋暁斎記念美術館公式サイト

所在地:埼玉県蕨市南町4丁目36−4

河鍋暁斎記念美術館 · 〒335-0003 埼玉県蕨市南町4丁目36−4
★★★★☆ · 博物館

蕨城跡

 

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蕨城跡の特徴

蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を構えたことに始まり、大永4年(1524)頃、北条氏綱(うじつな)に攻められ落城、永禄10年(1567)の上総国三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われています。
江戸時代の始めには、徳川将軍家の鷹狩用の休憩地の「御殿(ごてん)」として、蕨城の跡地が利用されました。

現在は、緑豊かな「蕨城址公園」として整備され、市民の憩いの場となっています。

出典 蕨市公式サイト

所在地:埼玉県蕨市中央4丁目21

蕨城址公園 · 〒335-0004 埼玉県蕨市中央4丁目21
★★★★☆ · 公園

和樂備神社

 

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和樂備神社の特徴

和楽備(わらび)神社の名称は、明治44年(1911)に蕨町内にあった18の鎮守社を合祀(ごうし)した際に名付けられました。
合祀以前は、「上の宮」と呼ばれた「八幡社」が鎮座し、蕨を所領とした渋川氏が蕨城の守護神として勧請したと伝えられています。
祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)・素盞鳴命(すさのおのみこと)・木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)他。

例大祭は毎年10月15日で、各町会から神輿が繰り出し盛大に行なわれています。〔現在は、10月15日前後の日曜に行なわれています〕
また、12月17日には「酉の市」が行なわれ、縁起物の熊手を売る店が立ち並び、多くの人々で賑わいます。

出典 蕨市公式サイト

所在地:埼玉県蕨市中央4丁目20−9

和樂備神社 · 〒335-0004 埼玉県蕨市中央4丁目20−9
★★★★☆ · 神社

塚越稲荷神社初午祭

 

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塚越稲荷神社初午祭の特徴

毎年3月の第2土曜・日曜に開催。約10トンもする大神輿を担いで蕨市中心地区(旧・中山道付近から塚越稲荷神社)を威勢のいい太鼓のリズムに合わせて市内を練り歩く。

塚越稲荷神社

創建年代は不詳ですが、明応年間(1492ー1501)の創建とも貞享元年(1684)の創建ともいわれています。玄快という廻国の沙門(出家僧)が伏見稲荷に参籠の折、お告げにより当地に法華経一万部を埋納した経塚を築いたと伝えられ、この塚が塚腰(塚越)の地名の由来となったといいます。境内には、蕨の織物業を発展させた「高橋新五郎」と妻「いせ」を祀った機(はた)神社があるほか、「いと恋石」というハート型の石が恋愛成就のパワーストーンとして知られています。

出典 埼玉県物産観光協会公式サイト ウィキペディア

場所:塚越稲荷神社 埼玉県蕨市塚越3丁目2−19

塚越稲荷神社 · 〒335-0002 埼玉県蕨市塚越3丁目2−19
★★★★☆ · 神社

中仙道武州蕨宿宿場まつり

 

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中仙道武州蕨宿宿場まつりの特徴

毎年11月3日に開催。旧・中山道を中心に開催される。

スケジュール:中仙道武州蕨宿宿場まつり実行委員会公式サイト

わらび機(はた)まつり

わらび機まつりの特徴

毎年8月初旬に蕨駅西口商店街で開催される。

スケジュール:わらび機まつり公式サイト

蕨市について

蕨市の特徴、歴史

蕨市は、古くから中山道の宿場町として栄え、にぎわいを見せていました。その後、機(はた)織物のまちとして栄え、経済の基盤を築きました。戦後は、首都圏の拡大とともに住宅都市として順調に発展し、現在に至っています。今でも蕨の歴史がしのばれる機まつりや宿場まつりなどの催しが行なわれています。
また蕨市は、成人式発祥の地であることや市域面積が5.11平方キロメートルと全国一のミニ市であり、人口密度が全国で最も高い市として知られています。このように面積が小さく人口密度の高いまちのなかで、住民どうしの交流も深く、各地域におけるコミュニティ活動や生涯学習活動などが活発に行なわれています。そんな、蕨市では、平成26年(2014)3月に、今後10年間の市政運営の基本指針となる、「コンパクトシティ蕨」将来ビジョンを策定。まちの将来像「安心とにぎわい みんなにあたたかい 日本一のコンパクトシティ蕨」を目指して魅力あるまちづくりを進めています。

蕨の歴史(開拓)

