長野県長野市はこんなに素敵なところ!
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ねえねえボンゾくん、こんど長野県の長野市に行くんだけど、どんな特徴や魅力があるところなのかなあ?長野市についていろいろ教えてよ!特に美味しいものが知りたいなあ!
長野市には素敵なところや有名なもの、美味しいものがたくさんあるよ!善光寺、松代藩と松代町、松代城、松代藩文武学校、旧横田家住宅、真田邸、長国寺、真田信之霊屋、象山神社、川中島古戦場史跡公園、茶臼山恐竜公園、飯綱高原、飯綱火まつり、戸隠山、戸隠神社、長野市戸隠伝統的建造物群保存地区、奥裾花自然園、白髯神社、久米路峡、信州牛、長芋、綿内れんこん、戸隠大根、おかわさび、マコモタケ、りんご、もも、ネクタリン、プルーン、信州そば 戸隠そば・門前そば・鬼無里そば・大岡そば・信州新町左右高原のそば、八幡屋磯五郎の七味唐辛子、善光寺精進料理、ジンギスカン街道、信州みそ、地酒・よしのや・今井酒造店・酒千蔵野・尾澤酒造所・西飯田酒造店・大信州酒造・東飯田酒造店、松代焼、戸隠竹細工、うずら家、そばの実のそば、すき亭の信州牛料理、すし崇の江戸前寿司、平五郎のケーキ、かき氷なんかがおすすめだね。それじゃあイギーくんと一緒に長野市のこと、詳しく調べてみようね!
長野市の名所、人気の観光スポット
善光寺
善光寺の特徴
善光寺は今から1400年前に創建されたとされる。本堂は国宝、山門は重要文化財となっており、その他にも境内では様々な建築・仏像・塚などを見ることができる。善光寺一山には、大勧進を本坊とする天台宗25院と、大本願を本坊とする浄土宗14坊があり、宿坊として参詣客を迎え、信仰を支えている。また、仲見世通りには、50以上の店が軒を連ね、景観も素晴らしい。その門前町にも注目である。
信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来【いっこうさんぞんあみだにょらい】(善光寺如来)を御本尊として、創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、また民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ております。当寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られますが、現在その護持運営は大勧進【だいかんじん】を本坊とする天台宗と、大本願【だいほんがん】を本坊とする浄土宗の両宗派によって行われています。御本尊の一光三尊阿弥陀如来とは一つの光背の中に三尊(中央に阿弥陀如来、両脇に観世音菩薩、勢至菩薩)が配置された様式で「善光寺式阿弥陀三尊像」とも呼ばれます。
『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。この仏像は、仏教という新しい宗教を受け入れるか否かを巡る崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。その後、信濃国国司の従者として都に上った本田善光【ほんだよしみつ】が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642)現在の地に遷座されました。皇極天皇三年(644)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。
出典 善光寺公式サイト ウィキペディア
所在地:長野県長野市長野元善町 491-イ
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松代藩と松代町
松代藩と松代町の特徴
松代藩真田十万石の城下町で有名な松代町(まつしろまち)は、長野県長野市の南東部に位置する自然豊かな町。北には千曲川が流れ、三方を山に囲まれた5キロ四方のエリアに、古代から近代までの歴史的文化遺産がぎゅっと集まっています。
特に江戸時代、真田幸村の兄・真田信之が1622年に上田から移封され、松代藩の初代藩主となって以来、10代にわたりおよそ250年間を真田家が統治しました。今もあちこちに武家屋敷が建ち並び、真田家が築いた文化風土を色濃く伝えています。それぞれの御屋敷の庭園には泉水(池)、泉水路が流れ、その一部は文化庁指定の登録記念物となっています。
歴史に見る松代町
<古代>
水も緑も豊富な松代には、古くから人が暮らしていました。大室や東条には古墳群が点在しています。「東条」「西条」といった地名は、荘園時代の名残として今日に伝わっています。
<戦国~江戸>
戦国時代、松代は川中島合戦の舞台となりました。武田信玄が上杉謙信との戦いに備え、山本勘助に海津城(松代城)の縄張り(城の基礎設計)をさせたといわれます。その後、武田-織田-上杉-豊臣-徳川と支配者が変わりましたが、徳川家康が天下を取った江戸時代、上田から松代に移封された真田信之が、松代城を中心に本格的な都市計画を行い、今日の松代の基礎を築きました。松代城は「日本の名城100選」に指定されています。
<幕末~近代>
幕末には松代藩出身の佐久間象山が尊王開国を唱え、新しい時代の先駆けとなりました。
明治期に入ると、松代で日本初のフランス式機械製糸場・六工社が創業されました。官営の富岡製糸場へ伝習工女として出向いた横田英(富岡日記の著者)らの技術指導によって、多くの製糸場が創業。品質の良い松代製糸が海外にまで輸出され、松代の産業振興に大いに貢献しました。
明治から大正にかけ、松代清野出身の松井須磨子が日本初の本格的な近代舞台女優として活躍。「カチューシャの唄」で一世を風靡しました。
太平洋戦争末期には大本営を移設するために、松代周辺の山に地下壕が掘られました。本土決戦の最後の砦として計画されたものの、完成を待たずに終戦となりました。住民によるまちづくり
昭和41年、埴科郡松代町は長野市に合併。平成5年の高速道長野インター誘致をきっかけに、住民によるまちづくりの機運が高まりました。行政の後押しを得、平成16年には築城444年目にして松代城を復元。同時に、「松代イヤー」として長野市を挙げて大々的に「遊学城下町松代、エコール・ド・まつしろ」キャンペーンを開催。松代ブランドの確立がはかられるとともに、年間80万人の観光客が訪れ、松代は「観光のまち」として全国に知られるようになりました。
さらに昨今では長野新幹線の金沢延伸を機に、100万人の観光客が訪れるまちにしようと、地元ではさまざまなまちづくり活動が活発化しています。出典 長野商工会議所公式サイト
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松代城
松代城の特徴
国指定史跡の城跡
松代城は松代藩初代藩主真田信之をはじめ、松代藩の歴代藩主の居城でした。元々は海津城と呼ばれ、武田信玄に命じられて山本勘助が築城したとされています。築城年代は不明ですが、文献に確認できるのが永禄3(1560)年ですので、この頃には築城されていたと推測できます。
武田信玄や上杉景勝、真田信之が拠点にした城
戦国時代から江戸時代初頭までこの地を支配した武田信玄や上杉景勝などにとって、この城は北信濃を支配する上で重要な拠点でした。元和8(1622)年に信之が松代に移ると、松代城本丸に御殿を建築し松代藩政の拠点に。松代に来たら訪れたい見ごたえある史跡です。
所在地:長野県長野市松代町松代18−2
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松代藩文武学校
松代藩文武学校の特徴
国指定史跡の旧文武学校
松代藩八代藩主真田幸貫は文武の奨励を目的に、嘉永4(1851)年に松代藩の藩校である文武学校の建設準備にとりかかり、火事などに見舞われながらも安政2(1855)年に開校しました。現在残る建物群は開校当時の姿をほぼ伝えており、これは全国的にみてもまれです。
文武学校の授業
松代藩文武学校の授業は、文学(漢学)・躾方・医学・軍学といった文学のほかに西洋砲術・弓術・剣術・槍術・柔術の武芸がありました。西洋医学・西洋砲術などを科目に取り入れていることから、当時にあっていかに学問水準が高かったかがうかがえます。
所在地:長野県長野市松代町松代205-1
