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群馬県館林市はこんなに素敵なところ!
群馬県立館林美術館、さくらまつり、こいのぼりの里まつり、たてばやし花菖蒲まつり、つつじが岡公園のつつじ、城沼の花ハス、館林手筒花火大会、多々良沼・城沼の白鳥、里沼 館林の沼辺文化、ぶんぶく茶釜の寺 茂林寺、館林城..
こちらでは群馬県館林市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、公園、神社、お寺などのパワースポット、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物、モダン建築などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。
館林市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、神社、お寺、美術館、文化遺産、歴史遺産、歴史的建造物

ねえねえボンゾくん、群馬県の館林市ってどんなところなの?おすすめの名所や人気の観光スポット、素敵な場所を教えてくれる?

館林市には素敵なところがたくさんあるよ! 群馬県立館林美術館、さくらまつり、こいのぼりの里まつり、たてばやし花菖蒲まつり、つつじが岡公園のつつじ、城沼の花ハス、館林手筒花火大会、多々良沼・城沼の白鳥、里沼 館林の沼辺文化、ぶんぶく茶釜の寺 茂林寺、館林城なんかがおすすめだね。それじゃあイギーくんと一緒に館林市のこと、詳しく調べてみようね!
館林市の名物、美味しいもの、お土産をこちらの記事で紹介しています。
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群馬県立館林美術館
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多々良沼の白鳥
群馬県立館林美術館
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群馬県立館林美術館の特徴
群馬県立館林美術館は、2館目の県立美術館として、2001(平成13)年10月にオープンしました。1974(昭和49)年に高崎市に設立された群馬県立近代美術館から遠隔地にあたる東部地域に位置し、より多くの県民の方々に美術作品鑑賞の機会を提供し、美術振興をより一層推進することを目的としています。
群馬県立館林美術館では、県立近代美術館をはじめ、県のあらゆる機関と協力し、積極的に連携をとりながら、県民の方々の豊かな感受性と創造性の発展のために、人間の優れた精神活動から生み出される芸術作品の収集と文化遺産の保存、研究、公開を行い、新しい時代の文化の育成に取り組みたいと考えます。当館は、群馬県館林市、多々良沼の北東に位置します。冬には白鳥の飛来する多々良沼周辺の自然豊かなこの土地は、「自然と人間の関わり」を活動のテーマとする当館にふさわしい立地として選ばれ、美術館建設は、多々良沼公園の整備とともに進められました。
建築設計は第一工房[代表:高橋靗一(ていいち)]によるもので、7.5haの敷地全体のランドスケープデザイン(設計:オンサイト計画設計事務所)と一体的に構想されています。美術館のランドスケープは、北に多々良川、南東に湿地、南西に水田という原風景を残す平坦な土地の中、修景池とアースワーク(造形的盛土)で囲むことによって独立した形となり、「「水面」に浮かび上がる「島」」がイメージされています。
美術館の建物へのアプローチは、駐車場から始まり、修景池の橋を渡り、カーブを描くカスケードに沿ってつながります。建物の前に広がる芝生の前庭は、わずかに傾き、水平の風景の中で視線や動きを誘導します。
建物の中心に位置するのは、大きなガラス面の開口を持つ展示室1です。コレクションのフランソワ・ポンポンなど、彫刻を中心に展示するスペースとして作るにあたり、高橋靗一は「巨大な木の葉のハッパの陰に動物たちが憩う姿」を想像したと言います。そして、「地中に中心をもつ円錐」と「天空に中心をもつ球殻の一片」から、傾斜する天井と湾曲する壁を導き出し、独特の空間を生み出しました。
レストラン、ミュージアムショップ、展示室2、3、4をつなぐのが、200mの長さで弧を描くギャラリーです。前庭を包み込む全面ガラスのギャラリーは、外の風景と視覚的にまた動線的に連続性を持っています。「石、アルミ、ガラス、水などの素材のスケール、テクスチャーを意識しながら、ディテールをできるだけ単純化し、空間を分節する線を最小限にした」という設計の意図は、空間に身を置き、歩くことで、体感されるでしょう。
ギャラリーを進み、外に出ると、モダンでシャープな本館とは対照的な雰囲気の「別館」が建っています。別館は、フランソワ・ポンポンの資料を展示する「彫刻家のアトリエ」と、造形活動を行う「ワークショップ室」のために作られた建物です。ポンポンの生地にちなみ、フランス、ブルゴーニュ地方の農家を参考にしており、ヨーロッパの屋根瓦と石灰岩の乱積みによる外観をそなえています。周囲には散策するための遊歩道が配され、カツラのボスク(樹木の寄せ植え)の季節ごとの風情が前庭の芝と別館をつないでいます。
住所:群馬県館林市日向町2003
お問い合わせ:0276-72-8188

