長野市の名所 人気の観光スポット 観光地 絶景 神社 お寺 文化遺産 歴史遺産 歴史的建造物.. 長野県長野市の魅力

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松代城
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長野県長野市はこんなに素敵なところ!

善光寺、松代藩と松代町、松代城、松代藩文武学校、旧横田家住宅、真田邸、長国寺、真田信之霊屋、象山神社、川中島古戦場史跡公園、茶臼山恐竜公園、飯綱高原、飯綱火まつり、戸隠山、戸隠神社、長野市戸隠伝統的建造物群保存地区、奥裾花自然園、白髯神社、久米路峡..

こちらでは長野県長野市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、公園、神社、お寺などのパワースポット、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物、モダン建築などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。

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カートくん
カートくん

ねえねえボンゾくん、長野県の長野市ってどんなところなの?おすすめの名所や人気の観光スポット、素敵な場所を教えてくれる?

ボンゾくん
ボンゾくん

長野市には素敵なところがたくさんあるよ! 善光寺、松代藩と松代町、松代城、松代藩文武学校、旧横田家住宅、真田邸、長国寺、真田信之霊屋、象山神社、川中島古戦場史跡公園、茶臼山恐竜公園、飯綱高原、飯綱火まつり、戸隠山、戸隠神社、長野市戸隠伝統的建造物群保存地区、奥裾花自然園、白髯神社、久米路峡なんかがおすすめだね。それじゃあカートくんと一緒に長野市のこと、詳しく調べてみようね!

長野市の名物、美味しいもの、お土産をこちらの記事で紹介しています。

善光寺

 

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善光寺の特徴

善光寺は今から1400年前に創建されたとされる。本堂は国宝、山門は重要文化財となっており、その他にも境内では様々な建築・仏像・塚などを見ることができる。善光寺一山には、大勧進を本坊とする天台宗25院と、大本願を本坊とする浄土宗14坊があり、宿坊として参詣客を迎え、信仰を支えている。また、仲見世通りには、50以上の店が軒を連ね、景観も素晴らしい。その門前町にも注目である。

信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来【いっこうさんぞんあみだにょらい】(善光寺如来)を御本尊として、創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、また民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ております。当寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られますが、現在その護持運営は大勧進【だいかんじん】を本坊とする天台宗と、大本願【だいほんがん】を本坊とする浄土宗の両宗派によって行われています。御本尊の一光三尊阿弥陀如来とは一つの光背の中に三尊(中央に阿弥陀如来、両脇に観世音菩薩、勢至菩薩)が配置された様式で「善光寺式阿弥陀三尊像」とも呼ばれます。

『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。この仏像は、仏教という新しい宗教を受け入れるか否かを巡る崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。その後、信濃国国司の従者として都に上った本田善光【ほんだよしみつ】が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642)現在の地に遷座されました。皇極天皇三年(644)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。

出典 善光寺公式サイト ウィキペディア

所在地:長野県長野市長野元善町 491-イ

地図↓

善光寺 · 〒380-0851 長野県長野市長野元善町 491-イ
★★★★★ · 仏教寺院

松代藩と松代町

松代藩と松代町の特徴

松代藩真田十万石の城下町で有名な松代町(まつしろまち)は、長野県長野市の南東部に位置する自然豊かな町。北には千曲川が流れ、三方を山に囲まれた5キロ四方のエリアに、古代から近代までの歴史的文化遺産がぎゅっと集まっています。

特に江戸時代、真田幸村の兄・真田信之が1622年に上田から移封され、松代藩の初代藩主となって以来、10代にわたりおよそ250年間を真田家が統治しました。今もあちこちに武家屋敷が建ち並び、真田家が築いた文化風土を色濃く伝えています。それぞれの御屋敷の庭園には泉水(池)、泉水路が流れ、その一部は文化庁指定の登録記念物となっています。

歴史に見る松代町

<古代>

水も緑も豊富な松代には、古くから人が暮らしていました。大室や東条には古墳群が点在しています。「東条」「西条」といった地名は、荘園時代の名残として今日に伝わっています。