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旧横田家住宅
旧横田家住宅の特徴
秀才を多く生んだ旧松代藩士横田家
旧横田家は禄高150石の中級武士で郡奉行などをつとめた家です。最後の甚五左衛門は表御用人でした。横田家から出た秀雄は大審院長に、その子正俊は最高裁長官、秀雄の弟謙次郎(小松)は鉄道大臣、姉の和田英は「富岡日記」の著者として有名になるなど秀才を多く生んだ家です。
江戸時代末期の様相を残す屋敷構え
横田家が現在地に移った時期は18世紀末。旧横田家住宅は他の藩士宅と同じく一種の公務員用住宅です。屋敷地には表門、奥に主屋、主屋の東隣りの隠居屋、主屋南西に土蔵が建っています。屋敷構えは江戸時代末期の様相を伝え、当時の位置にほぼ完全に保存されている点で貴重です。
所在地:長野県長野市松代町松代1434-1
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真田邸
真田邸の特徴
松代城跡唯一 当時のまま残った建築物
江戸時代末期に松代藩九代藩主真田幸教が当初、義母お貞の方(貞松院)の住居として建てたもの。昭和41(1966)年に真田家伝来の宝物とともに長野市に譲渡されました。全国でも少ない御殿建築の建築物で、松代城跡の建築物として唯一、当時のまま残った貴重な建物です。
所在地:長野県長野市松代町松代1
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長国寺
長国寺の特徴
天文16(1547)年、信濃国の在地領主であった真田幸隆が、畏敬する伝為晃運(でんいこううん)禅師を開山第一世に招き、一族の菩提寺として松尾城内に「真田山長谷寺(しんでんざんちょうこくじ)」を建立しました。その後、永禄7(1564)年に松尾城外へと移され、本格的な禅寺として諸施設を整えました。江戸幕府が開かれると、幸隆の孫にあたる真田信之は上田藩主となりますが、元和8(1622)年の松代移封にともなって現在の場所へと移転し、寺号も「長國寺」(國は国の旧字体)と改めて、今日にいたっています。
真田家の菩提寺
真田家の菩提寺として創建され、歴代松代藩主の墓所でもあった長國寺には、真田一族ゆかりの寺宝が数多く残っています。
長國寺と最も深い縁で結ばれた真田家の人物が、初代松代藩主であった真田信之です。講談や小説で英雄的に描かれた父・昌幸や弟・信繁(幸村)の影に隠れてしまいがちですが、戦乱の世で真田家を守り抜き、明治まで続く松代藩真田家の礎を築いた真田家最大の功労者といえるでしょう。
明治5(1872)年の大火での焼失を免れた「初代松代藩主真田信之公の霊廟」は、往時の真田家の繁栄を彷彿とさせるきらびやかな造りで、国指定重要文化財に指定されています。霊廟の裏手にある歴代藩主の墓所は、大名の墓としては決して宏壮なものではありませんが、真田家300年の歴史を語るように静寂な佇まいを見せてくれます。出典 長国寺公式サイト
所在地:長野県長野市松代町松代1015-1
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真田信之霊屋
真田信之霊屋の特徴
真田信之の隠居所書院跡に建てられた霊屋
松代藩初代藩主真田信之の隠居所書院跡に建てられた霊屋です。信之は遺命により隠居所を寺とし、真田林大鋒寺と号しました。大鋒は信之の院号です。二代藩主信政は父より先に没したので、三代藩主幸道のときに伽藍が建てられました。霊屋の本尊は信之が信仰した阿弥陀三尊です。
文化的価値の高い近世初期の建築
霊屋は由緒がはっきりしており、近世初期の建築で文化的価値の高い建築物です。霊屋は正面三間、奥行五間、奥行の柱間は狭く四、五尺あります。また外陣の欄間には三十六歌仙画が飾られていますが残っているのは二十四枚となっています。
所在地:長野県長野市松代町柴
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象山神社
象山神社の特徴
佐久間象山を祀る神社
佐久間象山を祀り、全国の教育関係者の尽力により昭和13(1938)年に創建された神社。大正2(1913)年象山殉難50年祭を契機に元大審院長横田秀雄の主唱で計画が進められ地元をはじめ県下全市町村及び信濃教育会・全学校・全国関係者の協力で県社として創建されました。
総桧材桃山式流造の雄大な本殿を中心に見どころ多数
敷地内には総桧材桃山式流造の雄大な本殿を中心に、佐久間象山が幕末の志士たちと国家の時勢を論じたという高義亭、京都から移築した茶室・煙雨亭、象山宅跡、生誕の碑、生誕200年を記念して建立されたブロンズ像などがあります。
所在地:長野県長野市松代町1502
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象山地下壕
象山地下壕の特徴
第二次世界大戦末期に極秘につくられた地下壕
松代大本営地下壕は舞鶴山(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山、象山に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10kmに及んでいる地下壕です。第二次世界大戦末期に大本営、政府各省等をこの地に移す計画で約1年半の突貫工事で約8割が完成しました。
いまに残る貴重な戦争遺跡
建設には巨費が投じられ労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたといわれています(さまざまな見解あり)。松代象山地下壕は平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として多くの方々にこの存在を知っていただくため、平成元(1989)年から一部を公開しています。
所在地:長野県長野市松代町西条479-11
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川中島古戦場史跡公園
川中島古戦場史跡公園の特徴
武田信玄と上杉謙信の戦いで有名な川中島古戦場に開設した公園。園内には、12,000平方メートルの築山状芝生広場、自然石を配した小川のせせらぎ、かやぶき屋根の四阿等があり、史跡公園のイメージに花を添えています。この他園内には市立博物館があり、社会教育の場として広く利用されています。また隣接する八幡社の中には武田信玄と上杉謙信一騎討ちの像があります。
なお、平成29年7月1日より、公園名が「八幡原史跡公園」から「川中島古戦場史跡公園」に変更になりました。出典 長野市公式サイト
所在地:長野市小島田町1384-1
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茶臼山恐竜公園
茶臼山恐竜公園の特徴
ジュラ紀、白亜紀といった4つの時代の恐竜約25体を実物大で展示。園内最大のディプロドクスは体長25mという大迫力!恐竜はすべり台などの遊具になっており、直接触れて楽しめます。公園入口の土手には約80本の桜が並び、満開時には桜のトンネルが楽しめます。
所在地:長野市篠ノ井岡田2358
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飯綱高原
飯綱高原の特徴
飯綱高原または飯縄高原は、長野県長野市芋井地区にある、飯縄山麓に広がる高原地帯。主として飯縄山の南西から南東にかけての標高1000メートル前後の範囲を指す。
歴史
戸隠山への修験道の一部を成したほか、一の鳥居は戸隠神社の最初の鳥居であり、辺り一帯には宿坊が多く並んでいた。観光地として開発されたのは昭和30年代以降であり、1964年の戸隠バードライン開通後は休養地として注目されるようになり、別荘地としても開発された。
概要
スキー場、スケート場(飯縄湖)、キャンプ場、ハイキングコース、ゴルフ場などがある。長野オリンピックでフリースタイルスキー、ボブスレー、リュージュの会場となった。また高地にあるため、電力会社やNTTの無線中継所なども存在する。出典 ウィキペディア
所在地:長野県長野市上ケ屋
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飯綱火まつり
