志木市の観光スポット カッパの郷 文化遺産 建築 自然 絶景 パワースポット巡り 埼玉県志木市への旅行ガイド

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埼玉県志木市の見どころ 名所 人気の観光スポット 旅の情報!チョウショウインハタザクラ、いろは親水公園、朝日屋原薬局、村山快哉堂、いろは樋の大枡、郷土資料館、東明寺の庚申供養地蔵、立善講寺、敷島神社、田子山富士塚、田子山御嶽神社、宝幢寺 、神明神社、舘氷川神社、千光寺、大仙寺、羽根倉浅間神社、上ノ氷川神社..

こちらでは埼玉県志木市の観光名所、おすすめスポット、人気の観光地、美しい自然景観、絶景、神社仏閣などのパワースポット、日本遺産、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。また、志木市周辺のホテル、旅館、宿泊施設もこちらから予約出来ます。

志木市について

志木市は、埼玉県の南西部に位置し、面積は9.05平方キロメートル、東西に4.7kmと全国でも6番目に小さな市です。都心まで電車で20分という好アクセスから、住宅都市・商業都市として発展してきました。一方、市内には「新河岸川」「柳瀬川」「荒川」の3本の川が流れ、自然や田園風景も多く残っています。また、江戸時代には、新河岸川と柳瀬川の合流地点に「引又河岸」という河岸場が設けられ、江戸と川越をつなぐ物流の拠点として栄えた歴史もあります。

カッパの郷志木

川に囲まれ、水との関わりが深い街である志木市には、昔からカッパにまつわる伝説が伝えられています。

「昔、人や馬に悪さをする河童が柳瀬川に住んでいました。ある日、その河童が、馬を川の中に引きずりこもうとして失敗し、村人たちにつかまってしまいました。そこに宝幢寺の和尚さんが現れ、哀れに思った和尚さんが村人たちを説得し、二度と悪さをしないことを約束に河童を助けてあげました。すると、翌朝和尚さんの枕元に、河童からのお礼なのか鮒が置いてあり、それ以来二度と人や馬が襲われることがなくなりました。」

このお話は江戸時代、「寓意(ぐうい)草(そう)」に収録された後、民俗学の第一人者である柳田国男の「山島民譚集(さんとうみんたんしゅう)」でも紹介され、全国的に知られるようになりました。この伝説のほかにも、志木には川の街ならではのカッパの伝説が数多く語り継がれています。また、市内にはカッパ伝説をモチーフに作られた24体のカッパ像があり、それぞれに愛称がつけられ、人々に親しまれ、訪れる人に安らぎを与えているほか、志木市文化スポーツ振興公社の公式キャラクター「カパル」や志木市商工会キャラクター「カッピー」など、カッパの郷として愛嬌いっぱいのカッパたちが活躍しています。

出典 志木市公式サイト

チョウショウインハタザクラ

チョウショウインハタザクラの特徴

目通り樹周り3.05メートル、高さ11.2メートル、推定樹齢400年以上のハタザクラです。(目通り・高さは指定時)

花は大きく、一重咲きの花に雄しべの一部が花弁状に変わった旗弁(1から2枚)を生ずるヤマザクラ(バラ科)の一種で、この種のハタザクラとしては、他に類がなく唯一の栽培品種です。

出典 志木市公式サイト

所在地:埼玉県志木市柏町3丁目11−13

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いろは親水公園

いろは親水公園の特徴

総面積が60、827平方メートルの公園で、コンビネーション、ブランコ、ロープスライダー、クライミング、だんだん登り、丸太ステップ、水飲場、あずま屋等が設置されています。また、市内でも珍しい湧水や野鳥観察壁もあり、自然と触れ合える公園です。

出典 埼玉県物産観光協会公式サイト いろは親水公園公式サイト

所在地:埼玉県志木市中宗岡5丁目1

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朝日屋原薬局

朝日屋原薬局の特徴

朝日屋原薬局は、明治20年代に創業され、明治45年に現在地に移転し、店舗併用住宅の主屋を建築しました。同時期に土蔵、物置、東雲不動尊を建設。大正中期に主屋の一部を増築。昭和7年に洋館、昭和9年に離れを建設しています。朝日屋原薬局は、明治大正期に栄えた薬局の典型として貴重な建物群であり、当時の生活様式を知ることのできる貴重な文化財です。

