埼玉県川越市の見どころ 名所 人気の観光スポット 旅の情報!川越城、本丸御殿、時の鐘、川越一番街商店街 蔵造りの町並み、コエドテラス、旧山崎家別邸、菓子屋横丁の駄菓子、大正浪漫夢通りの鯉のぼり、川越百万灯夏まつり、喜多院、中院、仙波東照宮..
こちらでは埼玉県川越市の名所、人気の観光スポット、美しい自然景観、絶景、神社仏閣などのパワースポット、日本遺産、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。また、川越市周辺のホテル、旅館、宿泊施設もこちら
から予約出来ます。
川越市について
川越市は、埼玉県の中央部よりやや南部、武蔵野台地の東北端に位置し、109.13平方キロメートルの面積と35万人を超える人口を有する都市です。都心から30キロメートルの首都圏に位置し、商品作物などを生産する近郊農業、交通の利便性を生かした流通業、伝統に培われた商工業、豊かな歴史と文化を資源とする観光など、充実した都市機能を有しています。
遠く古代より交通の要衝、入間地域の政治の中心として発展してきた川越地域は、平安時代末に現在の上戸に桓武平氏の流れをくむ武蔵武士の河越氏が館を構え、勢力を伸ばしました。
室町時代になると、扇谷上杉氏の下、太田道真・道灌父子が現在の初雁公園周辺に河越城を築き、川越の中心がここに移ります。その後、小田原北条氏の支配の確立にともなう家臣団の城下への集住が進み、初期の城下町が形成されました。
江戸時代には、江戸の北の守りとともに舟運を利用した物資の集積地として、川越地域は重要視されました。
新河岸川舟運
城下町の整備に伴い、城下町商業が発達しました。城下は領内の農産物や特産品の集散地として、また江戸からの物資の集散地として発展しました。この川越と江戸との物資輸送に、新河岸川による舟運が利用されました。川岸に河岸場が開設され、そこに農産物等様々な品物を扱う河岸問屋が成立しました。新河岸舟運は時代が下るに従って繁昌し、城下町商業の繁栄を支えました。
川越藩と歴代藩主
天正18年(1590)、徳川家康は駿府から江戸城に移り、関東地方は、徳川氏による支配が始まりました。川越城は家康の重臣酒井重忠が1万石で配置され、ここに川越藩の基礎が成立しました。重忠以後の藩主は、松平信綱や柳沢吉保を始め8家21人にのぼり、いずれも親藩・譜代大名で占められていました。また彼らの多くは、大老や老中・側用人等、幕政を担う重臣でした。
川越城と城下町の整備
城と城下町は、寛永15年(1638)の大火後に藩主となった松平信綱によって本格的な整備が行われました。西側に曲輪を拡張し、富士見櫓等3つの櫓や13の門を備え、本丸、二ノ丸、三ノ丸、八幡曲輪に田曲輪、西曲輪等を加え、約326,000平方メートル余となる近世城郭にふさわしい姿となりました。城下町は、「町割」と呼ばれる都市計画によって整備されました。それは、武家地、町人地、寺社地と、身分によって居住する区域を定めるものでした。武家地は城の南北と、川越街道沿いを中心に配置されました。町人地は、「札の辻」を中心とするメインストリートを中心に展開し、商人地の上五ヶ町と職人地の下五ヶ町の十ヶ町、及び四つの門前町から構成されました。寺社地の多くは、城下の西側に配置されました。こうした城と城下町は承応年間(1652~55)頃までには完成し、幕末まで踏襲されました。
明治期の川越
現在の川越市域は、明治4年(1871)川越藩から川越県、その後入間県、同6年に熊谷県を経て、同9年には埼玉県に編入されました。同22年(1889)に成立した川越町は、同26年3月17日に発生した大火により、中心街のほとんどが焼失しました。その後、火事に強い建築として、現存するような蔵造りの商家が建てられました。
川越市の誕生・発展
江戸期から始まる新河岸川舟運や、明治28年(1895)開業の川越鉄道(現在の西武鉄道)、大正3年(1914)開業の東上鉄道(現在の東武鉄道)などの流通網の拡大は、さらに川越の発展を促しました。そして、大正11年(1922)、県内初の市制が施行され、人口31,000人の川越市が誕生しました。その後、昭和14年(1939)に田面沢村を編入、昭和30年(1955)に隣接する芳野村・古谷村・南古谷村・高階村・福原村・山田村・名細村・霞ケ関村・大東村を合併し、現在の市域となりました。
出典 川越市公式サイト
川越城本丸御殿

