八潮市の観光スポット 名所 文化遺産 歴史遺産 パワースポット巡り 埼玉県八潮市への旅行ガイド

スポンサーリンク
八潮市の花 クチナシ
記事内に広告が含まれています。
記事内に広告が含まれています。

埼玉県八潮市の見どころ 名所 人気の観光スポット 旅の情報!大瀬氷川神社、大瀬の獅子舞、二丁目の獅子舞、やしお市民まつり、中川やしおフラワーパーク、中川ボートフェスタ、大悲山観音院普門寺、和井田家住宅、太田家住宅、大経寺観音堂..

こちらでは埼玉県八潮市の名所、人気の観光スポット、美しい自然景観、絶景、神社仏閣などのパワースポット、日本遺産、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。また、八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設もこちらから予約出来ます。

八潮市について

八潮市は埼玉県の東南端に位置し、関東地方のほぼ中央に広がる中川低地上にある。面積は18.02平方キロメートルで、東西が5.23キロメートル、南北が7.45キロメートルの花瓶形をした地形となっている。標高は1~4メートル、東を中川、西を綾瀬川、南を垳川の河川に囲まれ、古くから河川の恩恵と災いを受けてきた。

歴史

水辺での生活の始まり<原始・古代>

八潮市域は、今から6,000年前頃には奥東京湾と呼ばれる遠浅の海だったが、関東平野の隆起や河川が運んできた土砂の堆積などで2,000年前頃までには陸地となり、河川沿いには自然堤防と呼ばれる微高地が形成されていった。市域に人々が住み始めた時期については明らかではないが、現在確認されている遺跡(八條殿社古墳・氷川神社遺跡の五領式土器散布地)などから、遅くとも古墳時代(約1,700年前)頃には人々が生活を営んでいたものと推測される。
中川や綾瀬川が流れ込み、湿地の広がる市域では、川の流路沿いに形成された自然堤防上に人々が住み、湿地を開墾して生活を行っていたものと考えられる。八條地区では、平安時代の集落が確認され、そこからは千葉や茨城など各地で生産された土器や役人のベルト飾りなどが出土している。すでにこの地域で河川を介した流通が行われていたことや地方官人と何らかの関係があったことなど、このころの人々の暮らしを垣間見ることができる。

中世の八潮地域<鎌倉~戦国時代>

平安時代末から鎌倉時代にかけての市域は、伊勢神宮の所領である大河戸御厨内八條郷に属し、鎌倉幕府が編纂した『吾妻鑑』によると、武蔵七党の野与党の渋江光衡(八條五郎光平)が地頭に任ぜられていた。八條郷は、利根川(中川)と綾瀬川に挟まれた近世期の八條領の地域と推定され、光衡は八條郷を本拠地として八條氏を名乗っていた。
延文6年(1361年)の『市場之祭文』の中には、定期市の立つ武蔵国内三十三の市場のひとつに「八十市」(八條)と記されており、舟運を利用した交易の一拠点であったことが推測される。この他、至徳4年(1387年)に香取神社大禰宜兼大宮司大中臣長房がその嫡子に譲り与えた財産目録の中に「つるかそね」「大さかへ(大瀬)」の関での関銭徴収権などの記載があり、物資輸送の船でにぎわう中川筋の様子を伺い知ることができる。
また、戦乱の世情不安などから、人々は神仏の加護を求め、この時代市域には多くの寺院が建立され、優れた仏教美術や板碑(青石塔婆)などの石造物も遺されている。

新田開発と近世村落の成立<江戸時代>

江戸時代、八潮市域では20の村(現在の大字に相当)に分かれていたが、その多くは1600年前後に成立したと言い伝えられている。江戸時代に入り、幕府の新田開発政策のもと、八潮市周辺でも綾瀬川の直道化や人工堤防の構築、八條用水や葛西用水の開削がなされ、豊かな耕作地が生まれていった。近世の村は、幕府の支配単位の末端に位置づけられ、年貢や諸役(伝馬役など)を負担した。