飯綱火まつりの特徴
修験道の霊山「飯縄山」の「山入り」の行事を再現したもので、大座法師池は光と水の演出で幻想的な雰囲気になります。フィナーレに向け、打ち上げ花火・ナイアガラ花火が湖面を彩ります。
場所:長野県長野市大字上ケ屋
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戸隠山
戸隠山の特徴
戸隠山は日本誕生の神話とともにある山。天照大神(あまてらすおおみかみ)が天ノ岩戸にお隠れになったとき、手力雄命(たぢからおのみこと)が力いっぱい投げ飛ばした岩が飛んできてできたのがこの戸隠山なのである。戸隠山には奥社、中社、宝光社という3つの大きな神社がこんもりとした森に包まれて鎮座し、その背後にある突兀(とつこう)たる岩屏風は、神話の舞台としてふさわしいたたずまい。ときおり中社や宝光社の大きな杉の森から、神楽(かぐら)の音が響いてくる。猛々しいもののふの剣の舞のあとには、鶏に扮したあどけない巫女たちの踊り、そして最後には手力雄命が、力いっぱい戸を投げつける。神秘に満ちた戸隠山にふさわしい舞いである。
戸隠への登山は、本当に険しい。中腹の百軒長屋を過ぎると、鎖の連続である。そして断崖絶壁を鉄鎖でよじ登ると、その果てに「蟻ノ戸渡り」の難場が待ち構えている。山頂の八方睨(はつぽうにらみ)は間近い。その山頂に立って、左にさらに険しく連なる西岳、北に端麗な高妻山を眺めると、今までの苦労を忘れさせてくれる。
下山は大概の人は屏風のへりに沿って一不動へ縦走し、戸隠牧場へ下る。
奥社入口から2時間30分で八方睨、さらに一不動経由3時間強で戸隠牧場へ下れる。出典 山と溪谷社公式サイト
所在地:長野県長野市戸隠
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戸隠神社
戸隠神社の特徴
霊山戸隠山のふもとにあり、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる戸隠神社。はるか神代の昔、高天原に由来する「天岩戸開き神話」ゆかりの神々を祀っています。弟のあまりの乱行に天照大神は、岩戸にお隠れになり、世の中は真っ暗になり、大混乱になりました。そこで、困った神々が会議をし、大神を再び外へお連れするため、歌や踊りの祭りを開きました。
その賑わいを不思議に思い、天照大神が少し戸をお開きしたところで、手力雄命( たちからおのみこと) が岩戸を押し開き、大神をお迎えしました。その岩戸が下界に落ちて戸隠山になったという伝説もあります。
神々の物語により、奥社の御祭神は天手力雄命(あめのたちからおのみこと)、中社は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)、火之御子社は天鈿女命(あめのうずめのみこと)、宝光社は中社祭神の御子神の天表春命(あめのうわはるのみこと)などと神話に登場する神々をそれぞれ祀っています。
戸隠神社の歴史は古く、これらの神々以外、地主神として、水と豊作の大神の九頭龍大神を祀っています。この世の生き物にとって欠かすことこのできない水。それは戸隠信仰の始まりであるとも言われています。古来、天台密教が伝播するにおよび、神仏習合の顕光寺が創建され、戸隠信仰は修験道とも習合し、この霊地は日本全国に名をはせることになりました。山にこもって修行し、悟りを開く大道場として栄え、修験道を中心に中世から近世までにおいて広く庶民の信仰を集めてきました。
しかし、明治初年の神仏分離令により、神仏一体の戸隠信仰は、神道か仏教かの選択を迫られる状況に直面しました。戸隠信仰の源流は、古代人の山への信仰にありますが、仏教的なものは一掃され、神社神道として歩むことになりました。
出典 戸隠神社公式サイト
所在地:長野県長野市戸隠中社3506
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長野市戸隠伝統的建造物群保存地区
長野市戸隠伝統的建造物群保存地区の特徴
保存地区の所在地
長野市戸隠字宝光社の全域並びに字中社、字宝光社東、字宝光社西、字堂前林、字向林、字東谷及び字上泡原の各一部
保存地区の面積
約73.3ヘクタール
保存地区の種別
宿坊群・門前町
保存地区の特徴
―大規模な宿坊群を中心とした戸隠神社の門前町―
戸隠中社及び宝光社の宿坊群を中心とした門前町で、江戸時代の地割が良く保たれ、戸隠信仰のもと参詣者を受け入れるため大規模化した宿坊が、社殿や在家の住宅、石垣等と一体となって歴史的風致を形成しています。
保存地区の歴史と特性
長野市戸隠伝統的建造物群保存地区(以下「保存地区」)は、戸隠連峰や飯縄山が連なる長野市北西部の山岳地帯に位置します。全域が標高1,000メートルを超える高所にあり、年間を通じて気温が低く、冬季の積雪は2メートルを越える豪雪地帯にあたります。また、一帯は妙高戸隠連山国立公園にも指定され、豊かな自然環境が保全されています。
長野盆地へ流入する裾花川等の水源域でもある当地は、古くから水神や農業神として信仰を集めており、平安中期には修験道の一大霊場として全国に知れ渡るようになります。それとともに、現在の戸隠神社の前身である神仏習合寺院「戸隠山顕光寺」が成立します。
鎌倉後期までには、奥院・中院・宝光院が整備され、各院周辺には修験者である衆徒の僧坊が構えられました。戦国期になると武田信玄と上杉謙信による戦乱に巻き込まれて一時衰退しますが、その後、上杉景勝によって再興されると、江戸時代には徳川家康から朱印地1,000石が与えられ、信濃を代表する天台宗寺院として隆盛しました。
江戸時代、戸隠山顕光寺に所属した衆徒たちは「御師」として積極的な布教活動を行い、信濃、越後を中心に江戸、東北、近畿にいたる各地に「戸隠講」が組織されました。戸隠講の講員は、毎年、戸隠からやってくる来る衆徒(御師)からお札などを受け取るとともに、自らも戸隠へ参詣しました。
中院と宝光院の参道沿いには、戸隠講を中心とした多くの参詣者を宿泊させるため、衆徒が雄大豪壮な宿坊を構えることとなり、また、宿坊群の外側には、集落の消費活動を支えた在家と呼ばれる農民や職人等の屋敷が拡がって門前町が形成されました。明治維新の神仏分離政策を受け、戸隠山顕光寺は戸隠神社へと姿を変えましたが、庶民と強く結びついた戸隠講はその後も存続し、江戸時代から続く信仰集落として、現在まで宿坊群や門前町の町並みが継承されることとなりました。
保存地区は、中社地区と宝光社地区の2つの集落を中心としており、両地区は善光寺から戸隠神社奥社までつながる「戸隠道」によって結ばれています。中社地区、宝光社地区とも、戸隠高原の南向き斜面地に拡がり、戸隠神社の社殿を基点として南北に延びる「大門通り」と東西に延びる「横大門通り」によって基本的な町割りがつくられています。
屋敷地は斜面地に石垣等を築いて雛壇状に造成されており、敷地境にはイチイ等の生垣が設けられ、江戸中期から昭和30年代までに建てられた伝統的建造物と一体となって歴史的風致を形成しています。
伝統的建造物の特徴
伝統的建造物の主屋は、平屋建または二階建、寄棟造、茅葺、平入を基本としています。豪雪地であることを反映し、雪対策として軒をせがい造で深くとり、床下の湿気を逃がすために床を高く張っています。
なかでも、宿坊は客殿部と庫裏部からなり、客殿部には神殿と広間が置かれ、正面には向拝を備えています。また、周囲には観賞用の庭園も造られ、宿坊建築としての特徴がよく現れています。
出典 長野市公式サイト
所在地:長野県長野市戸隠
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奥裾花自然園
奥裾花自然園の特徴
奥裾花自然園は新潟県境に近い裾花川の源流部にあり、一帯は林野庁の「水源の森百選」にも選ばれています。園内には本州随一といわれるミズバショウの大群落があり、春の雪解けとともに、ゴールデンウィーク頃から6月上旬まで、白い清楚な姿を見せてくれます。
園内に広がるブナの原生林は絶好の森林浴スポット。紅葉は10月中旬頃から始まり、自然園手前の奥裾花渓谷も含め10月下旬まで楽しめます。
園内には、60数種の野鳥、クロサンショウウオ、長野県天然記念物のモリアオガエルのほか、クマ、シカやサルなど多くの野生生物が生息しています。
本州随一のミズバショウの大群落!