<戦国~江戸>

戦国時代、松代は川中島合戦の舞台となりました。武田信玄が上杉謙信との戦いに備え、山本勘助に海津城(松代城)の縄張り(城の基礎設計)をさせたといわれます。その後、武田-織田-上杉-豊臣-徳川と支配者が変わりましたが、徳川家康が天下を取った江戸時代、上田から松代に移封された真田信之が、松代城を中心に本格的な都市計画を行い、今日の松代の基礎を築きました。松代城は「日本の名城100選」に指定されています。

<幕末~近代>

幕末には松代藩出身の佐久間象山が尊王開国を唱え、新しい時代の先駆けとなりました。
明治期に入ると、松代で日本初のフランス式機械製糸場・六工社が創業されました。官営の富岡製糸場へ伝習工女として出向いた横田英(富岡日記の著者)らの技術指導によって、多くの製糸場が創業。品質の良い松代製糸が海外にまで輸出され、松代の産業振興に大いに貢献しました。
明治から大正にかけ、松代清野出身の松井須磨子が日本初の本格的な近代舞台女優として活躍。「カチューシャの唄」で一世を風靡しました。
太平洋戦争末期には大本営を移設するために、松代周辺の山に地下壕が掘られました。本土決戦の最後の砦として計画されたものの、完成を待たずに終戦となりました。

住民によるまちづくり

昭和41年、埴科郡松代町は長野市に合併。平成5年の高速道長野インター誘致をきっかけに、住民によるまちづくりの機運が高まりました。行政の後押しを得、平成16年には築城444年目にして松代城を復元。同時に、「松代イヤー」として長野市を挙げて大々的に「遊学城下町松代、エコール・ド・まつしろ」キャンペーンを開催。松代ブランドの確立がはかられるとともに、年間80万人の観光客が訪れ、松代は「観光のまち」として全国に知られるようになりました。
さらに昨今では長野新幹線の金沢延伸を機に、100万人の観光客が訪れるまちにしようと、地元ではさまざまなまちづくり活動が活発化しています。

出典 長野商工会議所公式サイト

地図↓

松代町 · 〒381-1231 長野県長野市
〒381-1231 長野県長野市

松代城

 

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松代城の特徴

国指定史跡の城跡

松代城は松代藩初代藩主真田信之をはじめ、松代藩の歴代藩主の居城でした。元々は海津城と呼ばれ、武田信玄に命じられて山本勘助が築城したとされています。築城年代は不明ですが、文献に確認できるのが永禄3(1560)年ですので、この頃には築城されていたと推測できます。

武田信玄や上杉景勝、真田信之が拠点にした城

戦国時代から江戸時代初頭までこの地を支配した武田信玄や上杉景勝などにとって、この城は北信濃を支配する上で重要な拠点でした。元和8(1622)年に信之が松代に移ると、松代城本丸に御殿を建築し松代藩政の拠点に。松代に来たら訪れたい見ごたえある史跡です。

出典 信州松代観光協会公式サイト

所在地:長野県長野市松代町松代18−2

地図↓

松代城跡 · 〒381-1231 長野県長野市松代町松代18−2
★★★★☆ · 城

松代藩文武学校

 

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松代藩文武学校の特徴

国指定史跡の旧文武学校

松代藩八代藩主真田幸貫は文武の奨励を目的に、嘉永4(1851)年に松代藩の藩校である文武学校の建設準備にとりかかり、火事などに見舞われながらも安政2(1855)年に開校しました。現在残る建物群は開校当時の姿をほぼ伝えており、これは全国的にみてもまれです。

文武学校の授業

松代藩文武学校の授業は、文学(漢学)・躾方・医学・軍学といった文学のほかに西洋砲術・弓術・剣術・槍術・柔術の武芸がありました。西洋医学・西洋砲術などを科目に取り入れていることから、当時にあっていかに学問水準が高かったかがうかがえます。

出典 信州松代観光協会公式サイト

所在地:長野県長野市松代町松代205-1

地図↓

松代藩文武学校(旧文武学校) · 〒381-1231 長野県長野市松代町松代205−1
★★★★☆ · 史跡

旧横田家住宅

 