川越城本丸御殿
川越城本丸御殿の特徴
川越城は、長禄元年(1457年)に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。
江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。現存する建物は嘉永元年(1848年)に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格をしのばせています。
出典 川越市公式サイト
所在地:川越市郭町2丁目13番地1
地図↓

時の鐘
時の鐘の特徴
川越市指定文化財「時の鐘」
時の鐘は、寛永4年(1627)から同11年(1634)の間に川越城主酒井忠勝が、多賀町(いまの幸町)の現在の場所に建てたものが最初といわれています。
創建された江戸時代の初期から、暮らしに欠かせない「時」を告げてきた小江戸川越のシンボルです。現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもの。
3層構造で、高さ約16メートル。
平成8年に、時の鐘は環境庁主催の「残したい“日本の音風景100選”」に選ばれました。
鐘つき時間1日に4回、自動鐘打機により鐘つきを行っています。
午前6時・正午・午後3時・午後6時
出典 川越市公式サイト
所在地:川越市幸町15番地7
地図↓

川越一番街商店街 蔵造りの町並み

川越の蔵造りの街並み
川越一番街商店街 蔵造りの町並みの特徴
江戸まで続く新河岸川を使って舟で米や野菜などの食料を運ぶ重要な場所として栄えた街、川越。
代々譜代大名が赴任しており、江戸の祭りや文化を持ち帰ったことで発展をしてきました。現在でもその文化を残しており、現代の小江戸と呼ばれる情緒ある街並みが広がっています。
蔵造りの町並み
川越には「蔵造りの町並み」が今も残っています。蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達したものです。今の東京では見ることのできない江戸の面影をとどめています。
平成11年12月には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、平成19年1月には「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。
地図↓

コエドテラス
コエドテラスの特徴
1918年に第八十五銀行本店本館として川越に誕生したこの建物は、今でも川越のランドマークとして親しまれています。約100年に亘り、銀行として地域の皆さまとともに時代を歩んできたこの場所は、2024年5月に「りそな コエドテラス」として生まれ変わりました。
1階にはカフェや埼玉の特産品を扱うコーナー、ジェラートショップ、シェアキッチン、2階にはレストラン、バー、3階にはコワーキングスペースなどがあります。
所在地:埼玉県川越市幸町4-1
地図↓
旧山崎家別邸
旧山崎家別邸の特徴
旧山崎家別邸は、川越の老舗菓子屋「亀屋」の五代目である山崎嘉七氏の隠居所として建てられました。山崎家は、信州高井郡下笠原村(現在の長野県中野市)出身の初代嘉七氏が安永元年(1772年)ごろに川越に来て上菓子製造業の亀屋清右衛門のもとで修行し、天明3年(1783年)に「亀屋」の暖簾を許され創業したと伝わっています。
四代目嘉七氏は、明治11年(1878年)第八十五国立銀行の創立に関わり、当時の川越経済界を主導する存在でした。設計者・保岡勝也
旧山崎家別邸の設計は、保岡勝也が行いました。保岡勝也は、東京帝国大学で辰野金吾(日本銀行本店・東京駅を設計)に師事し、建築学を学びました。卒業後、現在の三菱地所に勤めましたが、中小住宅に関心を持ち、三菱地所を退社し、住宅や数寄屋設計者として活躍しました。
大正7年(1918年)には、第八十五銀行本店(現在の登録有形文化財である埼玉りそな銀行川越支店)を手がけました。当時、五代目嘉七氏が第八十五銀行の副頭取を務めていたこともあり、保岡勝也の実力を認めた上で自身の別邸設計を依頼したのではないかと考えられます。旧山崎家別邸の敷地面積は、約2,300平方メートル、延べ床面積250平方メートルあります。母屋の南側には、広々とした庭園が広がり、庭の東側に有楽如庵の写しと伝わる茶室があります。
母屋は、木造モルタル仕上げ洋風屋根葺の洋館で和室棟にしっくりと溶け合うデザインとなっています。
洋館の1階は吹付モルタル塗り、2階は細い横目地の磨き壁といった、すっきりとした仕上げがされています。壁にはステンドグラスが2面配置されています。アールヌーボーの甘さを残すデザインで色ガラスが織りなす絵模様、特に泰山木の花の白さと鳥の赤い冠羽が印象的です。下部のステンドグラスはさらに細かい意匠で水辺の植物を表しています。
数寄屋造りの和室は、客室と居間に良材が使用され、主な柱は全て磨き丸太が使用されています。和室棟の東側端には児童室が配置されています。設計者である保岡勝也は、「茶室と茶庭」を出版するほど和風庭園に造詣が深く、山崎家別邸の庭園設計でもその知識を発揮しています。和室の廊下から見渡すと、なだらかな高低差のある庭が広がり、石灯篭がアクセントとなって、木立の先に建つ茶室が風情を添えています。
出典 川越市公式サイト
所在地:埼玉県川越市松江町2丁目7-8
地図↓