雪解けを待ち焦がれて伸び始める純白のミズバショウは、サトイモ科の多年草です。湿地に生え、芭蕉に似た葉を持つところから水芭蕉と名づけられ、その清楚な姿から春を彩る白い妖精とも言われます。
千曲川の支流である裾花川の源流部、新潟県との境に近い長野市鬼無里・奥裾花のブナ原生林で、ミズバショウの群生が発見されたのは昭和39年のこと。当時の調査では81万本もの大群生が確認され、その規模は唱歌『夏の思い出』で歌われている尾瀬沼をも凌ぐと言われました。
鑑賞時期 : 4月下旬から6月上旬( 雪解けした場所から順番に開花 )
最盛期 : 例年5月10日から5月20日頃 ( 気象条件により異なります )鑑賞場所:自然園内の今池湿原、こうみ平湿原一帯
ブナの原生林
奥裾花に残されたブナの森は、ほとんど人の手が入っていない原生林で、全国的にみても貴重な財産です。
鬼無里では、かつて村有林や国有林からブナ等の大材が払い下げられ、製材が盛んでした。残された市有林122.6ヘクタールが自然園として長野市天然記念物に指定され、周辺の397.4ヘクタールの国有林とともに大切に保存されています。
湿った海洋性気候を好むブナ林は、日本列島の日本海側と太平洋側に多く分布。奥裾花のブナの森は、ハウチワカエデ・ハイイヌガヤ・エゾユズリハ・ヒメモチ・チシマザサ・ヒメアオキ・オオバクロモジなどと共生し、日本海側で多雪地帯に分布する「チシマザサ ブナ群団」に属しています。
所在地:長野県長野市鬼無里日影
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白髯神社
白髯神社の特徴
祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)。天武天皇が白鳳時代に鬼無里に遷都を計画した際、その鬼門の守護神として創建されたと伝えられます。本殿は室町時代の建造で、小ぶりながら優雅な建築様式を今に伝えており、昭和34年、国の重要文化財に指定されました。毎年春、秋に祭礼が行われます。
所在地:長野市鬼無里日影4957
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久米路峡
久米路峡の特徴
県歌信濃の国にも歌われている長野市指定名勝。また、民話「キジも鳴かずば・・・」の舞台でもあります。季節ごとに変化する木々が水面にうつり山水の美を作りだします。
所在地:長野県長野市信州新町水内
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長野市の名物、名店、グルメ、お土産
信州牛
信州牛の特徴
信州の風土が育んだ香味豊かな和牛です
昭和30年代、信州の北部、奥信濃。高い意欲を持った生産農家が、
より健康で良質な肉牛を消費者の手元に届けるために研究会を立ち上げ
地元の風土で地元のものを食べて育った健康的な牛「りんご和牛信州牛」をつくり出しました。
通販でお取り寄せ出来る信州牛
長芋
長野市の長芋の特徴
千曲川沿岸の肥沃な土壌で育った長芋は風味が良いと評判。冷蔵保存により1年を通して楽しめます。
通販でお取り寄せ出来る長芋
綿内れんこん
綿内れんこんの特徴
若穂東部の綿内温湯(ぬるゆ)地区で 2 軒の農家が「綿内れんこん」を千曲川の後背湿地
を活用し栽培しています。
「綿内れんこん」の歴史は古く江戸時代から栽培され、歯ざわりが良いと評判です。
泥の中から大きな花を咲かせる様子は “ 復 ” を感じさせます。
12 月が収穫の旬で、年末年始の祝い事、おせち料理などに利用されているとのことです。出典 長野市商工会公式サイト
戸隠大根
戸隠大根の特徴
江戸時代に麻を交易する商人が持ち込んだと伝えられています。また、戸隠神社の宿坊には、江戸時代からそばの薬味としていた記録が残っています。現在はおろしやたくあん漬けに利用します。根長は20センチ程度で、根重は200-300グラム。円筒形で尻部は下膨れします。肉質は緻密で硬く漬物用として優れています。
通販でお取り寄せ出来る戸隠大根
陸ワサビ(おかわさび)
陸ワサビ(おかわさび)の特徴
陸ワサビ(おかわさび)は沢ワサビと同じ種類です。
そもそも「陸ワサビ(畑ワサビ)」とは何でしょう? 「ワサビ」と呼ばれるものには大きく分けて3種類あります。まずは最もイメージされるであろう「沢ワサビ(水ワサビ)」。信州では安曇野穂高のものが有名で、澄んだ水が常に流れている場所で育ちます。主には芋(根茎=地下に潜った茎の部分)をすりおろして蕎麦や刺身の薬味に利用します。「陸ワサビ」は「沢ワサビ」ともともと同じ種類で、畑で育ちます。生育環境の違いにより、芋が大きく育ちません。そのため、茎や芋が加工用に利用されます。陸ワサビも沢ワサビも、花、茎、芋と無駄なく食べられ、すべての部位でワサビ特有の風味を味わえるのが特徴です。
もうひとつが「西洋ワサビ(ワサビ大根、ホースラディッシュ)」。こちらは全く別の野菜で、根茎は無く、白い根っこを食用とします。すりおろすとワサビに似た辛味成分が出るため、ワサビの代用として緑色に着色され、チューブワサビの原料となります。
長野市では葉や茎を酒粕と合わせてわさび漬けとして食べられています。信州新町が産地です。
出典 長野県のおいしい食べ方
マコモタケ
マコモタケの特徴
マコモタケは稲を大きくしたような葉で、沼や川などに生える東アジア原産のイネ科の多年草にマコモという植物があり、このマコモの茎が肥大化したもののことです。マコモという植物は水のあるところで生育しますので、栽培は水田でおこなわれます。はじめは稲苗と同じように一本の苗ですが、田植え後水稲のように分割し、茎が20〜30本ほどになり、丈は約2mまで成長します。夏を過ぎると、マコモに寄生した黒穂菌の影響で根元の部分の茎が横に肥大してきます。その部分を『マコモタケ』と呼び、この肥大したところ=外皮をむいた白い部分(長さ15〜25cm、直径3〜5cm、重さ50〜250gに育ったもの)を食します。
植えるところによって当然差がありますが5月ごろ植えて9月中旬〜11月にかけて収穫されます。マコモは漢字で書くと「真菰」と書きます。地球の主のような植物で、今から6千万年から1億万年前も現在と同じ姿で存在していたことが化石によって確認されているとか。マコモタケは中華料理などに使われ、中国や台湾など東アジアではポピュラーな食材のひとつですが、長野県内でも休耕田を利用して栽培している地域があります。
マコモは、米よりもはるかに古い穀物で、古代ではマコモも含めて「六穀」だったとか。また北米大陸の先住民のなかには、英語名で「ワイルドライス」と呼ばれるマコモの実(菰米)を、いのちをつなぐ最も大切な食べものとして伝統的に食べ続けている人たちもいます。ワイルドライスは現在欧米では健康によい高級食材として利用されています。ワイルドライスをほんの少しお米に混ぜて焚いてもおいしくいただけます。
マコモタケは食物繊維やたんぱく質、ビタミン、ミネラル、カリウムを含む健康食品です。特に食物繊維が豊富で、腸内の老廃物を取り除く効果が期待できます。またカリウムを多く含んでいますので血圧を下げる効果があると言われています。
出典 長野県のおいしい食べ方
りんご
長野市のりんごの特徴
長野県は青森県に続いて全国2位の産地です。日照時間が長く、昼夜の気温差が大きい気象条件を活かして高品質なりんごが生産されています。長野市や須坂市、飯綱町などの北信地域で生産が盛んです。主力の「ふじ」を中心に最近では信州生まれの「シナノスイート」「秋映」「シナノゴールド」などのりんごも知名度が上がり好評です。
通販でお取り寄せ出来る長野市産のりんご
もも
長野市のももの特徴
山梨県、福島県に次いで全国3位の産地です。長野市南部地区を中心に県下各地で栽培され、全国的に有名な品種「川中島白桃」は長野市生まれです。
通販でお取り寄せ出来る長野市のもも
ネクタリン
長野市のネクタリンの特徴
ネクタリンはももの変種で、果実表面にもものような毛がなく滑らかな果肉で皮ごと食べられます。ももに比べて酸味が強いのが特徴ですが、最近では酸味が少ない「スウィートタイプ」の品種も作られています。
出典 おいしい信州ふーどネット
通販でお取り寄せ出来るネクタリン
プルーン
長野市のプルーンの特徴
バラ科サクラ属の落葉喬木で、西洋スモモの一種です。中でも、赤紫色の実をつけ、主にドライフルーツとして食されるものが、特に「プルーン」と呼ばれています。果肉が厚いわりに種は小さく、かぐわしい香りがすることも特徴です。
出典 おいしい信州ふーどネット
信州そば
信州そばの特徴
信州そばは長野県で作られるそばの総称です。
信州(長野県)では古くからそばの名産地とされてきました。
山国である長野県は田畑が少なく、山間の傾斜地を切り開いてそばを栽培してきました。