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旧横田家住宅の特徴

秀才を多く生んだ旧松代藩士横田家

旧横田家は禄高150石の中級武士で郡奉行などをつとめた家です。最後の甚五左衛門は表御用人でした。横田家から出た秀雄は大審院長に、その子正俊は最高裁長官、秀雄の弟謙次郎(小松)は鉄道大臣、姉の和田英は「富岡日記」の著者として有名になるなど秀才を多く生んだ家です。

江戸時代末期の様相を残す屋敷構え

横田家が現在地に移った時期は18世紀末。旧横田家住宅は他の藩士宅と同じく一種の公務員用住宅です。屋敷地には表門、奥に主屋、主屋の東隣りの隠居屋、主屋南西に土蔵が建っています。屋敷構えは江戸時代末期の様相を伝え、当時の位置にほぼ完全に保存されている点で貴重です。

出典 信州松代観光協会公式サイト

所在地:長野県長野市松代町松代1434-1

地図↓

旧横田家住宅 · 〒381-1231 長野県長野市松代町松代1434−1
★★★★☆ · 史跡

真田邸

真田邸の特徴

松代城跡唯一 当時のまま残った建築物

江戸時代末期に松代藩九代藩主真田幸教が当初、義母お貞の方(貞松院)の住居として建てたもの。昭和41(1966)年に真田家伝来の宝物とともに長野市に譲渡されました。全国でも少ない御殿建築の建築物で、松代城跡の建築物として唯一、当時のまま残った貴重な建物です。

出典 信州松代観光協会公式サイト

所在地:長野県長野市松代町松代1

地図↓

真田邸(新御殿) · 〒381-1231 長野県長野市松代町松代1
★★★★☆ · 史跡

長国寺

長国寺の特徴

天文16(1547)年、信濃国の在地領主であった真田幸隆が、畏敬する伝為晃運(でんいこううん)禅師を開山第一世に招き、一族の菩提寺として松尾城内に「真田山長谷寺(しんでんざんちょうこくじ)」を建立しました。その後、永禄7(1564)年に松尾城外へと移され、本格的な禅寺として諸施設を整えました。江戸幕府が開かれると、幸隆の孫にあたる真田信之は上田藩主となりますが、元和8(1622)年の松代移封にともなって現在の場所へと移転し、寺号も「長國寺」(國は国の旧字体)と改めて、今日にいたっています。

真田家の菩提寺

真田家の菩提寺として創建され、歴代松代藩主の墓所でもあった長國寺には、真田一族ゆかりの寺宝が数多く残っています。
長國寺と最も深い縁で結ばれた真田家の人物が、初代松代藩主であった真田信之です。講談や小説で英雄的に描かれた父・昌幸や弟・信繁(幸村)の影に隠れてしまいがちですが、戦乱の世で真田家を守り抜き、明治まで続く松代藩真田家の礎を築いた真田家最大の功労者といえるでしょう。
明治5(1872)年の大火での焼失を免れた「初代松代藩主真田信之公の霊廟」は、往時の真田家の繁栄を彷彿とさせるきらびやかな造りで、国指定重要文化財に指定されています。霊廟の裏手にある歴代藩主の墓所は、大名の墓としては決して宏壮なものではありませんが、真田家300年の歴史を語るように静寂な佇まいを見せてくれます。

出典 長国寺公式サイト

所在地:長野県長野市松代町松代1015-1

地図↓

長國寺 · 〒381-1231 長野県長野市松代町松代1015−1
★★★★☆ · 仏教寺院

真田信之霊屋

 

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真田信之霊屋の特徴

真田信之の隠居所書院跡に建てられた霊屋

松代藩初代藩主真田信之の隠居所書院跡に建てられた霊屋です。信之は遺命により隠居所を寺とし、真田林大鋒寺と号しました。大鋒は信之の院号です。二代藩主信政は父より先に没したので、三代藩主幸道のときに伽藍が建てられました。霊屋の本尊は信之が信仰した阿弥陀三尊です。

文化的価値の高い近世初期の建築

霊屋は由緒がはっきりしており、近世初期の建築で文化的価値の高い建築物です。霊屋は正面三間、奥行五間、奥行の柱間は狭く四、五尺あります。また外陣の欄間には三十六歌仙画が飾られていますが残っているのは二十四枚となっています。