菓子屋横丁
菓子屋横丁の特徴
平成13年11月、環境省「かおり風景100選」認定
~懐かしさの中で出会う新鮮な感動~
「菓子屋横丁」では、明治の初めから菓子を製造していました。それが、関東大震災で被害を受けた東京に代わって駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていたといわれています。
現在は20数軒の店舗が連なり、横丁気分が満喫できます。横丁が醸しだす雰囲気とあめやせんべいなどの下町風の駄菓子は、ノスタルジーを求めるファンを増やし、多くの人が訪れています。平成13年度には、横丁が醸し出す雰囲気と下町風の菓子の懐かしいかおりが漂うということで、環境省の実施した「かおり風景100選」に選ばれました。
出典 川越市公式サイト
所在地:川越市元町2丁目
地図↓

大正浪漫夢通り
大正浪漫夢通りの特徴
古き良き大正時代を思わせる情緒あふれる大正浪漫夢通り。
石畳の通りを歩けば、そこかしこに大正ロマンの風情が漂います。
毎日の買い物から、こだわりの逸品、観光のお土産などを販売する、個性豊かなお店が軒を並べています。約30軒のレトロな店舗が並ぶ、歴史的な通りで一歩足を踏み入れると他とは違う雰囲気を感じます。
関東大震災後の洋風看板建築や町屋造りの建物が多く、映画やドラマの撮影地としても選ばれています。江戸時代の古地図に載るほど古い通りで、猪鼻通り、銀座通りと呼ばれた時代もあります。
一時は衰退していたものの「大正」をテーマに再生を遂げ、今では新旧の魅力を融合した観光スポットとなっています。
和服姿を楽しむ多くの人で賑わい、五月にはたくさんの鯉のぼりが通りを彩ります。
出典 大正浪漫夢通り公式サイト
所在地:埼玉県川越市連雀町
地図↓

川越百万灯夏まつり
川越百万灯夏まつりの特徴
川越百万灯夏まつりの由来
松平大和守斉典侯の遺徳を偲んだ切子灯籠から始まりました川越城主松平大和守斉典(なりつね)侯が嘉永2年に病没した後、三田村源八の娘、魚子(ななこ)が、「三田村家が斉典侯から受けた恩義」に報いるため翌嘉永3年の新盆に切子灯籠をつくり、表玄関に掲げたことがきっかけになり、町中をあげて斉典侯の遺徳をしのび、趣向をこらした見事な提灯まつりが行われていました。
その後中断されていましたが、こうした由緒ある行事と斉典侯の遺徳をしのぶ語り草から昭和35年の夏に川越市・観光協会・川越商工会議所の主催で復活しました。
昭和48年より併催行事として歩行者広場が実施される様になり、昭和57年には市制60周年を契機に名称も「川越百万灯夏まつり」と改められ、 市民参加型のまつりとして生まれ変わり、現在まで関係各位のご協力のもと、 小江戸川越の夏の風物詩として、盛大に開催されております。
喜多院
喜多院の特徴
慈覚大師が830年(天長7)に創建した天台宗の名刹で、正式には星野山無量寿寺喜多院といいます。
江戸時代初期、名僧天海大僧正が住職をつとめた寺として、また江戸城から移築された三代将軍徳川家光・春日局ゆかりの建物をはじめとする、多くの文化財を所蔵している喜多院の名は川越をというより、埼玉県を代表する寺院として全国的にも有名です。
徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府からの厚い庇護を受け、江戸城から豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築されました。江戸城ゆかりの建造物に加え、山門・鐘楼門・慈眼堂などが重要文化財に指定されており、また隣接して、駿府で没した徳川家康公の遺骸を日光山へ運ぶ途中で法要が行われたことから建設された日本三大東照宮の一つである仙波東照宮もあり、江戸時代の香りを色濃く残す徳川家とゆかりの深い寺です。 また、日本三大羅漢の一つに数えられるこちらの五百羅漢は、人間の喜怒哀楽をよくとらえた様々な表情の石仏群でおよそ540体が境内に並び、観光客の人気を集めています。いずれも見学可能で、正月はだるま市・2月は節分会・春は桜まつりなどの催し物が開催され、四季折々の寺の風景も楽しめます。
所在地:埼玉県川越市小仙波町1丁目20−1
地図↓