「霧下そば」に代表されるようにそばは高冷地での栽培に適しているため、各地で良質なそばがとれ、それぞれの地域で風土を代表をする食べ物となっています。
信州そばと一口に言っても、長野県は北から南まで長いため、つなぎを使わない十割そばがあり、つなぎを使用するものも、一般的な小麦粉だけでなく、オヤマボクチ、自然薯など珍しいものがあります。また、つゆにも通常のそば汁の他に味噌、大根汁、くるみだれなど地域に根差した味があり、薬味もわさび、七味唐辛子、辛味だいこん(ねずみだいこん)など地域色が出ています。
さらに鍋に入れるとうじそばや、具材が独特なすんきそば…と、信州そばの中には様々な特長があります。
長野県内には数多くの「おらが村のそば」があり、地域や季節ごとに特色あるお蕎麦を提供しています。日本三大そばのひとつ「戸隠そば」、善光寺界隈で有名な「門前そば」、「鬼無里そば」「大岡そば」「信州新町左右高原のそば」など、各地で特色があります。
出典 日穀製粉公式サイト
戸隠そば
戸隠でのそばの歴史は、平安時代、山岳修験者の携帯食として
そば粉が珍重されたことに始まります。
江戸時代になると、寛永寺から当時の戸隠山・顕光寺に
「そばきり」の技が伝えられたという記録があります。
その後、遠来の賓客や戸隠講の人々に振る舞うおもてなし料理として広がりました。
戸隠神社となった明治以降も、そば打ちの技は大切に受け継がれ、今に至っています。
永い歴史と伝統の技を受け継ぐ戸隠そば。
各店によって、麺の太さやつゆの味など、個性が異なります。
ぜひ食べ比べて、お気に入りの一軒を見つけてください。出典 戸隠観光協会公式サイト
門前そば
参拝者が一息つける茶屋が発展して今日に至る門前蕎麦。
信州善光寺周辺は、福井の永平寺、東京の深大寺、島根の出雲大社と並んで、門前蕎麦が盛んな門前町です。
老若男女を善男善女に生まれ変わらせ、全ての参拝者を極楽浄土へとお導きになる善光寺さんのご加護の元で、旅のお客様は疲れを癒し、再び出発されていかれました。
私達は、門前蕎麦の原点に立ち返り、お客様がほっと一息つけるお店として、温かいおもてなしと味わいを心がけております。
通販でお取り寄せ出来る信州そば
八幡屋磯五郎の七味唐辛子
八幡屋磯五郎の七味唐辛子の特徴
七味唐辛子の起源
唐辛子は南米アマゾン河流域が原産地とされ、中南米では古くから食用とされていたことが知られています。
これをコロンブスが持ち帰り、まずヨーロッパに広め、その後、南蛮船が東洋にもたらしたとされています。日本には、1592年、秀吉の朝鮮出兵時に種子がもたらされたとする説や、それ以前にポルトガルの宣教師が紹介したという説があります。《七味唐辛子(七色唐辛子)》発祥の地、江戸の日本橋薬研堀町は、医者や薬問屋が多く、別名「医者町」で通っていたと言われております。
この地で、1625年(寛永2年)からしや徳右衛門が、漢方薬を基に生薬を組み合わせて七味唐辛子を売り出し、江戸中に広めました。当時は薬効が期待され寺社の門前で販売されることが多く、やがて江戸の食文化の伝播と共に日本全国に広まっていきました。
味に歴史あり
先人が知識を絞って考え出した日本独特の香辛料《七味唐辛子(七色唐辛子)》は、いつの頃からか「三大七味」と呼ばれる三軒の暖簾を生みました。
東京・浅草【やげん堀】の7種は、唐辛子、焼唐辛子、黒胡麻、山椒、陳皮、けしの実、麻の実。2種の唐辛子で辛さに深みを出し、香り高い山椒や胡麻の風味が特徴です。
京都・清水【七味家本舗】は、唐辛子、山椒、麻の実、白胡麻、黒胡麻、青のり、青紫蘇。唐辛子以外はすべて香りを持った素材を用い、香りを立たせています。
信州・善光寺【八幡屋礒五郎】は、辛味を出すための唐辛子、辛味と香りを併せ持つ山椒・生姜、そして、風味と香りの麻種・胡麻・陳皮・紫蘇の7つ。辛味と香りの調和のとれた独特の味わいです。このように七味唐辛子を構成する素材には厳密な定義がありません。店ごとにそれぞれの「七味」があり、その調合に工夫があり、それが味や香り、色などの特徴となって表れています。
八幡屋礒五郎の誕生
七味唐からしを見出した初代・勘右衛門
長野市の北西に位置する、旧鬼無里村周辺は、通称西山と呼ばれ、日本でも有数の麻(大麻)と和紙の産地でした。この麻と和紙は、善光寺境内のすぐ西側にある桜枝町に集められ、商人の手によって、江戸を中心に全国に運ばれていきました。麻を運んで江戸におもむいた商人たちが、帰途に日用雑貨や食品の類を仕入れ、副業として善光寺周辺で売りさばいていて、その中に、七味唐辛子がありました。
そのような流れの中で、江戸中期、祖先を西山にも持つ初代室賀勘右衛門が、1736年(元文元年)に七味唐辛子を善光寺の堂庭(境内)で売り出したのが、八幡屋礒五郎の始まりです。
室賀氏の源流は清和源氏であるため、八幡太郎義家をはじめとして、源氏の頭領である源頼朝が崇敬した八幡宮から「八幡」を屋号に戴いています。また、本地垂迹説による八幡神の本地仏は阿弥陀如来であり、善光寺門前で開業するにあたり、善光寺本尊の阿弥陀如来を連想する屋号を用いたと伝えられています。
初代の本名は勘右衛門ですが、商いでは礒五郎を名乗りました。こうして屋号「八幡屋礒五郎」として善光寺門前で七味唐辛子の販売を始めました。山国信州の七味唐からし、誕生
創業当時は原料の調達が、遠方から大量に仕入れることなどできない時代です。幸運なことに、旧鬼無里村周辺の西山地方は、陳皮以外の六種の原料は栽培に適していました。
前述の通り、西山地方は麻の産地ですから、麻の実にはこと欠きません。また、この周辺の山々にはいたるところに山椒が自生していました。
唐辛子、胡麻、生姜、紫蘇は、委託栽培で近隣の農家にお願いしていました。陳皮はミカンの皮を乾かしたものですから、腐ることはないため、まとめて上方から入手していたのでしょう。
そうして江戸のものとは色も味も違った、山国信州ならではの独特な風味を持った八幡屋礒五郎の七味唐からしが作り出されていったのです。善光寺門前から全国へ
善光寺御高礼前
初代勘右衛門が創業し、二代目五左衛門が製造法を確立して、販路の拡大を図る中で、善光寺堂庭で仮店を設けて販売を手がけ、善光寺という、全国的な信頼を集める巨大な力の下で商売をする効率の良さを悟りました。
善光寺からの信頼を得るまでにはさまざまな苦労があったと想像されますが、堂庭の中で一番よい場所御高札前に店を張る「特権」を許されたのは、三代目儀左衛門の時代からだったと言われています。
江戸末期から明治初期の善光寺界隈の様子を知る上で貴重な資料となる、長尾無墨編輯『善光寺繁盛記』(明治十一年〈1878年〉出版)に、八幡屋礒五郎の古い売りすがたが描写されています。
「枝垂れ柳の下に高札が立っていた。その下に大きな傘を開き、台を士つらえて、一人の老人が七色唐辛子を売っていた。その袋の表には『善光寺御高札前八幡屋礒五郎』の十三文字が記されている。台の上には、大きな袋や小さな袋が左右に積まれていた。箱も置かれていて、味ごとに七つに区分されている。そして、客の好みに応じて、小サジで、七つの味を調合して売っていた。」押印判の袋
八幡屋礒五郎の七味唐からしの特長として、忘れてはいけないのが、パッケージのデザイン。当時使われていた紙袋のデザインは、江戸末期に流行った木版画の技法を用いて作られたものです。以前は先祖の出生地である鬼無里村で作られた和紙「山中紙」を使っていました。
ブリキ缶
もう一つのパッケージ、ブリキ缶は、六代目栄助が大正十三年、五十六歳のときに考案したものです。紙袋よりも食卓での実用に便利で、耐食性も強く、現在も八幡屋礒五郎の顔として多くの人に使われています。ブリキ缶のデザインも、六代目栄助が考案したと言われています。赤地に斜めに大きく描かれた唐辛子。その上部のヘタの部分に振り出し口を重ねると開くように作られています。裏面には空と石畳の中に建つ善光寺。金、銀、青、赤の四色が艶やかです。
大門町出店
善光寺御高札前から現在の大門町に出店したのは、昭和二十七年、七代栄助のときでした。
当時一袋十円の商いだった八幡屋礒五郎が長野市の一等地に店を構えるというので、当時の人々にとっては信じられないほどの驚きだったようです。その後は、六年に一度の善光寺御開帳や新幹線開通、長野冬季オリンピックなどにより長野のおみやげとして知られるようになりました。平成20年3月には新店舗として生まれ変わりました。出典 八幡屋磯五郎公式サイト
通販でお取り寄せ出来る八幡屋磯五郎の七味唐辛子
善光寺精進料理
善光寺精進料理の特徴
善光寺は、天台宗の大勧進と、浄土宗の大本願により護られている寺です。明治まで多くの寺が女人禁制であったなか、創建当初から宗派、老若男女問わず門戸を開いてきたことが、善光寺の大きな特徴のひとつです。しかし、女性も多いなか、全国から歩いて向かうその道のりは平坦なものではありませんでした。そこで、地域ごとに「講」と呼ばれる団体を組織し、道中をともにしたのです。