出典 信州松代観光協会公式サイト

所在地:長野県長野市松代町柴

地図↓

真田信之霊屋 · 〒381-1231 長野県長野市松代町松代1576−1
建造物

象山神社

 

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象山神社の特徴

佐久間象山を祀る神社

佐久間象山を祀り、全国の教育関係者の尽力により昭和13(1938)年に創建された神社。大正2(1913)年象山殉難50年祭を契機に元大審院長横田秀雄の主唱で計画が進められ地元をはじめ県下全市町村及び信濃教育会・全学校・全国関係者の協力で県社として創建されました。

総桧材桃山式流造の雄大な本殿を中心に見どころ多数

敷地内には総桧材桃山式流造の雄大な本殿を中心に、佐久間象山が幕末の志士たちと国家の時勢を論じたという高義亭、京都から移築した茶室・煙雨亭、象山宅跡、生誕の碑、生誕200年を記念して建立されたブロンズ像などがあります。

出典 信州松代観光協会公式サイト

所在地:長野県長野市松代町1502

地図↓

象山神社 · 〒381-1231 長野県長野市松代町松代1502
★★★★☆ · 神社

象山地下壕

 

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象山地下壕の特徴

第二次世界大戦末期に極秘につくられた地下壕

松代大本営地下壕は舞鶴山(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山、象山に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10kmに及んでいる地下壕です。第二次世界大戦末期に大本営、政府各省等をこの地に移す計画で約1年半の突貫工事で約8割が完成しました。

いまに残る貴重な戦争遺跡

建設には巨費が投じられ労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたといわれています(さまざまな見解あり)。松代象山地下壕は平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として多くの方々にこの存在を知っていただくため、平成元(1989)年から一部を公開しています。

出典 信州松代観光協会公式サイト

所在地:長野県長野市松代町西条479-11

地図↓

松代象山地下壕 · 〒381-1232 長野県長野市松代町西条479−11
★★★★☆ · 史跡

川中島古戦場史跡公園

 

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川中島古戦場史跡公園の特徴

武田信玄と上杉謙信の戦いで有名な川中島古戦場に開設した公園。園内には、12,000平方メートルの築山状芝生広場、自然石を配した小川のせせらぎ、かやぶき屋根の四阿等があり、史跡公園のイメージに花を添えています。この他園内には市立博物館があり、社会教育の場として広く利用されています。また隣接する八幡社の中には武田信玄と上杉謙信一騎討ちの像があります。
なお、平成29年7月1日より、公園名が「八幡原史跡公園」から「川中島古戦場史跡公園」に変更になりました。

出典 長野市公式サイト

所在地:長野市小島田町1384-1

地図↓

川中島古戦場史跡公園 · 〒381-2212 長野県長野市小島田町
★★★★☆ · 市立公園

茶臼山恐竜公園

 

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茶臼山恐竜公園の特徴

ジュラ紀、白亜紀といった4つの時代の恐竜約25体を実物大で展示。園内最大のディプロドクスは体長25mという大迫力!恐竜はすべり台などの遊具になっており、直接触れて楽しめます。公園入口の土手には約80本の桜が並び、満開時には桜のトンネルが楽しめます。

出典 ながの観光コンベンションビューロー公式サイト

所在地:長野市篠ノ井岡田2358

地図↓

茶臼山恐竜公園 · 〒381-2225 長野県長野市篠ノ井岡田
★★★★☆ · 公園

飯綱高原

飯綱高原の特徴

飯綱高原または飯縄高原は、長野県長野市芋井地区にある、飯縄山麓に広がる高原地帯。主として飯縄山の南西から南東にかけての標高1000メートル前後の範囲を指す。

歴史

戸隠山への修験道の一部を成したほか、一の鳥居は戸隠神社の最初の鳥居であり、辺り一帯には宿坊が多く並んでいた。観光地として開発されたのは昭和30年代以降であり、1964年の戸隠バードライン開通後は休養地として注目されるようになり、別荘地としても開発された。