水運と交通、産業の発達<江戸時代>

この時代の物資輸送の中心は、安全かつ大量に物を運ぶことが出来る船を使った水運であり、綾瀬川や中川の川岸には、荷物の積み下ろしをする「河岸」が設けられ、荷物を積んだ川船が行き交い、賑わいを見せていた。また水運は、市域の村々に新たな産業の振興をもたらした。現在も地場産業として行われている染色業は、江戸時代中頃から江戸町人の間に広まった湯上り後の浴衣の柄染めで、水運と密接に結びついて発展した。市域の染色業は、消費地の江戸と木綿生地の集積地岩槻との間に位置することや、稲作が主であるため農閑期の余剰労働力があること、作業に必要な水が豊富なことなどから、農家の副業として盛んになった。
また、市域を南北に縦貫する道は「下妻街道」「千住往来」と呼ばれてきた。この道がいつ開かれたかは明らかではないが、平安時代末頃には関東と奥州を結ぶ主要道の一つであったとされている。その後この道は、江戸と下妻間を結ぶことから下妻街道と呼ばれ、日光道中の脇往還として、また物資の輸送路として人々に利用され、市内の大原や八條地区では人馬の継立も行われていた。当時の八條村の賑わいについて、文政6年(1823年) 頃ここを訪れた江戸の僧津田大浄は、「辺鄙の一都会というべく、最賑やかなりけり」(『遊歴雑記』) として、酒楼、銭湯、髪結所などが軒を連ねる様を記している。

三村の成立<明治>

江戸時代の村は、明治維新後も一つの生活共同体として機能しており、明治17年(1884年)に連合戸長役場が設けられると、市内では伊勢野村連合(二丁目村・木曽根村・南川崎村・伊勢野村・大瀬村・古新田・垳村)、上馬場村連合(南後谷村・柳之宮村・西袋村・上馬場村・中馬場村・大原村・大曽根村・浮塚村)、松之木村連合(八條村・鶴ヶ曽根村・立野堀村・伊草村・松之木村・小作田村)が成立した。その後、明治22年(1889年) に近代地方自治制度の一環として市制・町村制が施行され、伊勢野村連合は潮止村になり、上馬場村連合は八幡村、松之木村連合は八條村となる。

地方改良運動の進展<明治・大正>

明治38年(1905年)から39年(1906年)にかけておこなわれた日露戦争による戦費拡大は、村の財政を大きく圧迫し農村を疲弊させた。このような時期、「地方改良運動」と呼ばれる町村自治の振興を図る運動が内務省主導で推進され、明治44年(1911年)には潮止村が内務省より模範村として選奨された。選奨理由としては、納税の努力と実績、就学の奨励、信用組合の設置や勤倹貯蓄の意欲などが模範事例と認められたことによるものである。
また、八幡村も県下において優良村と認められ、藤波玉太郎村長は教育の振興、納税の改善、産業の発達等に尽力したという理由で、県の自治功労者として表彰されている。

近代産業の振興<大正・昭和>

東京近郊で水運の便が良い市域には、煉瓦の原材料である荒木田土に恵まれたいることもあり、煉瓦工場が進出するようになる。大正5年(1916年)に金町製瓦会社(大正8年に日本煉瓦製造株式会社に吸収合併され日本煉瓦製造株式会社潮止工場と改称)が古新田地区に工場を移転したことを皮切りに、大正7年(1918年)には、帝国煉瓦株式会社花畑第二工場が大曽根地区で操業を開始し、さらに昭和15年(1940年)には柳之宮地区に与川煉瓦工場が創立された。しかしながら、日本の近代化に大きく貢献した煉瓦産業も、関東大震災で建築資材としての耐震性が疑問視されたことで徐々に需要が減少し、市域にあった煉瓦工場は1970年代に入ると閉鎖を余儀なくされた。

「八潮」の成立<昭和・平成>

戦後、地方自治を大きな柱とした新憲法が公布され、政府は、適正な自治体経営に必要な町村規模を計画して、昭和28年(1953年)に町村合併促進法を公布した。八條、潮止、八幡の三村合併協議は、なかなか合意にいたらなかったが、八條村大字立野堀地区(現草加市稲荷)を分離し、新村名は三村の頭文字をとって「八潮」とすることで合意し、昭和31年(1956年)9月28日に八潮村が誕生した。
誕生までにさまざまな経験をした「八潮」であったが、都心から20キロメートル圏内という地の利もあり、その後の高度経済成長による工場の進出や急激な人口増加により発展を続け、昭和39年(1964年)に町制施行、昭和47年(1972年)には市制を施行した。
その後首都高速道路の開通や、区画整理事業による都市基盤の整備、平成17年(2005年)のつくばエクスプレスの開業などがあり、まちの様相は大きく変化してきている。

出典 八潮市公式サイト

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

大瀬氷川神社

大瀬氷川神社の特徴

大瀬氷川神社は、八潮市大瀬にある氷川神社です。大瀬氷川神社の創建年代は不詳ですが、大瀬は猿俣(葛飾区水元)・戸ケ崎などとの水運拠点として古くから栄えたといい、大瀬の鎮守社として祀られていたといいます。明治42年に浅間神社を合祀、中川河川改修のため大正9年当地へ遷座したといいます。