講の受け入れ先となったのが「宿坊」です。現在は大勧進25院、大本願14坊の計39があり、お朝事をはじめとした参拝の案内や、宿泊・食事の手配を担っています。それぞれ住職がいる寺であり、内仏殿を配して檀家を有し、写経の奉納、御朱印の授受など、仏と向き合う入り口としての役割を果たしています。参詣者をもてなす精進料理もそのひとつです。〝行〟としての精進料理
「精進料理といっても、僧侶が修行食でいただく料理と、一般の方をもてなす料理とはまったく違います」と、淵之坊の若麻績享則(わかおみたかのり)住職。浄土宗では本山に3週間こもり、朝昼2回、一汁一菜をいただく〝行〟があり、その食事が僧侶の修行食で、精進料理です。
白米と味噌汁、揚げや納豆などの大豆の料理一品に、たくあんが基本。若麻績住職曰く「このたくあんが、とにかく臭くて食べられない。でも不思議なことに修行の最後には非常においしく感じるようになるのです」。映画の原案を執筆した水上勉さんが修行した臨済宗は日々料理を作ることが修行のひとつでしたが、宗派によってもその形は異なります。参拝を寿ぐ、もてなしの精進料理
一方、淵之坊のもてなしの精進料理は、善光寺の年中行事に作るハレの食事をもとにした、植物性の食材のみとは思えない華やかな料理。「ご参拝を寿ぐという気持ちを込めています」とは、淵之坊で30年近く調理を担当する執事の小川真宏さん。「野菜も生き物。いただいた命を生かし、最後までおいしく召し上がっていただくために工夫を凝らしています」との言葉に精進の精神がにじみます。
ちなみに寺は酒もご法度ですが、善光寺の住職が諏訪社の神主の流れを汲むとも伝えられていることから、今も寺の行事に神事があり、往古は各宿坊で酒造も行われてきました。宿坊で酒(般若湯)が供されるのも、その経緯を知れば納得です。出典 Go NAGANO
ジンギスカン街道
ジンギスカン街道の特徴
信州新町地区内を通る国道19号線沿いにはジンギスカンのお店がいくつもあり、ジンギスカン街道と呼ばれています。赤いのぼり旗が目印です。
ジンギスカン街道へようこそ。
信州新町には羊肉を独特の漬け方で食す文化があります。そんなジンギスカンを食べられる店が、ジンギスカン街道の中に7店舗あり、その中には地元で育てたサフォーク種の肉を食べられる店もあります。また、地元で育てられたサフォーク種の肉や独自のタレに漬け込まれたジンギスカンをお買い求め頂けるお店も3店舗あります。
所在地:長野県長野市信州新町上条94−3
信州みそ
信州みその特徴
信州味噌は米麹と大豆でつくる代表的な「米味噌」で、淡色で辛口を特徴とします。
鎌倉時代、心地覚心が、自身が創建した安養寺(長野県佐久市)でみそ作りを広めたことをはじまりに、
戦国時代には武田信玄が兵糧としてみそを作らせたことで、信州の地でみそ作りが盛んに行われるようになりました。
1923年、関東大震災において首都圏で多くのみそ蔵が被災。
被害のなかった信州からみそが救援物資として送られると首都圏市場で好評を博し、信州味噌は急速に発展拡大していきました。
現在は日本全体で生産・消費されている味噌のおよそ5割を「信州味噌」が占めています。長野市内には老舗の味噌蔵が多くあります。
長野県味噌工業協同組合連合会加盟の味噌メーカーにより、長野県内で製造されている味噌のことを「信州味噌」と言います。
原料
味噌は麹の種類によって、米味噌、麦味噌、豆味噌などに分かれます。
「信州味噌」は米麹と大豆と塩を原材料とする代表的な米味噌です。味・香り
「信州味噌」は酵母と乳酸菌の働きにより、さっぱりとした旨味と豊かな芳香を併せもつ辛口味噌です。しかし、最近は甘いみそが好まれるため、乳酸菌を使用するなど、各メーカーが時代のニーズに合わせて少しずつ風味や味を進化させています。
特長
様々な野菜と相性抜群で一緒に食べることが多くとってもヘルシーです。鶏や豚、牛、魚介などのダシにも合います。また、チーズやバターなどの他の発酵食品とも相性が良いのも特長です。
お味噌汁にすると野菜、海草、大豆製品など多くの食材を使うので、ご飯だけでは補えなかったタンパク質を取れると、昔から食べられてきました。出典 信州みそ巡り
通販でお取り寄せ出来る信州みそ
地酒
長野市の地酒の特徴
善光寺平と称される平野部の中心に善光寺があります。商都として発展したこの地域で良質な酒が育まれました。
「よしのや」「今井酒造店」「酒千蔵野」「尾澤酒造所」「西飯田酒造店」「大信州酒造」「東飯田酒造店」など。
出典 長野県酒造組合公式サイト
松代焼
松代焼の特徴
陶土に鉄分の多い地元の粘土等を使用し、天然素材(灰、白土、銅)で調合した釉薬を二重掛けすることで出る、素朴な造形・風合いと独特の青緑色の光沢が特徴です。
通販でお取り寄せ出来る松代焼
戸隠竹細工
戸隠竹細工の特徴
戸隠竹細工は、江戸時代の初め頃から地域の人たちの生活の中に始まり、雪に覆われた戸隠の冬の手仕事として、代々、その技術が継承されてきました。
明治時代の養蚕が盛んだった頃は蚕籠(かいこかご)の需要が高まり、生産量もピークをむかえ大勢の職人がいました。現在は約30人の職人がその技術を継承しています。
戸隠 根曲り竹(チシマザサ)材料は標高1000メートル以上の雪深い戸隠の山の中に自生する二メートル前後の細い竹“チシマザサ”を使います。この竹は根元付近から曲がっているため、地元では“根曲り竹”と呼ばれています。この戸隠に自生する根曲り竹(チシマザサ)は、いにしえより地域の人たちの手によって大切に保護されながら、森とともに守られてきました。私たちは現在もこの森を「竹細工の森」と呼び、地域ぐるみで未来へつなぐ活動に取り組んでいます。
作品は天然の素材(根曲り竹)だけを使用し、材料の採取・加工から仕上げまで、一貫して一人の職人による手仕事(手作業)で進められています。
戸隠竹細工は使いやすさや丈夫さ、網目の美しさに根強い人気があり、その機能美と堅牢さを認める、地元そば店店主をはじめとした愛用者が大勢います。
昭和58年10月14日には、長野県知事指定の伝統的工芸品に指定され、地域の人々の歴史や生活を伝える“戸隠の宝”でもあります。
うずら家のそば
うずら家のそばの特徴、口コミ
うずら家の品
素材当店では特定の地元生産者から仕入れた地粉を、新蕎麦が熟成し、最も美味しくなる真冬の厳寒期に石臼製粉し、マイナス20度の冷凍庫で保存。旨味を完全に残したまま、そのつど解凍したてを練る、延す、切る、すべての熟練の手作業にて打ち上げております。
これにより、鮮度の証でもある、穫れたての淡い緑色、糖化により備わった甘みや風味、もちもちとした食感など、存分にお楽しみ頂けると存じます。ざるそば
私共が、一番におすすめしたいお蕎麦です。
選び抜かれた素材と職人の確かな技術。シンプルであるがために、飾ることのできない”生(き)”の蕎麦。
”私たちの価値”そのものを表現する料理と位置づけ、磨いていきたいと思います。かけそば
「かけそばの味で、そのお店がわかる」そばにからめて美味しいおつゆ。飲んで美味しいおつゆ。熱いがために味の良し悪しが隠しようもないそばきり。
これからもうずら家では”一杯のかけそば”を大切にして参りたいと思います。そばがき
「最初にそばがきをください」そんなお声が、がぜん多くなりました。
極上の素材手挽き石臼製粉、そして美味しさへのこだわりが、100%そば粉なのに”ふわっとしていて、もちもちしている”食感の所以。
温故知新、どうぞ、うずら屋ならではの味を存分にお楽しみ頂けたらと思います。うずら家の天ぷら
このお店は「天ぷらだけでも価値があるね」とお褒めの言葉を頂戴いたしました。
戸隠の季節の素材と極上のごま油、そして天ぷらにかける職人の”思い”。
どうぞ”おそば”と”天ぷら”という、真の日本の食文化を存分にお楽しみ下さい。厳選 信州の日本酒
ここ数年、日本酒の品質が格段に向上いたしました。
ここ、信州でも以前は味わえなかったような美味しい日本酒が続々と登場しております。
そんな中から、私たち自身が飲んで、飲み続けて、美味しかったお酒だけを厳選致しました。
深山 幽谷の社で、蔵元の想いのあるお酒と共に、どうぞごゆるりとお過ごしください。口コミ
まずは、温かい蕎麦茶と、
手作りで懐かし美味しい、キュウリのお漬物をいただき…
戸隠神社奥社のおみくじをみんなで確認したりしながら
オーダーしてから待つこと30分。
(説明を受けておりますので想定の範囲内です♪(*´-`))温かい天つゆが運ばれ…
『もうすぐ天ぷらがまいります。お待たせして申し訳ありません』と店員さん。
お客さんの立場に立った温かいお声かけに…
何よりホッコリしますね♡(*´ω`*)いただきましたのは
◯きのこいろいろ天ぷら盛り合わせ¥1,000
…マイレビ様みなさんが絶賛されていたのでオーダーしました。エリンギ、舞茸、椎茸、しめじと信州産のキノコが
てんこ盛り! コレは嬉しい!(*゚∀゚*)ごま油でカラッと揚げられた熱々の天ぷらは…
衣サクッと、キノコは肉厚ジューシー!