概要
スキー場、スケート場(飯縄湖)、キャンプ場、ハイキングコース、ゴルフ場などがある。長野オリンピックでフリースタイルスキー、ボブスレー、リュージュの会場となった。また高地にあるため、電力会社やNTTの無線中継所なども存在する。

出典 ウィキペディア

所在地:長野県長野市上ケ屋

地図↓

飯綱高原 · 〒380-0888 長野県長野市上ケ屋
★★★★★ · バス停

飯綱火まつり

 

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飯綱火まつりの特徴

修験道の霊山「飯縄山」の「山入り」の行事を再現したもので、大座法師池は光と水の演出で幻想的な雰囲気になります。フィナーレに向け、打ち上げ花火・ナイアガラ花火が湖面を彩ります。

出典 日本観光振興協会公式サイト

場所:長野県長野市大字上ケ屋

地図↓

飯綱高原 · 〒380-0888 長野県長野市上ケ屋
★★★★★ · バス停

戸隠山

 

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戸隠山の特徴

戸隠山は日本誕生の神話とともにある山。天照大神(あまてらすおおみかみ)が天ノ岩戸にお隠れになったとき、手力雄命(たぢからおのみこと)が力いっぱい投げ飛ばした岩が飛んできてできたのがこの戸隠山なのである。戸隠山には奥社、中社、宝光社という3つの大きな神社がこんもりとした森に包まれて鎮座し、その背後にある突兀(とつこう)たる岩屏風は、神話の舞台としてふさわしいたたずまい。ときおり中社や宝光社の大きな杉の森から、神楽(かぐら)の音が響いてくる。猛々しいもののふの剣の舞のあとには、鶏に扮したあどけない巫女たちの踊り、そして最後には手力雄命が、力いっぱい戸を投げつける。神秘に満ちた戸隠山にふさわしい舞いである。
戸隠への登山は、本当に険しい。中腹の百軒長屋を過ぎると、鎖の連続である。そして断崖絶壁を鉄鎖でよじ登ると、その果てに「蟻ノ戸渡り」の難場が待ち構えている。山頂の八方睨(はつぽうにらみ)は間近い。その山頂に立って、左にさらに険しく連なる西岳、北に端麗な高妻山を眺めると、今までの苦労を忘れさせてくれる。
下山は大概の人は屏風のへりに沿って一不動へ縦走し、戸隠牧場へ下る。
奥社入口から2時間30分で八方睨、さらに一不動経由3時間強で戸隠牧場へ下れる。

出典 山と溪谷社公式サイト

所在地:長野県長野市戸隠

地図↓

戸隠山 · 〒381-4101 長野県長野市戸隠
★★★★★ · 山頂

戸隠神社

 

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戸隠神社の特徴

霊山戸隠山のふもとにあり、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる戸隠神社。はるか神代の昔、高天原に由来する「天岩戸開き神話」ゆかりの神々を祀っています。弟のあまりの乱行に天照大神は、岩戸にお隠れになり、世の中は真っ暗になり、大混乱になりました。そこで、困った神々が会議をし、大神を再び外へお連れするため、歌や踊りの祭りを開きました。

その賑わいを不思議に思い、天照大神が少し戸をお開きしたところで、手力雄命( たちからおのみこと) が岩戸を押し開き、大神をお迎えしました。その岩戸が下界に落ちて戸隠山になったという伝説もあります。

神々の物語により、奥社の御祭神は天手力雄命(あめのたちからおのみこと)、中社は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)、火之御子社は天鈿女命(あめのうずめのみこと)、宝光社は中社祭神の御子神の天表春命(あめのうわはるのみこと)などと神話に登場する神々をそれぞれ祀っています。

戸隠神社の歴史は古く、これらの神々以外、地主神として、水と豊作の大神の九頭龍大神を祀っています。この世の生き物にとって欠かすことこのできない水。それは戸隠信仰の始まりであるとも言われています。古来、天台密教が伝播するにおよび、神仏習合の顕光寺が創建され、戸隠信仰は修験道とも習合し、この霊地は日本全国に名をはせることになりました。山にこもって修行し、悟りを開く大道場として栄え、修験道を中心に中世から近世までにおいて広く庶民の信仰を集めてきました。