さくらまつり
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さくらまつりの特徴
毎年3月25日~4月9日
館林さくらまつり
場 所・・・①鶴生田川両岸~尾曳稲荷神社
②多々良保安林
③近藤沼公園
概 要・・・市内3会場において開催され多くの人で賑わい、夕方からはボンボリが点灯され
夜桜もまた幻想的です。出典 館林市観光協会公式サイト
こいのぼりの里まつり
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こいのぼりの里まつりの特徴
毎年3月25日~5月15日
市内4か所に約4,000匹のこいのぼりが春風に吹かれ水面を揺らします。
ぜひ壮観な眺めをお楽しみください。平成17年5月には、5,283匹の掲揚数で世界記録に認定されました。
場 所・・・鶴生田川・近藤沼
茂林寺川・多々良沼出典 館林市観光協会公式サイト
つつじが岡公園のつつじ つつじまつり
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つつじが岡公園のつつじ つつじまつりの特徴
つつじまつりは現在年間約10万人がつつじが岡公園へ訪れる、館林市最大のまつりです。
約100余品種、1万株が咲き誇る世界一のつつじの名園に、ぜひお越しください。この公園は古来からヤマツツジの自生する地で、室町時代の書物にも「躑躅ヶ崎」の名で記されています。
江戸時代の初期には、既にツツジの名所として近隣に知られ、1627年に館林城主榊原(松平)忠次が、ツツジの古木群をこの地に移植して以降は、大名らの手により保護育成が図られてきました。そして一時的に荒廃した時代もありましたが、約400年もの間、このツツジ園が連綿と維持され続けてきたことは特筆すべきことです。
おそらく世界中を探しても例のないことでしょう。このように多くの人々の努力によって守られ、ツツジたちは今もなお、毎年花を咲かせているのです。
皆さんが園内で見るツツジの風景は、江戸時代にお殿様が見ていた風景と同じ木なのかもしれません。園内には多くの品種が保存されています。中でも、江戸時代、東京都大久保でつくられていた江戸キリシマの品種が、まとまって残されているのは全国でもつつじが岡公園くらいです。また、公園を代表する品種、ヤマツツジ、オオヤマツツジの中から、特に花色の変異したものを、館林市オリジナル品種として登録しました。
この8品種はまさに、ここ、つつじが岡だけのものです。加えて、館林市出身の宇宙飛行、向井千秋さんがスペースシャトル・コロンビア号に搭乗した際持って行った種から育てた「宇宙ツツジ」も園内で見ることができます。
出典 つつじが岡公園公式サイト
所在地:群馬県館林市花山町3278

たてばやし花菖蒲まつり
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たてばやし花菖蒲まつりの特徴
場所:つつじが岡第二公園(館林花菖蒲園)
5,000平方メートルの園内に、約100品種4,000株の花菖蒲が咲き誇ります。
期間限定で、普段は立ち入れない旧秋元別邸を一般公開。期間中は館林市観光協会会員による臨時カフェもオープンし、訪れた皆様をおもてなしします。出典 館林市観光協会公式サイト
所在地:群馬県館林市尾曳町8-1

城沼の花ハス 花ハスまつり
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城沼の花ハス 花ハスまつりの特徴
夏の城沼花ハスまつり
期間
7月10日から8月15日
花ハスまつりには現在年間約5万人が城沼を訪れます。花ハスの目の前を探検する大迫力の遊覧船をお楽しみください。
数十年前よりハス田を育てていたことから、大量に繁茂。その結果、ハスの葉が夏に大量に広がり花が咲くようになりました。出典 館林市公式サイト
場所:城沼・古城沼