噛むごとに風味と香りがブワッと鼻に抜けていきます…
なんて美味しいキノコたちなの!(*´Д`*)♡3人でシェアしましたが…みんなの手が止まりません!(笑)
◯お野菜いろいろ天ぷら盛り合わせ¥1,000
…店先で待つ間、店員さんに伺うと
地元産の採れたて新鮮野菜の天ぷらですと
オススメいただいたのでオーダーしました(๑˃̵ᴗ˂̵)こちらもてんこ盛りで提供!(*´ω`*)♡
コレは山菜かな〜?σ(^_^。)
モロヘイヤやししとう…
後ろから見ても、
ブロッコリー、パプリカ、サツマイモ、モロッコインゲンなど
たくさんのお野菜たち… どれも新鮮でみずみずしく、
薄衣でカラリと揚げられ…軽い食感なので
こちらも美味しくいただきました(*´Д`*)♡◯大盛ざるそば¥1,100
戸隠そば特有の“ぼっち盛り“で7束。
戸隠神社五社と、さらに2つの神社で
七つを示しているという謂れ。◯ざるそば¥900×2
5束の“ぼっち盛り“でやってきました(*´-`)
戸隠では基本的に一人前を5ぼっちにしているそうですが…
戸隠神社が五社あることに由来しているという説があるそう。艶やかで、美しいお蕎麦だこと!(*´Д`*)♡
まずはそのままいただきますと…
細打ちの蕎麦は、しっかりとコシを感じ…
そばの優しい香りと甘味がお口の中に広がります。蕎麦つゆをちょこっとつけていただくと
喉越し良く… スルスルと入っていくタイプ…
みずみずしさも感じるお蕎麦です(*´-`)そばつゆは追加用もいただけ、
甘さ辛さもちょうど良いですね(*´˘`*)
3人ともペロリと完食!(=゚ω゚)ノトロリとしたそば湯で
最後まで美味しくいただきました( ´艸`)♡ポットで提供された温かい蕎麦茶をお代わりして、
大満足でご馳走様♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪レジに向かう間も、店員の皆さんから
『ありがとうございました』と声をかけられ…
こちらこそ「美味しかったです〜!╰(*´︶`*)╯♡」
とお礼を言いながら、出入り口へ。お会計は現金のみで、¥4,900お支払い♪
美味しかったので、
レジ前にある半生そば¥1,200を友人へのお土産にGETして、傘を受け取り気持ちよく退店です。安曇野に住むお義母さんも
「こんなに丁寧におもてなししてもらったお蕎麦屋さんは、初めて」と感動…
店先の看板にある“唯一無二“は
お蕎麦だけでなく、
心のこもったおもてなしの接客も含めて
偽りなしの名店ですね!(*´Д`*)
出典 うずら家公式サイト 食べログ
住所:長野県長野市戸隠3229
お問い合わせ:026-254-2219
そばの実のそば
そばの実のそばの特徴、口コミ
ひとつひとつ丁寧に
石臼自家製粉。当店では地元戸隠の契約農家の方々が
丹精込めて育てた玄ソバを冷蔵保存し、
その都度石臼により自家製粉しています。
香りが最も引き立つよう玄ソバごとに挽き方を調整します。
繊細な蕎麦はその日の気温や湿度によっても異なり、
打ち手はそれを感じとって蕎麦を打ちます。
丁寧に、そして力強く。山々からの水が
美味しい蕎麦をつくる。当店で使用している水は、
戸隠の山々の伏流水です。
長い年月を経て清められた水は、
昔から旅人の身も心も癒しました。
ミネラルを多く含んだ冷たい水は、
蕎麦をきゅっと締め、コシを出します。
そばの実の蕎麦にはかかせない自然の恵みです。口コミ
久しぶりにそばで感動
仕事で長野市に。
折角だからそばを食べたいと思い検索。
少し遠そうでしたが日本三大そばと言われる戸隠そばの百名店まで行ってみる事にします。戸隠そばは元は修験者の携行食料だったそうです。
「ぼっち盛り」と言う束ねた独自の盛り付けが特徴です。平日の空いている山道を進むと、ここだけ誘導員の方がおり駐車場待ちをしている人気ぶりです。
先に店内で名前を書き電子ベルを渡され車内で待ちます。
だいぶ待つと覚悟しましたが、一人だった事が幸いし、程なく呼び出されカウンター席に通されました。注文は、
◉大ざるそば 1,150円
◉天ぷら3品 820円これがぼっち盛りなのですね。
大ざるは8束です。
薬味にはネギと辛味大根。
水をあまり切らないのも特徴の様です。そばは腰があり締まっています。
香りがとても良く、みずみずしい。
汁の濃さは控えめでそばの美味しさが際立ちます。天ぷらは茄子、タラの芽、海老。
サクッとしていて塩でいただきました。感動レベルのそばです。
やはり水も違うのかも知れません。
しばらく口の中にそばの風味が残っていて余韻に浸れました。お会計時に追加でお土産を購入。
◉そばおぼろ(5個) 950円
◉干そば 740円x2そばおぼろは長野市の和菓子屋「旬彩菓たむら」さんの物だそうです。
そば粉の香りと和三盆の品のある甘さがあり美味しい物でした。お店の雰囲気も店員さんの丁寧な接客も申し分なし。
このクオリティでお値段もお安い。
是非また伺いたいです。
出典 そばの実公式サイト
住所:長野県長野市戸隠3510-25
お問い合わせ:026-254-2102
すき亭の信州牛料理
すき亭の信州牛料理の特徴、口コミ
昭和40年代初頭、長野県北部に位置する奥信濃では、いつか信州で育てたおいしい牛肉を「信州牛」として世に出したいと、地元の畜産家たちが本格的な研究に取り組みはじめました。試行錯誤を重ね、研究会のメンバーが着目したのは信州特産の「りんご」。牛のえさに加えてみたところ、健康維持に役立つばかりでなく、良質の霜降り肉の生産をもたらすことが分かりました。
こうして、「立派な牛は、立派な舞台にのせて世にだそう」と、昭和47年にすき亭が誕生。奥信濃の畜産研究会のメンバーのひとり、当店初代社長の掛川幹夫は、この日のためにと全国から十数年かけて銘木を集めていました。選ばれた場所は、長野県庁に近い、旭山のふもと。建坪220坪の贅を尽くした純和風の建物は、今も裾花川のやさしいせせらぎとともにお客様をお迎えしています。すき焼
熱伝導が良く美しい砲金鍋(ほうきんなべ)を使用し、信州牛の美味しさを余すところなく味わえる逸品。割下の香りが肉の旨みを一層引き立てます。濃厚卵にからませてお召し上がりください。
しゃぶしゃぶ
さっと湯に通した牛肉を、お好みのタレと薬味でたっぷりの野菜とともに味わうしゃぶしゃぶはヘルシーで女性にも人気です。
ステーキ
上質な霜降りの信州牛を焼き上げたステーキ。ジューシーで肉本来の味わいを楽しんでいただくために塩・胡椒の味付でお出ししています。
口コミ
◎曜日/時間帯
土曜/11時
前日・電話予約◎オーダー
