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群馬県邑楽郡板倉町はこんなに素敵なところ!
群馬の水郷、離山公園の桜と彼岸花、雷電神社、高鳥天満宮..
こちらでは群馬県邑楽郡板倉町の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、公園、神社、お寺などのパワースポット、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物、モダン建築などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。
板倉町の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、神社、お寺、美術館、文化遺産、歴史遺産、歴史的建造物

ねえねえボンゾくん、群馬県邑楽郡の板倉町ってどんなところなの?おすすめの名所や人気の観光スポット、素敵な場所を教えてくれる?

板倉町には素敵なところがたくさんあるよ! 群馬の水郷、離山公園の桜と彼岸花、雷電神社、高鳥天満宮なんかがおすすめだね。それじゃあイギーくんと一緒に板倉町のこと、詳しく調べてみようね!
板倉町のおすすめグルメ、美味しいもの、お土産をこちらの記事で紹介しています。
群馬の水郷
群馬の水郷の特徴
多くの地沼や自然が生かされた総面積10万平方メートルの広大なフィッシングパークです。3万平方メートルの規模を持つ釣り場には、ヘラブナも放流され太公望の人気を集めています。春秋には、板倉の水文化である揚舟に乗船できる「群馬の水郷 揚舟 谷田川めぐり」の発着場になります。ぜひ板倉町の水文化を堪能してみてください。
出典 板倉町公式サイト
住所:群馬県邑楽郡板倉町大字岩田2941-3
離山公園の桜と彼岸花
離山公園の桜と彼岸花の特徴
春の桜・秋の彼岸花
海老瀬の離山公園(はなれやまこうえん)には、春に桜、秋に彼岸花が咲き誇ります。 開花時期は天候により変わりますが、おおむね桜は4月上旬から4月中旬ごろまで、 彼岸花は9月中旬から9月下旬ごろまでが目安となります。駅から歩いてもさほど距離はありませんので、ぜひお立ち寄りください。
出典 板倉町公式サイト
場所:群馬県邑楽郡板倉町大字海老瀬4610-1
東武日光線板倉東洋大前駅東口から徒歩5分
雷電神社
雷電神社の特徴
創建 推古天皇6年(598年)
板倉町にある雷電神社は、関東一円、特に利根川中上流域に点在する雷電神社の総本宮で、創建は聖徳太子によるものです。延宝2年(1674年)には上州館林藩主・徳川綱吉公の命により社殿の大改修が行われ、以後、徳川三ツ葉葵の紋章の使用を許されています。
境内は、ケヤキ、カヤ、エノキ、シラカシ等の豊かな自然を有し、約1.17ヘクタールが群馬県緑地環境保全地域に指定されています。また、雷電神社は社殿、奥宮、末社八幡宮稲荷神社からなり、社殿と奥宮は群馬県の重要文化財に、末社八幡宮稲荷神社は県内最古の木造建築物とされ、国の重要文化財に指定されています。
本堂彫刻
天保6年(1835年)には、左甚五郎(ひだりじんごろう)を祖と仰ぎ、そこから10代目の名人彫刻師・石原常八主信(いちはらつねはちもとのぶ)たちによる現在の華麗な社殿が庶民の力により完成しました。
八幡宮稲荷神社
群馬県内現在最古の木造建築・国指定重要文化財
八幡大神(やはたのおおかみ)・稲荷大神(いなりのおおかみ)をお祀りしています。室町時代の天文16年(1547年)、飯野城主・篠崎三河守が造営。全国に7か所あるのみの二間社入母屋造。真横から見る屋根の曲線が見事です。なまずさん
社殿の北側には社務所があり、なまずの銅像「なまずさん」が祀られています。本郷板倉では、なまずに代表される川魚は大切な食資源であり、神様からの賜り物として大切にされております。なでると地震を除け元気回復、視力改善、自信が湧き出るなどのご利益があると云われ親しまれています。
出典 板倉町公式サイト
住所:群馬県邑楽郡板倉町大字板倉2334
高鳥天満宮
高鳥天満宮の特徴
高鳥天満宮は学問の神様として知られる菅原道真を祀っています。嘉永元年(1848年)に建てられた社殿は町指定の文化財になっており、拝殿には百人一首の天井画が施されています。