館林手筒花火大会
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館林手筒花火大会の特徴
館林藩主・榊原氏の発祥の地である、三河地方に伝わる勇壮な「手筒花火」は迫力満点です。スターマインの打上花火も楽しめます。
450年前から三河地方伝承の「手筒花火」を、「愛知県豊橋市」の有志と館林煙硝会が放揚。
花火を吹き上げる手筒を抱えた勇壮で力強い男たちの姿は必見です。古い歴史のある、館林の手筒花火。花火師たちが火花散る中、勇壮果敢に花火を披露します。
打ち上げ花火とは一味違う手筒花火、一斉に火をつけるとまさに火花の壁の様です。出典 祭りの日公式サイト
開催場所:群馬県館林市城町2番地

多々良沼・城沼の白鳥
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多々良沼・城沼の白鳥の特徴
遠く離れたシベリアから館林まで渡ってくる白鳥たち。11月中旬から3月上旬にかけて飛来し、近年では、1月下旬から2月上旬にかけて最多飛来数を記録しています。
出典 館林市公式サイト
多々良沼
所在地:群馬県館林市日向町

城沼
所在地:群馬県館林市

里沼 館林の沼辺文化
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茂林寺沼
里沼 館林の沼辺文化の特徴
「祈り」「実り」「守り」の沼が磨き上げた
館林の沼辺文化
上毛三山や日光連山、筑波山などの関東の峰々や、遠くには富士山も一望できる館林。
関東平野の奥深く、利根川・渡良瀬川の大河に挟まれた地域にあり、そこには茂林寺沼・多々良沼・城沼・蛇沼・近藤沼という豊かな水をたたえる沼が5つあります。沼はさまざまな動植物が生息する自然の源であり、その水を求めて人々が集い、水が人々の暮らしを支えるとともに、人が水を利用して大地を切り開き、まちや村が生まれ、そこに沼辺特有の文化が築かれてきました。
人里近くにある沼。自然と人が共生し、歴史文化をはぐくんできた沼。
人が自然と適度に関わることで環境が保たれている「里山」が日本の風土に根付いていますが、その概念をヒントに、沼のまわりで自然と共調しながら人が暮らし、歴史文化が育まれてきた沼も、「里沼」と言うことができます。
それが、日本の原風景として新しく価値づけられ、日本遺産に認定されました。館林には、なぜ今もたくさんの沼が残っているのでしょうか。
その理由は地形にあります。利根・渡良瀬川に挟まれた館林地域は、河川の浸食によって台地と低地が複雑に入り組んでいます。河川によって土砂が堆積し、そこに水が溜まり、それが動植物の生息する自然の沼となりました。館林の5つの沼は、台地と低地の境目に位置しているのが特徴です。
沼は、先人たちが漁労や植物採集の場となり、沼の水を利用して用水を開削し、周辺の大地が潤される大切な場でした。しかし、人が暮らす地域にある沼は、新田開発や戦後の食糧増産、さらには近年の土地改良事業による都市化(住宅団地・工業団地)により、日本の風土から消え去っていきました。
館林の沼は、長い歴史の中で消滅の危機を乗り越えながら、今も5つの沼を見ることができます。人が暮らす地域で、これだけたくさんの沼が残されているのは、館林だけです。そして、館林の「里沼」には、人との関わり方にそれぞれ特色がみられます。
それが、「祈り」「実り」「守り」というキーワードです。明治の文豪田山花袋は、少年期に見た、水草が繁茂する人が入り込めないような城沼の自然に畏れを感じていましたが、明治後期になって行楽客が集う拓かれた城沼の姿を見て、
「田とすかれ畑と打たれてよしきりも、すまずなりたる沼ぞかなしき」
と和歌に託しました。
沼の姿は時代によって変化してきましたが、館林に住む人々は、それぞれ心の中に自分の原風景となる沼の姿を持っていることがわかります。昭和の高度経済成長期には、館林の沼の水質は悪化の一途をたどり、動植物が住めなくなる状況になってきました。これは、人々が自然を無視し、人間主体の生活を切り開いてしまったことで、「里沼」ではなくなってしまったことによります。しかし、地域の沼を守ろうと目覚めた多くの人びとは、水質浄化や自然保護に力を入れ、「里沼」の本来の姿がよみがえり始めました。