しかし、明治初年の神仏分離令により、神仏一体の戸隠信仰は、神道か仏教かの選択を迫られる状況に直面しました。戸隠信仰の源流は、古代人の山への信仰にありますが、仏教的なものは一掃され、神社神道として歩むことになりました。

出典 戸隠神社公式サイト

所在地:長野県長野市戸隠中社3506

地図↓

戸隠神社 奥社 · 〒381-4101 長野県長野市戸隠3690
★★★★★ · 神社

長野市戸隠伝統的建造物群保存地区

長野市戸隠伝統的建造物群保存地区の特徴

保存地区の所在地

長野市戸隠字宝光社の全域並びに字中社、字宝光社東、字宝光社西、字堂前林、字向林、字東谷及び字上泡原の各一部

保存地区の面積

約73.3ヘクタール

保存地区の種別

宿坊群・門前町

保存地区の特徴

―大規模な宿坊群を中心とした戸隠神社の門前町―

戸隠中社及び宝光社の宿坊群を中心とした門前町で、江戸時代の地割が良く保たれ、戸隠信仰のもと参詣者を受け入れるため大規模化した宿坊が、社殿や在家の住宅、石垣等と一体となって歴史的風致を形成しています。

保存地区の歴史と特性

長野市戸隠伝統的建造物群保存地区(以下「保存地区」)は、戸隠連峰や飯縄山が連なる長野市北西部の山岳地帯に位置します。全域が標高1,000メートルを超える高所にあり、年間を通じて気温が低く、冬季の積雪は2メートルを越える豪雪地帯にあたります。また、一帯は妙高戸隠連山国立公園にも指定され、豊かな自然環境が保全されています。

長野盆地へ流入する裾花川等の水源域でもある当地は、古くから水神や農業神として信仰を集めており、平安中期には修験道の一大霊場として全国に知れ渡るようになります。それとともに、現在の戸隠神社の前身である神仏習合寺院「戸隠山顕光寺」が成立します。

鎌倉後期までには、奥院・中院・宝光院が整備され、各院周辺には修験者である衆徒の僧坊が構えられました。戦国期になると武田信玄と上杉謙信による戦乱に巻き込まれて一時衰退しますが、その後、上杉景勝によって再興されると、江戸時代には徳川家康から朱印地1,000石が与えられ、信濃を代表する天台宗寺院として隆盛しました。

江戸時代、戸隠山顕光寺に所属した衆徒たちは「御師」として積極的な布教活動を行い、信濃、越後を中心に江戸、東北、近畿にいたる各地に「戸隠講」が組織されました。戸隠講の講員は、毎年、戸隠からやってくる来る衆徒(御師)からお札などを受け取るとともに、自らも戸隠へ参詣しました。
中院と宝光院の参道沿いには、戸隠講を中心とした多くの参詣者を宿泊させるため、衆徒が雄大豪壮な宿坊を構えることとなり、また、宿坊群の外側には、集落の消費活動を支えた在家と呼ばれる農民や職人等の屋敷が拡がって門前町が形成されました。

明治維新の神仏分離政策を受け、戸隠山顕光寺は戸隠神社へと姿を変えましたが、庶民と強く結びついた戸隠講はその後も存続し、江戸時代から続く信仰集落として、現在まで宿坊群や門前町の町並みが継承されることとなりました。

保存地区は、中社地区と宝光社地区の2つの集落を中心としており、両地区は善光寺から戸隠神社奥社までつながる「戸隠道」によって結ばれています。中社地区、宝光社地区とも、戸隠高原の南向き斜面地に拡がり、戸隠神社の社殿を基点として南北に延びる「大門通り」と東西に延びる「横大門通り」によって基本的な町割りがつくられています。

屋敷地は斜面地に石垣等を築いて雛壇状に造成されており、敷地境にはイチイ等の生垣が設けられ、江戸中期から昭和30年代までに建てられた伝統的建造物と一体となって歴史的風致を形成しています。

伝統的建造物の特徴

伝統的建造物の主屋は、平屋建または二階建、寄棟造、茅葺、平入を基本としています。豪雪地であることを反映し、雪対策として軒をせがい造で深くとり、床下の湿気を逃がすために床を高く張っています。