すき焼きセット 松 5500円
牛しぐれ 650円
プレモル生中 680円
プレモル生小 400円
個室使用料 料理代の10%
牛しぐれ(持ち帰り用) 1000円◎アクセス
長野駅徒歩30分
退店時タクシー手配可能◎内装
一階 テーブル席
二階 個室◎客層
ファミリー、二人組◎支払い
クレジットカード可◎メモ
昭和47年に信州牛の普及のために誕生した信州牛のためのお店
信州牛とは、信州りんごを含んだ無添加飼料で飼育される奥信濃地方の黒毛和牛の事を指し、すき亭では生産から販売まで一貫して行っている
場所は長野駅から少し離れているが、川沿いのゆったりした風景に癒される
広い敷地内に建てられた純和風建物は開放感と風情があるのでそこでもまた一層癒されたサービスランチは14時LO
セットは料理三品、ごはん、味噌汁、デザート付き
ご飯は一人1杯まで無料
料理三品はカンパチのお造り、サワラのみかん、おひたし
デザートは苺と甘平(愛媛の高級みかん)すき焼きは松竹梅から松のセットを注文
肉は130g
その他、エノキ・豆腐・白葱・玉葱・白菜・レタス・
追加で牛しぐれを注文肉質が綺麗でサシは繊細。あっさりとしていて食べやすかった。肉の旨味もしっかり感じられ美味しい
1枚のサイズも鍋いっぱいの大きさで食べ応えがあった牛しぐれもとても美味しく、帰り際持ち帰り用の牛しぐれも購入してしまった
驚きだったのは甘平。酸味と甘味が程よく上品な味わいで美味しかった
また、お茶にも拘りが感じられたのでお店の品位の高さを改めて感じた
生中もジョッキで提供してくれる点も高ポイントお店の方の対応も親切丁寧で好感が持てた
個室のテーブル席の手配や暖房器具の設置など配慮してくださった事に感謝
出典 すき亭公式サイト 食べログ
住所:長野県長野市南長野妻科112-1
お問い合わせ:026-234-1123
すし崇の江戸前寿司
すし崇の江戸前寿司の特徴、口コミ
技を愉しみ、心で味わう
約200年前に生まれた江戸前の寿司。
四季折々の旬の素材と伝統の技を、ここ長野でも愉しんでいただきたいと、
2008年にすし崇はオープンしました。
江戸前寿司の技の基本は、締める、煮る、焼く。 素材に合わせて、さまざまな手当てを施した寿司を味わいにいらしてください。
味を迎えにいくその素材が本来持っている味を引き出すことを「味を迎えにいく」と言います。
新鮮な素材を生で握ることが、必ずしも最も美味しい食べ方ではなく、素材に合わせた手当てをすることで、本来の旨みと甘みが醸し出されます。素材の状態だけでなく、季節や気候などにより変化する仕事を、受け継がれてきた職人の経験により加減していく。締める、煮る、焼く…といった手当て、冷蔵設備のなかった時代に考案された江戸前の寿司。
すし崇の寿司は、まっとうな仕事をした江戸前寿司です。
口コミ
熟成を駆使された、信州江戸前鮨「すし崇」さん。
長野県、善光寺門前に佇む「すし崇」さん。海なし県、長野で熟成を駆使され飯尾醸造のお酢と合わせた、パワフルな握りを供されます。立派な氷室式冷蔵庫が鎮座され、凜とした空間を演出されておられます。久保崇嘉親方は、東京での修行後に地元長野に戻り開業。
お任せのコース。
能登の岩海蘊とコシアブラ。
柳葉魚の一夜干し。
蛍烏賊と菜の花。
白バイ貝の蒸し物、カンボジアの風味豊かな胡椒が掛かる。
九絵と韮、九絵はさっと火が入り煎り酒で味わいを膨らませておられる。
蛸の桜煮。
信州味噌と酒粕に漬けられた、桜鱒。
毛蟹の茶碗蒸し。握りが開始される。
鯛、今治の伝説の漁師藤本純一さんの鯛。ふわっと甘い香りが広がる。むちっとした身質には旨味が溢れる。
シャリは、富士酢プレミアムを使用され非常に旨味が強い赤酢のシャリ。キリッと塩気が立ちパワフルな味わい。
鳥貝、フルーティーで艶々の甘味。
伊佐木、鯛と同じく藤本さんの伊佐木。旨味が強く脂が乗り、爽やかな香りが駆ける。
赤貝、つるっと滑らかな歯応えから甘味が溢れる。力強いシャリにも負けない赤貝。
赤身の漬け、コク深くどっしりとした印象を受ける鮪。柵漬けにされ一度真空パックされる。香りが強く濃厚な味わい。
トロ、二週間熟成。重厚感のあるトロ。脂が濃厚で強い香りを放つ。
小鰭、キリッとシャープな強い〆。身が凝縮され、みっしりと解けていく。
細魚の昆布締め、さっくりと歯切れ昆布の旨味が力強く乗る。
牡丹海老、卵が鮮やかに乗る。ねっちりと甘味が込み上がる。
ムラサキウニ、胡瓜の桂剥きで軍艦に仕立てる。さらっと爽快に後半に握りを盛り立てる。椀。
穴子、ほろほろで甘いツメが合う。
〆はなみだ巻き。
デザートの様な玉子。
水菓子、最後の甘味にほっこり。
出典 すし崇公式サイト 食べログ
住所:長野県長野市県町477-15
お問い合わせ:026-235-5565
平五郎のケーキ、かき氷
平五郎のケーキ、かき氷の特徴、口コミ
オアシスのようなカフェ
善光寺の門前町は本当に日本でも有数の綺麗な街並みだと思います。洋館や商家、蔵といった昔の建物を活用したり新しそうな建物でもそうした趣に合わせたデザインしたりと、建物を見ながら街歩きをするだけでも楽しいです。しかし、このところの猛暑は、そうした想いも挫くほど暑い。。
そんな中、美味しそうなかき氷立て看板が立っているお店を発見。まさにオアシスです。入ってみるととても素敵な内装。外観は日本的な商家の趣ですが、内装は、1階はエッフェル塔が飾られたヨーロッパテイストの客間、2階はミッドセンチュリーのモダンな客間となっていて、よく作りこまれた洋館のようです。
最初は、かき氷をオーダーしようと思いましたが、連れがかき氷をオーダーするので、私はケーキとコールドブリューコーヒーをオーダーすることに。美しいケーキが並んでいるケースを眺めてて迷いましたが、メロンケーキをオーダー。連れは、クランベリーのかき氷。
ほどなく、ケーキとコーヒーが到着。ケーキは上品な甘さのクリームがメロンの風味を引き立てる爽やかな味わいで、水出しコーヒーのスムースな飲み口と相まってペロッと完食してしまいました。連れのかき氷は、氷自体にボリュームがあることに加えて、中にチーズケーキが入っているため、食べ応えがあるようで、私がケーキを食べ終えてもまだまだ残っていました。
このため、先ほど迷ったもう一方の、ココナツクリームとパッションフルーツのムースをオーダーすることにしました。こちらも美味しい。甘さ控えめのココナッツクリームと層になっていろいろな味が混ざり合ったムースを一緒に食べるとバランスが抜群でした。
出典 食べログ
住所:長野県長野市大門町515
お問い合わせ:026-266-0156