中院
中院の特徴
喜多院の直ぐ南方にあり、正式には天台宗別格本山中院といい、閑静な佇まいが趣のある寺院。
古くは星野山無量寿寺仏地院と呼ばれ、鎌倉時代の終わり頃、無量寿寺から分かれたとされる天台宗の寺で、喜多院に天海僧正が来往するまではこの地の中心的な寺院であったといわれています。
中院は島崎藤村ゆかりの寺院として知られており、境内には川越市の文化財に指定された島崎藤村ゆかりの茶室・不染亭があり、現在は茶道を楽しむ人々に利用され、保存伝承されています。
また、境内には藤村の義母加藤みきの墓があり、藤村も度々足を運び墓石の「蓮月不染之墓」という戒名は、藤村が自ら筆をとり記したものだといわれています。 また桜の名所としても名高く、本堂前の枝垂桜は特に有名です。緑豊かな境内は春だけでなく、夏・秋・冬とそれぞれに色を変え、四季折々の表情で人々を楽しませてくれます。さらに、ここ中院は川越茶・狭山茶の発祥の地としても有名。開山の際、円仁が京より茶の実を携え、境内に薬用として栽培したのが始まりで、30年ほど前までは境内にも茶畑があったといいます。境内にはその旨を記した石碑が建てられています。 木々を愛でながら 時の流れをゆっくりと感じ、心洗われるひとときを感じられる場所です。
所在地:埼玉県川越市小仙波町5丁目15−1
地図↓

仙波東照宮
仙波東照宮の特徴
東照宮といえば徳川家康を祀った日光東照宮が有名ですが、仙波東照宮は日本三大東照宮の一つで、喜多院の南側に隣接しています。
元和2年(1616)駿府で徳川家康公が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、寛永10年(1633)建立されました。
それから5年後の寛永15年(1638)、「寛永の大火」と呼ばれる大火事によって、喜多院山門を残し、焼け落ちたましたが、徳川家光より喜多院復興の命令が下ると、まず東照宮の再建が行われ寛永17年(1640)に完成しました。
漆塗りの極彩色の飾りが鮮やかな本殿・唐門・瑞垣・拝殿・幣殿・随身門(写真左上)・石鳥居と全てが重要文化財に指定されており、社殿の柱には東照宮の名に相応しく立派な彫刻が施されています。本殿内部には家康公の像が祀られ、所蔵の文化財としては拝殿内欄間に徳川家光が奉納した岩佐又兵衛勝以筆「三十六歌仙絵額」、弊殿には県指定文化財である岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した12面の鷹絵額があります。
立派な三つ葉葵の御紋(写真右下)がかけられた拝殿前の入口扉や、歴代の江戸幕府の重臣であった川越城主の銘が刻まれた石灯籠が歴史の重みを感じさせてくれます。
所在地:埼玉県川越市小仙波町1丁目21−1
地図↓

その他の名所、イベント
立門前通り
三芳野神社
浮島神社
日枝神社
成田山川越別院本行院
東明寺
氷川神社
養寿院
蓮馨寺
川越八幡宮
熊野神社
河越館跡
永島家住宅
旧戸田家住宅
新河岸川河岸場跡
日本聖公会川越キリスト教会
カトリック川越教会
旧八十五銀行本店(現・埼玉りそな銀行川越支店)
旧武州銀行川越支店(現・川越商工会議所)
旧山吉デパート
藤間流発祥の地碑
正岡子規句碑
川越の「自由の鐘」
小江戸川越七福神めぐり
川越市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する
その他のホテル、旅館、宿泊施設はこちらで探すことが出来ます。
川越市周辺のレストラン、美味しいお店、お土産、名物はこちらで探すことが出来ます。
関連サイト















