埼玉県入間郡三芳町の見どころ 名所 人気の観光スポット 旅の情報!三富新田、旧島田家住宅、多福寺、木ノ宮地蔵堂、広源寺、木宮稲荷神社、北永井稲荷神社..
こちらでは埼玉県入間郡三芳町の名所、人気の観光スポット、美しい自然景観、絶景、神社仏閣などのパワースポット、日本遺産、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。また、三芳町周辺のホテル、旅館、宿泊施設もこちら
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三芳町について
三芳町の特徴、地勢、歴史
三芳町は首都圏30キロメートルに位置し、埼玉県入間郡の南部、武蔵野台地の北東部にあたり、東経139度31分、北緯35度49分。海抜は37.5メー トル前後、面積は15.33平方キロメートルで、その形状は東西6.9キロメートル、南北4.2キロメータにわたり、西から東へとゆるやかに下る勾配をもつ、関東ローム層におおわれたおおむね平坦な台地です。東に志木市・富士見市、南東に新座市、南西に所沢市、北にふじみ野市・川越市と隣接しています。
沿革
原始・古代:三芳町の曙は約3万年前の旧石器時代にさかのぼることが、「藤久保東遺跡や藤久保東第二遺跡」から発掘された石器によって明らかにされています。また、藤久保の「俣埜遺跡」からは縄文時代の竪穴住居跡や土器が、竹間沢の「本村南遺跡」からは弥生時代の方形周溝墓などが発掘され、当時の生活の様子を窺い知ることができます。また、平安時代になると、みよし台一帯には瓦や壷などを焼く窯が築かれました。ここで焼かれた器の中には「福麿」と刻まれたものもあり、この町内最古の文字で表わされた人物は、当時のこの地方の有力者と考えられます。
中世・近世:鎌倉時代から室町・戦国時代の武蔵野は見渡す限りの原野でした。鎌倉武士が馬を走らせたとされる「鎌倉街道」が藤久保と竹間沢にあり、竹間沢には中世を思い起こさせる文化財や地名が残されています。三芳の地域が本格的に開発されたのは江戸時代に入ってからで、徳川家康の関東入国以降、武蔵野台地の開発がすすみ、原野にも開墾の鍬が入れられました。元禄7年(1694)、川越藩主・柳沢吉保による「三富新田開拓」が実施されるに及び、三芳の旧4か村が成立するに至りました。
近代・現代:明治22年(1889)4月1日の町村制施行により、上富村、北永井村、藤久保村、竹間沢村が合併して三芳村が誕生。以来、長期間にわたり純農村地帯として歩んできましたが、昭和40年代から高度経済成長とともに首都近郊のベッドタウンとして、また、首都圏の流通基地としてめざましい変貌を遂げ、人口も急増し、昭和45年(1970)に町制を施行、現在は商・工・農のバランスのとれた町として今日に至っています。
出典 三芳町公式サイト
三富新田
三富新田の特徴
今なお学ぶことの多い、知恵がつまった埼玉県指定旧跡「三富新田」
元禄7年(1694年)7月、長年争いを繰り返してきた北武蔵野のこの土地は、幕府評定所の判断で川越藩の領地であることが認められました。これにより当時の川越藩主柳沢吉保は新田開発を推進し、吉保の命を受けた筆頭家老曽根権太夫ら家臣によって、開発が行われました。開発が始まってから2年後の元禄9年(1696年)5月に検地が行われ、上富91屋敷、中富40屋敷、下富49屋敷の合計180屋敷の新しい村々ができあがりました。これが三富新田です。「富」の由来は「豊かな村になるように」との古代中国の孔子の教えに基づくものです。
三富の地割は、水に乏しく栄養が少ないという厳しい自然条件を克服するための知恵が詰まっています。
屋敷地
屋敷の周りには、竹・カシ・ケヤキなどが植えられました。竹は、地面に根をよく張るため地震に強く、また農具や生活に使うものを作る竹細工の材料になります。カシは農具の柄になり、その実は飢餓のときの非常食になります。ケヤキは建材として大切に育てられ、家にとって必要な時以外はけっして切ることはありませんでした。これら屋敷林を育てたことにより、保水力が上がったと考えられています。
耕作地