出典 猫の足あと
所在地:埼玉県八潮市大瀬1501

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

地図↓

大瀬氷川神社 · 〒340-0822 埼玉県八潮市大瀬1501
★★★★☆ · 神社

大瀬の獅子舞

大瀬の獅子舞の特徴

大瀬の獅子舞は7月第1土曜日とその翌日、大瀬の浅間・氷川神社の祭礼に奉納されます。初日は境内社の浅間神社の祭り、2日目は氷川神社の祭りとされています。また、7月の第4日曜日に各氏子宅をまわる祈祷獅子がおこなわれます。大瀬の獅子舞の日には、よく雨が降ることから「どろんこ獅子」とも呼ばれます。獅子舞の始まりは、寛文2年(1662)に森川下総守が大瀬村の領主になった頃、獅子頭を領主より拝領してからと伝えられ、三百数十年の歴史をもっています。獅子舞は江戸時代に盛んであった富士浅間信仰(富士講)と深く結びつき、舞の形態も、3匹の親子獅子が富士山に登る途中のできごとを、物語風に描いています。大獅子は兄獅子で顔が青く、眉が金色で目をむきだし、精悍な面魂をしています。中獅子は弟獅子で顔が黒く、眉が金色で目は黒く、歯は銀色で幾分口は開けぎみです。ともに、鼻の両側には白髭をたくわえ、頭には1尺2、3寸(約 40 センチ)ほどの角が生えています。女獅子は角がなく、顔は金色で、大獅子、中獅子と比べて優しい顔つきです。舞の構成は、序の舞、本舞、結びの舞に分けられており、12掛りあります。笛は囃子笛を用いて17曲目あります。とりわけ、本舞の豪壮で情緒豊かな哀調をこめた笛の音は、見学者を魅了します。埼玉県指定民俗文化財(無形民俗文化財)

出典 八潮市公式サイト

場所:埼玉県八潮市大瀬1501(大瀬氷川神社)

公開日
祭 礼:7月第1土曜日とその翌日
10時ごろ~ 20時ごろ
祈祷獅子:7月第4日曜日
7時ごろ~ 20時ごろ

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

地図↓

大瀬氷川神社 · 〒340-0822 埼玉県八潮市大瀬1501
★★★★☆ · 神社

二丁目の獅子舞

二丁目の獅子舞の特徴

二丁目の獅子舞は、江戸時代に始まったと伝えられ、舞の間に獅子の背を仰ぎながら唄を歌う「ハイチ」や、獅子宿で獅子一行が謡を歌う「バウタイ」が行われるなど、古式にのっとった祭礼が継承されています。(八潮市指定無形民俗文化財)

出典 八潮市公式サイト

場所:二丁目氷川神社(埼玉県八潮市二丁目196−1)

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

地図↓

二丁目氷川神社 · 〒340-0811 埼玉県八潮市二丁目196−1
★★★★☆ · 神社

やしお市民まつり

やしお市民まつりの特徴

市内最大のイベントである「やしお市民まつり」は、10月に市役所周辺で開催されます。
毎年、物産展示即売会、模擬店、阿波踊り、キャラクターショー、ミニSLなどが行われ、たくさんの来場者でにぎわっています。
前日には、文化スポーツセンターで「わんぱく相撲大会」が開催されます。

出典 八潮市公式サイト

会場:八潮市役所周辺・けやき通り

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

中川やしおフラワーパーク

中川やしおフラワーパークの特徴

「中川やしおフラワーパーク」は、約1万3000平方メートルの中川河川敷に、春には花桃や菜の花、ネモフィラ、ストック、パンジー、秋には彼岸花やコスモス、マリーゴールドなど四季折々の花が咲き、憩いの場として親しまれています。

出典 八潮市公式サイト

所在地:埼玉県八潮市木曽根1009

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

地図↓

中川やしおフラワーパーク · 〒340-0813 埼玉県八潮市木曽根1009
★★★★☆ · 公園

大悲山観音院普門寺

大悲山観音院普門寺の特徴

普門寺は、今から約450年余前の永禄年間(1558~1570)に開創され、開山から現住職までに29世を数える古いお寺で、真言宗豊山派に属しています。開創当時は、現在の埼玉県八潮市木曽根という場所にありましたが、埼玉県から東京都を流れ東京湾に注ぐ一級河川 中川の改修事業への協力の為、昭和59年に、現在の八潮市南川崎の地へ移転しました。普門寺は、武蔵国三十三観音霊場の第十九番札所となっており、12年に一度の武蔵国三十三観音霊場 総開帳の期間は、多数の参拝者で境内が賑わいます。境内には、樹齢350年を超える「普門寺の多行松」やしだれ桜があり、四季折々の趣があります。