出典 志木市公式サイト

所在地:埼玉県志木市本町2丁目4−43

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村山快哉堂

村山快哉堂の特徴

明治10年(1877)11月に建築された木造2階建て土蔵造りの店蔵で、平成7年(1995)に解体後、平成13年(2001)にいろは親水公園村山快哉堂ひろばに移築復元したもの。

店蔵が座売り形式の商形態を残す点、一階中央部分の吹き抜け、鉢巻の2段構成、ムシコ窓とその枠回りなど川越の店蔵とは異なる特有の意匠構成が見られ、貴重な有形文化財(建造物)です。

出典 志木市公式サイト

所在地:埼玉県志木市中宗岡5丁目1

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いろは樋の大枡

いろは樋の大枡の特徴

いろは樋(どい)とは、野火止用水を引又から対岸の宗岡村に引くために考案された筧(かけひ)。大桝は用水の水を掛け樋に送り出す前に、一度水をためておくために使われた。現存のものは明治31年(1898)に造られたもの。

出典 志木市公式サイト

所在地:埼玉県志木市本町2丁目

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郷土資料館

郷土資料館の特徴

郷土資料館は、郷土の考古・歴史・民俗資料を収集・保存・展示公開するとともに、市民の皆さんがこれらの資料を利用して学習する施設です。建物は市民から寄贈された江戸末期の建物を改築したものです。

出典 志木市公式サイト

所在地:埼玉県志木市中宗岡3丁目1

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東明寺の庚申供養地蔵

東明寺の庚申供養地蔵の特徴

寛文7年(1667)2月に造立された地蔵像で、光背に「新倉郡蟇俣村」と刻まれている。市内に残る石造遺物の中では、唯一この「蟇俣」の文字が使用されており、史料的価値の高いものである。

出典 志木市公式サイト

所在地:埼玉県志木市本町1丁目3−22

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立善講寺

立善講寺の特徴

前身は本門寺(大田区池上)の寺域に日鏡上人が日朗上人を開祖として創建した照栄院で、その約三百年後の元禄二年(一六八九)本山第二十二世日玄上人の時、鎌倉比企谷宝篋堂談林をこの地へ移し南谷談林と呼び、日玄上人を開祖として朗慶山立善講寺と号しました。
この様に照栄院と立善講寺は本来一体でしたが、時代が下がるに従って分離した様で、明治時代には別個の寺として存在していました。
明治初年、町内の日蓮宗信者による講(一心講)が組織され、本門寺に日蓮宗寺院の誘致を願い出、明治二十一年に立善講寺が当地に移転してきました。
この寺院では、毎年夏の土用の丑の日になると頭にのせた焙烙(素焼きの皿)の上でモグサを焼く焙烙灸が行われており、頭痛病みに最も効果があるといわれ当日は多くの人でにぎわいます。

出典 猫の足あと公式サイト

所在地:埼玉県志木市本町2丁目6−23

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敷島神社

敷島神社の特徴

敷島神社は、当地の浅間神社に、字市場の村社の村山稲荷神社・星野稲荷神社と無格社の水神社の三社を明治40年に合祀、敷島神社と改称して成立したといいます。浅間神社は、田子山塚と呼ばれていた塚から引又町の高須庄吉が暦応3年(1340)の板碑を発見し、明治5年に富士塚として造成したといいます。

出典 猫の足あと公式サイト

所在地:埼玉県志木市本町2丁目9−40

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田子山富士塚

田子山富士塚の特徴

明治5年(1872)6月に築造された富士塚で、敷島神社境内にあります。
古墳といわれてきた「田子山塚」の上に三十三尺(約10m)の土を盛り、2年8カ月の歳月をかけて完成したといわれています。