一日の耕作の目安として、5畝単位に区切られていました。乾燥した畑の土は、春と冬の季節風により巻き上げられてしまうことがあります。そこで、畑にウツギを植えて風を防ぎました。その後、お茶が商品作物としての価値が高まると、ウツギから茶の木に変わり、「畦畔茶」として春先の重要な作物となりました。
平地林(雑木林)
薪炭材として利用しやすく、葉が堆肥として醗酵しやすい木が選ばれて代々の農家が育ててきました。主な木の種類は、コナラ・クヌギ・エゴです。エゴの木は、杭に利用されました。冬に落ち葉を掃き集めて一年以上かけて堆肥にし、それを畑に投入して土を作ってきました。「一反の畑に一反のヤマ」と言われるように、よい作物をつくるためには平地林からの恵みは欠かせないものです。
緑濃い雑木林と美しく区画整理された畑には、三芳の大地を開拓した先人たちの知恵が詰まっています。その歴史の跡をたどれば、エコロジーに配慮した循環型の暮らしのお手本を学ぶことができるでしょう。
出典 三芳町公式サイト
所在地:埼玉県入間郡三芳町上富
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旧島田家住宅
旧島田家住宅の特徴
旧島田家住宅は、三富新田の歴史と文化の学習の場であり、人々の交流の場として活用することを目的に移築復元された古民家です。
江戸時代文化・文政期(1804~1829)に建築されたと考えられる茅葺屋根の民家住宅で、畑作新田として知られる三富の開拓が、さつまいもの導入により豊かになったことを証明してくれる大型の家屋です。近郷農民の子弟を集めて寺子屋を開設していた時期もあることから、町の教育の歴史も伝えてくれます。現在、「現代の寺子屋」としてさまざまな郷土学習教室を行っています。
出典 三芳町公式サイト
所在地:埼玉県入間郡三芳町上富1279-3
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多福寺
多福寺の特徴
三富開拓農民の菩提寺
三富新田の開拓には、出身地の異なる農家が集まり、協力して開拓を進めていました。そのため、農村としてのまとまりや連帯感情を作り出す必要があり、元禄9年(1696)8月、三富新田開拓の命を出した時の川越藩主柳沢吉保は、菩提寺として上富に「臨済宗三富山多福禅寺」、祈願所として中富に「毘沙門社」(現毘沙門堂・別当寺:多聞院)を建立しました。それまでは、三富新田に入村した農家の菩提寺は、上富村が亀久保村(現ふじみ野市)地蔵院、中富村・下富村は大塚村(現川越市)西福寺としていましたが、多福寺建立によって三ヶ村とも菩提寺を多福寺とし、三富新田の農家の精神的な支えとなりました。
多福寺には、重臣であった曽根権太夫が寄進した銅鐘(県指定文化財)や、吉保直筆の「参禅録」をはじめ多くの什宝があります。また、境内には春はしだれ桜、秋には紅葉と静寂の中に季節を感じ、訪れる人の心を穏やかにしてくれるでしょう。
出典 三芳町公式サイト
所在地:埼玉県入間郡三芳町上富1542
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木ノ宮地蔵堂
木ノ宮地蔵堂の特徴
古くから信仰を集めてきた、子授け・安産・子育ての地蔵様
古くから信仰を集めてきた上富にある木ノ宮地蔵堂。その縁起は、坂上田村麻呂と結びつけて伝えられていますが、真相については明らかではありません。江戸時代まで何度かの荒廃や焼失などの記録があり、現在の堂は、安永6年(1777)に再建されたものです。その本堂内には木造の地蔵菩薩が安置され、天井には107枚の植物画が描かれています。
また、本堂の裏にまわると石の地蔵尊が祀られた奥之院があります。この石地蔵は、寛永19年(1642)に木野目郷(現川越市)の長者であった杉山長五郎から寄進されたものです。文献によると寛永19年に地蔵堂が焼失したと伝えられており、この石地蔵は、地蔵堂焼失直後に奉納されたもので、入間東部地区に残る石地蔵の中では最古のものです。