そして、春は湿原に芽吹く植物や沼辺の桜やつつじ、初夏は花ショウブ、夏は沼に入って楽しむ花ハス、秋は紅葉、そして冬はハクチョウをはじめとする飛来するたくさんの水鳥。「里沼」には、日常を忘れ、心が癒される沼辺景観が新たな価値として加わっています。
ぶんぶく茶釜の寺 茂林寺
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ぶんぶく茶釜の寺 茂林寺の特徴
群馬県館林市にある茂林寺は、1426年に創建された曹洞宗の寺院です。この茂林寺はおとぎ話「ぶんぶく茶釜」の寺として広く知られており、総門から山門に続く参道では21体の信楽焼の狸像が参拝客を出迎えてくれる他、山門をくぐると1960年に東武鉄道が寄贈した巨大なタヌキ像が待っています。境内には他にも多くの信楽焼の狸が置かれている他、日本各地の狸グッズや狸の剥製が多くが展示された「狸コレクション」も人気を集めています。
日本中で語り継がれるおとぎ話「ぶんぶく茶釜」。そのストーリーはこんな感じです。
上野国館林にある茂林寺。茶の湯を趣味にするその茂林寺の和尚さんがある日、茶釜を買って寺に持ち帰ります。その茶釜が和尚の居眠りの最中に頭やしっぽ、足をはやしたといい、小坊主たちに見つかって騒動となります。和尚は最初はそんな話を信じもしませんでしたが、お湯をわかそうと茶釜を炉にかけると、その熱さに耐えかねた狸がついに和尚にその正体を現しました。驚いた和尚はその奇妙な釜を屑屋に売ってしまいます。
その夜、寺でのさんざんな扱いにうんざりしていた狸は、屑屋にその不思議な姿をあらわし、自分は狸の化けた茶釜「ぶんぶく茶釜」だと名乗って、軽業や踊りの芸を人前でやるので丁寧に扱ってほしいと屑屋に持ちかけます。茶釜大夫の曲に合わせた綱渡り芸は人気を博し、多くの人が集まる見世物になり、屑屋を繁盛させました。
その後、元の姿に戻れぬまま病気にかかり死んでしまった狸を引き取った茂林寺で供養してもらい、その茶釜が寺の宝として安置されたというのが、物語の結末です(結末には諸説あります)。寺所蔵の茶釜は、一般の参拝者も有料で見学することができます。
「ぶんぶく茶釜の寺」としての側面にスポットが当たりがちですが、境内には歴史を物語る建造物も多く、茂林寺のもう一つの見どころとなっています。
寺の入口である総門は、1468年に建立。黒門とも呼ばれています。その先にある山門も歴史が深く、1694年に建立されたもので、こちらは赤門とも呼ばれます。本堂はさらに古く、1468年に建立、1727年に改築を行い現在に至っており、この本堂北側の一室に「ぶんぶく茶釜」が置かれています。
また本堂の前には、1980年に館林市の保存樹に指定された枝垂れ桜があります。桜の時期にはこの桜が古刹の趣きに花を添え、多くの見物客が訪れます。
出典 東武鉄道公式サイト
所在地:群馬県館林市堀工町1570
地図↓

館林城
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館林城の特徴
館林城は徳川四天王のひとり、榊原康政が城主をつとめた城として知られています。戦国時代はおもに北条氏が支配しており、豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城し、1590年(天正18年)の徳川家康の関東入封に伴って、康政が10万石で城主となり、石垣や天守を持つ近代的な城に造り変えました。その後、5代将軍・徳川綱吉も城主をつとめましたが、嫡男の徳松が急死すると廃城となりました。その24年後の1707年(宝永4年)、6代将軍・家宣の弟、松平清武が入城し、館林城を再健しました。以降は太田氏、松平氏、井上氏、秋元氏と頻繁に城主が替わりましたが、1874年(明治7年)に大名小路より出火した火災で城のほぼ半分を焼失し、焼け残った城内の建物も取り壊されました。現在、城址には市役所などが建てられており、三の丸跡に城壁と土橋門が復元されています。
出典 攻城団公式サイト
所在地:群馬県館林市城町3−1
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