築造の発起人は後に富士講の先達となった高須庄吉で、現在、山の正面右側にある浅間下社に祀られている暦応3年(1340)の紀年のある十瀧房承海の逆修板碑を発見したことが築造のきっかけと伝えられています。

高さは約8.7m、直径約30mの丸みのある方形をした富士塚で、現存する富士塚では最大級のものです。富士信仰の主要な石造物や御胎内、つづら折りの登山道、合目石、塚表面の黒ボク石など、富士塚の典型的な要素を備え、塚の形容も優美です。頂上には木花開耶姫命が祀られた奥宮があります。特に石造物の数と種類、細工は他の富士塚と比較しても並はずれて優れており、当時の引又河岸や富士信仰を知る上でも欠かすことのできない貴重な文化財です。

また、富士塚が江戸から周辺地域に伝播する過程や富士講の地域的な活動を考える上でも貴重です。
国指定の富士塚としては5基目で、県内では、「木曽呂の富士塚」に次いで、2基目の指定です。

出典 志木市教育委員会公式サイト

所在地:埼玉県志木市本町2丁目9−7

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田子山御嶽神社

田子山御嶽神社の特徴

田子山御嶽神社は、志木市本町にある御嶽神社です。田子山御嶽神社は、天保2年(1831)に実明講社(御嶽講の一派)の人々が木曽御嶽神社を勧請して創建したといいます。現在敷島神社の境外社となっています。

木曽御嶽山は、江戸中期頃までは一般に開放されていませんでしたが、寛政四年(一七九二)頃より一般にも解放されるようになり、御嶽講社の結成が行われ、江戸末期には全国に広まってその数五〇〇ともいわれていました。現在の社殿は、昭和三十三年十月に改築されたものです。

出典 猫の足あと公式サイト

所在地:埼玉県志木市本町2丁目15

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宝幢寺

宝幢寺の特徴

正式には地王山 地蔵院 宝幢寺と称し、真言宗智山派(総本山は智積院)に属します。
御本尊は秘仏の延命地蔵菩薩です。

当山の起源は建武元年(1334)4月に祐円上人が開創したという説があり、現在の敷島神社付近にあった当山を柏の城、城主大石信濃守の子息 四郎殿の屋敷跡に当たる現在地に移したとする説と、天正年間(1573~1592)に現在、当山の門外西方にあたる地にあった地蔵堂をもとに祐円上人が新たに寺を建立したなどの諸説があるほか、この祐円は中興開山だとする説もあってはっきりしません。
現在の住職 金剛光裕は祐円上人から数えて26世にあたります。

当山は、三代将軍家光公がこの辺りに頻繁に鷹狩りに訪れた際、そのたび急速に立ち寄ったことが機縁となって村内十石の地を寄付するという御朱印状を慶安元年(1648)7月17日に家光公から賜い、更に門前の地所一町を頂いています。その後、綱吉公・吉宗公等からも御朱印状を頂戴しています。

江戸時代の当山は火災による消失とそのあとの再建の繰り返しであったようです。被災は安永年間(1772~1781)、天明五年(1785)、安政七年(1860)の3回まではほぼ確認できるので実際にはそれを上回る回数であったと思われます。御本尊の台座の部分が御本体と明らかに違っているのも火災の際、御本体だけを持って逃げたためと思われます。

出典 宝幢寺公式サイト

所在地:埼玉県志木市柏町1丁目10−22

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神明神社

神明神社の特徴

出典

所在地:埼玉県志木市柏町5丁目18−31

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舘氷川神社

舘氷川神社の特徴

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所在地:埼玉県志木市柏町3丁目6−19

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千光寺

千光寺の特徴

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所在地:埼玉県志木市上宗岡2丁目2−30

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大仙寺

大仙寺の特徴

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所在地:埼玉県志木市上宗岡2丁目7−45 大仙禅寺

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羽根倉浅間神社

羽根倉浅間神社の特徴

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所在地:埼玉県志木市上宗岡4丁目27−20 浅間神社

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上ノ氷川神社

上ノ氷川神社の特徴

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所在地:埼玉県志木市下宗岡4丁目7−43

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