出典 普門寺公式サイト

所在地:埼玉県八潮市南川崎440

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

地図↓

普門寺 · 〒340-0814 埼玉県八潮市南川崎440
★★★★☆ · 仏教寺院

和井田家住宅

和井田家住宅の特徴

和井田家住宅は、肥沃な田園地帯として発展してきたところに所在しています。和井田家、少なくとも延宝期以降、近世を通じて名主職を世襲した家柄です。主屋は、東西棟の寄棟造、茅葺です。内部は東半が土間、西半が田の字型に室を配しています。上手二室は南をゲンカン、北をオクと呼び、床の間と違棚を備えています。建設年代は、主屋、長屋門とも江戸時代中期と考えられます。和井田家住宅は、主屋が関東平野の民家遺構として古く、また当初部材の保存状態も良いことから、当地方における民家形式の変遷を理解する上で高い価値があります。附属する長屋門や稲荷社、中世の居館の面影を伝える構堀、水塚など、屋敷全体の構えが良好に残り貴重です。

出典 文化庁公式サイト
所在地:埼玉県八潮市八條1377

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

地図↓

和井田家住宅 · 〒340-0801 埼玉県八潮市八條1377
★★★★☆ · 史跡

太田家住宅

太田家住宅の特徴

太田家住宅は、平成11年(1999)3月に市指定有形文化財に指定された、木造二階建て瓦ぶき、出桁構造の町家建築で埼玉県内でも 数少ない建築物です。約150年の歴史があり、当時、八條の渡しの前で米問屋(酒屋)、旅籠を営んでいました。

出典 埼玉県物産観光協会公式サイト
所在地:埼玉県八潮市八條3732

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

地図↓

太田家住宅 · 〒340-0801 埼玉県八潮市八條3732
★★★★★ · 史跡

大経寺観音堂

大経寺観音堂の特徴

浄土宗寺院の大経寺は、無量山浄光院と号します。大経寺は、中島浄金が開基となり、等誉暁翁上人が天正14年(1586)に開山、慶安元年(1648)には三代将軍徳川家光から寺領7石の御朱印状を拝領したといいます。大経寺観音堂に安置されている千手観音像は、埼玉県文化財に指定されています。

千手観音像
大経寺は、天正十四年(一五八六)に等誉暁翁上人が開いた浄土宗の寺院で慶安元年(一六四八)には徳川家光より朱印地七石が与えられています。大経寺観音堂には、円空作の千手観音像が安置されています。
円空上人は、江戸時代前期の修験僧で美濃國中島郡上中島村(岐阜県羽島市)に寛永九年(一六三二)に生まれ、近江国園城寺円満院住職尊栄上人に師事しました。園城寺の行場大峯山において修験道を修行し、一二万体の造像を祈願して全国を行脚したと伝えています。円空上人の若い時代、寛文五年(一六六五)から北海道・青森県・山形県・栃木県・茨城県などの行は、各地に大作の観音像を遺しました。特に円空仏は岐阜県・愛知県・埼玉県に多く遺り、九州や四国地方にも分布し、現在発見されるだけでも五千体を越します。造像仏は丸木を竪に割り、材を生かした鉈彫りの正面観照の庶民的な仏像が多いです。元禄八年(一六九五)に六四歳で没しました。
大経寺の円空仏は、像高約二四三センチメートルの千手観音像では最大の円空仏で、円空上人の代表的な作です。材は杉材を用い、下半身は欅材の臼を半割りに使用しています。これは、北海道の有珠岳を連想し造立したといわれています。
埼玉県内の浦和市・大宮市・岩槻市・蓮田市などに分布する埼玉彫りの円空仏と異り、栃木県・東北地方の円空仏に類似しています。そのため大経寺の円空仏は、円空上人の行脚の足跡を知る手掛りとなる千手観音像です。

出典 猫の足あと

所在地:埼玉県八潮市八條3877

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

地図↓

無量山大経寺 · 〒340-0801 埼玉県八潮市八條3877
★★★★☆ · 仏教寺院

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

八潮市周辺のホテル、旅館、宿泊施設を探す、予約する

      

八潮市周辺のレストラン、美味しいお店はこちらで探すことが出来ます。

  

関連記事

八潮市のおすすめグルメ、美味しいもの、お土産をこちらの記事で紹介しています。

関連サイト

日本の魅力

日本の食卓

日本のお酒

Red Doors Gallery

タイトルとURLをコピーしました