願掛け撫で牛
全国の天満宮の境内には、よく銅製などの臥牛(ねうし)像がありますが、高鳥天満宮の「願掛け撫で牛」はこれを土で模したもので、持ち帰って願いを込めて撫でてもらい、見事に願いがかなったら神社に返してもらうというものです。
百人一首の天井画
江戸時代、1848年に創建された高鳥天満宮の拝殿(板倉町指定重要文化財)内には、百人一首の歌と詠人の絵が描かれた格天井があります。百人一首が天井に描かれているのは全国的に見ても稀です。
出典 板倉町公式サイト
住所:群馬県邑楽郡板倉町大字大高嶋1665
板倉町について
板倉町の地勢、交通
地勢と概況
板倉町は「鶴舞う形」に形容される群馬県の東南端、鶴のくちばしに位置する平坦地です。北に渡良瀬川、南には我が国最大の流域面積を誇る利根川が流れています。東に広がる渡良瀬遊水地(ラムサール条約湿地)は、約33平方キロメートルという広大な面積を有し、豊かな水資源と自然環境に恵まれた、現在も多様な動植物の生息地となっています。また、板倉町の利根川・渡良瀬川合流域は、水と共生する生業の文化が高く評価され、関東初の重要文化的景観に選定されています。
都心まで約60キロメートルと県内で最も東京に近く、約1時間で都心にアクセスできることもあり、近年では、その立地の優位性から、多くの企業が進出しています。
自然条件
板倉町は、関東平野の中央、群馬県の東南端に位置し、埼玉県と栃木県の県境に接しています。町の北側には渡良瀬川が、南側には利根川が流れ、この2河川が町の東南で合流します。群馬県下で最も温暖な地域であり、豊富な水と緑に恵まれ、広大な農地が保全された県内有数の穀倉地帯です。
交通条件
鉄道では、板倉東洋大前駅から東武日光線を利用し、都心まで僅か1時間足らずでアクセスが可能です。お車でも、首都高速道路に直結する東北自動車道の館林インターチェンジから、都心へのアクセスはスムーズです。さらに、鉄道・高速道路ともに日光・鬼怒川方面へ直通しており、上信越・東北地方へのアクセスも有利です。
出典 板倉町公式サイト
板倉町の水との闘いの歴史
板倉町の南境には我が国最大の流域面積を誇る利根川が流れ、北境には鉱毒問題で有名な渡良瀬川が流れこんでいます。このため昔から水の恩恵を受けてきた反面、夏の増水期にはしばしば洪水氾濫に苦しめられてきた洪水常習地帯で、水場とも言われてきました。
かつて館林城主であった榊原康政、徳川綱吉の時代に、利根・渡良瀬川堤防築堤がなされたと記されています。しかし自然の猛威はその堤防をも何度も欠壊させました。特に明治期には公害の原点ともいわれた足尾鉱毒事件が発生、精練の際に発生する亜硫酸ガスによって足尾の山から木や草が消えるに及んで、毎年のように洪水がおき、大きな打撃を受けました。
一方明治政府は、洪水を防ぐために渡良瀬遊水地計画をつくりましたが、そのため私の町に隣接をしていた谷中村が廃村に追いこまれ、多くの村民が他に移住せざるをえなかったという辛い歴史もあります。なお、今年は谷中村廃村100年の年でもあります。
水場の知恵、水場の文化
先人達は、長い水との闘いの歴史のなかで、この地方独特の水場の知恵、水場の文化を育くんでまいりました。その一つに「水塚」と言われる防災施設があります。水害時に人や家財道具・食糧・家畜などを守るための施設で、屋敷の一隅に土盛りをし、そこに水防建築を建てるものです。一般的には1階部分が備蓄米、味そ醤油樽等の貯蔵場所に、2階部分が水害時の居住場所となるものです。
また母屋や納屋等の軒先には「揚舟」というものが吊されています。これは水害が予想されるときには降ろして使用するもので、水害時に人や家畜、食糧や水、そして家財道具などを運んだ舟です。その他に川田と言われている堀り上げ田や、潜り橋、サイフォン(暗渠)などがあります。
またかつて板倉町の郷土芸能、水害圏の信仰、民俗行事などを調査された専門家の人達は、その種類の多さ、保存状態が、何れも関東の中でも特殊な地位を占め、まさに民俗芸能の宝庫であると驚嘆したものです。これ等は何れも水に苦しんできた歴史の重み、そして水害を防ぐという課題に取り組んできた地域住民の運命共同体意識の強さ、また苦しいが故にみんなでうたい踊るという形で、芸能等が育てられてきたものと思います。