4月23日(宵宮)・24、8月23日(宵宮)・24日は木ノ宮地蔵堂の縁日で、出店が並び大勢の人が参拝に訪れます。特に、春の祭礼には植木市がたち、賑わいをみせます。また、境内には上富囃子保存会による山車と上富囃子の囃子奉納があり、祭りを盛り上げてくれます。
出典 三芳町公式サイト
所在地:三芳町上富1501番地
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広源寺
広源寺の特徴
時をつたえる鐘の音が、川越街道にひびく
川越街道沿いにある藤久保の曹洞宗大栄山広源寺。渋井(現川越市)連光寺の末寺で、藤久保の開拓着手時期にあたる寛永16年(1639)に、龍国呑海大和尚(りゅうこくどんかいだいおしょう)を開基として創建されました。本尊に、釈迦如来坐像を安置しています。また、江戸時代には寺子屋を開設した時期があり、明治5年(1872)に学制が公布され日本の近代教育がスタートすると、その趣旨に基づいて各地で学校が開設され、明治7年(1884)には広源寺に藤久保小学校が開設されました。広源寺は、三芳の教育を語る際には欠かせない場所でもあります。鐘楼近くのケヤキは、大きくシンボルになっています。
出典 三芳町公式サイト
所在地:三芳町藤久保1007
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木宮稲荷神社
木宮稲荷神社の特徴
川越街道の変遷を知る藤久保の鎮守様
伝承によれば、寛文元年(1661)東都の中山治左衛門という人が大阪在業の際、霊夢を見て社殿を再建したと伝えられています。稲荷神社は、藤久保のような畑作を主体とした地区では農業神として信仰され、江戸時代には、藤久保の修験であった東乗院が別当寺として祭祀をおこなっていました。祭礼は、二月初午、4月20日の春祈祷、10月8日のお日待ち(秋祭り)です。春祈祷には、藤久保芸能会による藤久保囃子の奉納があります。また、神社境内には、山神社、八坂神社(祭礼7月14日・15日)、浅間神社(祭礼は8月1日)等も祀られています。このうち、八坂神社と浅間神社は、稲荷神社とは別の場所に祀られていたものを境内に移したものです。浅間神社は、もとは藤久保の北にあった富士塚に祀られていたもので、今も富士塚という地名は残っており、浅間神社の石祠が祀られています。また、昭和になって川越街道拡幅の際には境内に道が通ることになり、その名残として路側帯に幟幡が残されています。
出典 三芳町公式サイト
所在地:三芳町藤久保1126
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北永井稲荷神社
北永井稲荷神社の特徴
五穀豊穣を祈る北永井の鎮守様
北永井の開村は、寛文初年頃(1661年頃)から進められました。最初の検地である寛文9年(1669)の寛文検地では北永井村としては出てきません。「河越領長井村検地水帳」と題しているように、この段階ではまだ北永井・南永井の両村に分かれておらず、「長井村」と称していました。稲荷神社は、「永井村新田地割絵図(寛文2年・1662)」に記されており、その創建は開発時まで遡ります。その後、延宝3年(1675)行われた検地では、「北永井村」という名前で検地が行われ、南北分村し、現在の北永井(現三芳町)と南永井(現所沢市)に分村したことが伺えます。
境内には八雲神社が末社として祀られ、天王様の祭礼(7月25日)には、北永井囃子保存会による山車と重松流祭囃子の奉納もあります。また、秋祭りには隔年で山車の曳き廻しが行われます。
出典 三芳町公式サイト
所在地:三芳町北永井931
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その他の名所
阿弥陀堂 南北分村後に建立されたお堂
竹間神社 竹間沢村の成り立ちを知る手がかりのひとつ。竹間沢の鎮守様
泉蔵院 中世~江戸初期の三芳を伝える古刹
竹間沢稲荷社 人々のつながりを伝える五穀豊穣祈願
羽生山稲荷神社 県立大井高校の近くにある失せ物・商売繁盛のお稲荷さん
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