なかでも、宿坊は客殿部と庫裏部からなり、客殿部には神殿と広間が置かれ、正面には向拝を備えています。また、周囲には観賞用の庭園も造られ、宿坊建築としての特徴がよく現れています。

出典 長野市公式サイト

所在地:長野県長野市戸隠

地図↓

戸隠神社 中社 · 〒381-4101 長野県長野市戸隠中社3506
★★★★☆ · 神社

奥裾花自然園

 

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奥裾花自然園の特徴

奥裾花自然園は新潟県境に近い裾花川の源流部にあり、一帯は林野庁の「水源の森百選」にも選ばれています。園内には本州随一といわれるミズバショウの大群落があり、春の雪解けとともに、ゴールデンウィーク頃から6月上旬まで、白い清楚な姿を見せてくれます。

園内に広がるブナの原生林は絶好の森林浴スポット。紅葉は10月中旬頃から始まり、自然園手前の奥裾花渓谷も含め10月下旬まで楽しめます。

園内には、60数種の野鳥、クロサンショウウオ、長野県天然記念物のモリアオガエルのほか、クマ、シカやサルなど多くの野生生物が生息しています。

本州随一のミズバショウの大群落!

雪解けを待ち焦がれて伸び始める純白のミズバショウは、サトイモ科の多年草です。湿地に生え、芭蕉に似た葉を持つところから水芭蕉と名づけられ、その清楚な姿から春を彩る白い妖精とも言われます。

千曲川の支流である裾花川の源流部、新潟県との境に近い長野市鬼無里・奥裾花のブナ原生林で、ミズバショウの群生が発見されたのは昭和39年のこと。当時の調査では81万本もの大群生が確認され、その規模は唱歌『夏の思い出』で歌われている尾瀬沼をも凌ぐと言われました。

鑑賞時期 : 4月下旬から6月上旬( 雪解けした場所から順番に開花 )
最盛期  : 例年5月10日から5月20日頃 ( 気象条件により異なります )

鑑賞場所:自然園内の今池湿原、こうみ平湿原一帯

ブナの原生林

奥裾花に残されたブナの森は、ほとんど人の手が入っていない原生林で、全国的にみても貴重な財産です。

鬼無里では、かつて村有林や国有林からブナ等の大材が払い下げられ、製材が盛んでした。残された市有林122.6ヘクタールが自然園として長野市天然記念物に指定され、周辺の397.4ヘクタールの国有林とともに大切に保存されています。

湿った海洋性気候を好むブナ林は、日本列島の日本海側と太平洋側に多く分布。奥裾花のブナの森は、ハウチワカエデ・ハイイヌガヤ・エゾユズリハ・ヒメモチ・チシマザサ・ヒメアオキ・オオバクロモジなどと共生し、日本海側で多雪地帯に分布する「チシマザサ ブナ群団」に属しています。

出典 鬼無里観光振興会公式サイト

所在地:長野県長野市鬼無里日影

地図↓

奥裾花自然園 · 〒381-4302 長野県長野市鬼無里日影
★★★★☆ · 自然保護公園

白髯神社

 

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白髯神社の特徴

祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)。天武天皇が白鳳時代に鬼無里に遷都を計画した際、その鬼門の守護神として創建されたと伝えられます。本殿は室町時代の建造で、小ぶりながら優雅な建築様式を今に伝えており、昭和34年、国の重要文化財に指定されました。毎年春、秋に祭礼が行われます。

出典 ながの観光コンベンションビューロー公式サイト

所在地:長野市鬼無里日影4957

地図↓

白髯神社 · 〒381-4302 長野県長野市鬼無里日影4957
★★★★☆ · 神社

久米路峡

 

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久米路峡の特徴

県歌信濃の国にも歌われている長野市指定名勝。また、民話「キジも鳴かずば・・・」の舞台でもあります。季節ごとに変化する木々が水面にうつり山水の美を作りだします。

出典 ながの観光コンベンションビューロー公式サイト

所在地:長野県長野市信州新町水内

地図↓

久米路峡 · 〒381-2403 長野県長野市信州新町水内
★★★★☆ · 観光名所

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