さらにこの地は、群馬の水郷と言われるくらい標高差の少い低湿地域で、いったん水が入るとなかなか水が出ていかないということから、内水排除にも腐心し、先人達は血のにじむような努力の結果、昭和2年、群馬県で最初の機械による排水機場を完成させました。おかげで広大な湿地が美田に生まれ変り、群馬のウクライナとも称される地域となりました。
重要文化的景観への取り組み
板倉町は昭和22年9月、関東地方を襲ったカスリン台風で、渡良瀬遊水地の堤防が欠壊、大きな被害を受けましたが、その後60年近く水害に出会うこともなく、先人達が大切にしてきた水塚や揚舟、その他の水文化が次第に失われつつあります。
たしかに今は以前に比べ、便利で豊かな社会が実現したことも事実であります。しかし前に触れたように今の我が国のさまざまな状況を考えると、もう一度原点を見つめなおす時期にきているような気がいたします。
欧米の主要国では、我が国と比べて遥かに厳格で詳細な景観法を定め、街並みや農村景観づくりを行なっていると聞いております。またそのことが国家や地方の品格、質の高さとして国民の誇りにもなっているようです。
その点残念ながら我が国では土地や建物等、個人の財産権の主張が強く、景観等共通の財産という認識はまだまだという感じがいたします。しかし近年、国においても市民の間からも、少しずつではありますが、景観を重要視する気運が高まりつつあるような気がいたします。
板倉町は平成15年6月、文化庁の「農林水産業に関連する文化的景観」に選定されました。
農の景観とは、農林水産業などの生活の営みのなかでつくられた、歴史や文化に関連した特色ある景観を選定したもので、当町の場合は、町のほぼ中央を流れる谷田川の柳山群落、川田、サイフォン、排水機場、潜り橋といった低湿地特有の景観や施設、そして町の東側に位置する広大な渡良瀬遊水地、特に1,500ヘクタールにも及ぶよし焼き等が複合景観として認められたものです。
また平成16年からは、県と町による共同プロジェクトによって、各専門のスタッフ、また文化庁や民間の団体等の支援もあって、川舟の製作やよしず製作、板倉町の漁法、川田の製作、綿栽培と綿織物、水郷の伝統食などに取り組んでまいりました。
一方平成16年、文化財保護法の改正により「文化的景観」が文化財の一つとして位置づけられました。
文化的景観とは、人間の手によって守られてきた景観のことで、生業の中から生れた景観は、人間と自然の織りなすその地域独特の景観をつくり出しており、その中でも特に重要なものを「重要文化的景観」としたものですが、その第1号としては、平成18年1月に、滋賀県近江八幡市の「近江八幡の水郷」が選定されました。
板倉町は昨年10月、町制施行50年を迎えるにあたり、あらためて、「これからは50年、100年先を見据え、町の最大の特性でもある水を活かしたまちづくりを行い、最終的には重要文化的景観を目指す」ことを決意いたしました。
当面は3ケ年で「板倉の水郷景観や保存計画」策定に向けて、調査・策定事業を進めている段階ですが、まだまだ町民の理解や、町民を巻きこんでの取り組み、景観計画調査や条例の制定等困難なことも多く、道遠しという状況なのかも知れません。
しかし現在の板倉町は、先人達が生活や生業を連綿と続けてきた結果のものであり、この地方特有の景観や文化を後世に伝えていくことも現在の我々に課せられた大切な責務であると考えます。
私達がふだん何気なく見ている景観、それは言葉では言い表すことのできないような大きな安らぎを与えてくれると同時に、もし一度失ったら、いくら後悔しても取り戻すことのできない貴重な財産なのかも知れません。
そうした観点から、町民と力を合わせて努力をしていきたいと考えています。
出典 全国町村会公式サイト
板倉町出身、ゆかりの有名人
荻野 喜弘 日本の経済学者、経済学博士(九州大学)。第14代下関市立大学学長、元九州大学経済学研究院長(経済学部長・経済学府長)。専門は社会経済史、石炭産業論。
田部井 剛 指揮者・ピアニスト。
出典 ウィキペディア
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