奥東京湾の海面下にあった蕨は、やがて地上にその姿を現わし、湿地帯を形成していました。その上に荒川のはん濫で運ばれた土砂がたい積して、海抜4メートルから6メートルの微高地がつくられました。弥生時代の人々が生活していた痕跡が確認されており、平安時代末期頃から開発が進められたといわれています。言い伝えには、金子右馬之助家忠の一族が、平安末期の保元の乱(1156年)や平治の乱(1159年)を避けて蕨本村(法華田(ほっけだ)、現在の錦町5丁目付近)に落ちのびてきて、蕨開発の祖となったと伝えています。鎌倉時代に入ると、土豪を中心にある程度の集落ができていたようです。これは、市内に現存する鎌倉時代の板碑からも、うかがい知ることができます。

蕨の歴史(戦国時代)

長禄2年(1458年)古河公方に対抗するため、渋川義鏡が関東探題に任命され、蕨城主になりました。それから間もなく応仁の乱(1467年)が起こり戦国時代に突入、全国各地に戦火が広がっていきました。北条氏の武蔵進出で、その支配下に入った蕨城は、大永4年(1524年)に扇谷(上杉氏)朝興軍に攻められ、ついに落城しました。永禄7年(1564年)岩槻太田氏は世継ぎ問題をきつかけに北条氏の勢力下になり、渋川氏も再び北条氏に属するようになりました。このように蕨周辺は群雄割拠し、戦国大名の勢力範囲はめまぐるしく変化していました。このころ蕨では六斎市が開かれ、物資の交流が行われていて、現在、錦町6丁目の「一六橋」の名称が当時の名残をとどめています。永禄10年(1567年)蕨城主渋川義基は、北条方の援軍として上総(千葉県の一部)三舟山に出陣戦死しました。戦いに敗れた渋川氏の家臣たちは、その後、蕨周辺に帰農したといわれています。

蕨の歴史(天正から慶長)

天正18年(1590年)徳川家康が関東に入国し、翌19年には三学院に寺領20石を寄進しています。江戸幕府は、全国支配のため街道の整備に着手し、各地に宿駅を設置しましたが、蕨宿は慶長17年(1612年)ごろ成立し、中山道の宿駅として発展をとげました。

蕨の歴史(江戸から明治維新)

江戸時代の蕨宿の町並みは南北に約10町(約1.1キロメートル)続き、町裏に用水が堀りめぐらされていた構造が特徴です。この用水は人々の生活用水として利用されていたほか、宿の防備や防火の役割も担っていました。参勤交代の大名や公家の休泊施設である本陣は、蕨宿では、加兵衛家と五郎兵衛家が代々務め、宿場の中央に向かい合うようにして建っていました。加兵衛家には老中・水野忠邦や松平加賀守などが休泊し、文久元年(1861年)の皇女和宮降嫁の際には休憩所となり、大政奉還後の明治元年と同3年の明治天皇大宮氷川神社行幸時にも小休所になりました。現在は、蕨本陣跡として公開しています。 また、江戸時代末期から蕨では塚越村を中心に、綿織物業が盛んになりました。その後、2本の洋糸を絡ませて作る双子織が評判となり、蕨の織物業は飛躍的に発展しました。

蕨の歴史(明治から現代)

明治3年(1870年)石川直中は下蕨に郷学校を開き、近代学校教育の基礎を築きました。明治22年(1889年)には蕨宿と塚越村が合併して蕨町が誕生しました。同26年に念願の蕨駅が開設され、町民あげての祝賀会が催されました。大正4年(1915年)には「ワラビ」を図案化した紋章が東京高等工芸学校教授の安田禄造によって作製されました。第二次大戦後、町村合併が促進され、蕨町、戸田町、美笹村の三町村合併がまとまりかけましたが実現しませんでした。昭和34年、蕨町単独で市制を施行して今日に至っています。

「わらび」地名の由来

わらび地名の由来は「蕨」説と、「藁火」が変化して蕨になったとする説が伝えられています。まず、「蕨」説は、近隣の戸田市や川口市にもある地名の青木、笹目、美女木などの植物にならって名付けたとか、僧慈鎮(じちん)の「武蔵野の草葉にまさるさわらびをげにむらさきの塵かとぞみる」の歌をもって「蕨」としたなどです。「藁火」説は、源義経が立ちのぼる煙を見て「藁火村」と名づけたとか、在原業平が藁をたいてもてなしをうけたところから「藁火」と命名したなどです。文献上、初めて「わらび」が見られるのは観応3年(1352年)6月29日付「賀上家文書」で、「蕨郷上下」と記されています。

出典 蕨市公式サイト

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