埼玉県草加市の見どころ 名所 人気の観光スポット 旅の情報!草加宿、草加松原、草加神社、東福寺、そうか公園、漸草庵 百代の過客、皮革、ゆかた、地球儀..
こちらでは埼玉県草加市の観光名所、おすすめスポット、人気の観光地、美しい自然景観、絶景、神社仏閣などのパワースポット、日本遺産、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。また、草加市周辺のホテル、旅館、宿泊施設もこちら
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草加市について
草加市の特徴、地勢、歴史
草加市は、埼玉県の東南部に位置し、市域の南部を東京都足立区に接しています。水と緑に恵まれた中川、綾瀬川下流域にひらけた東西7.24km、南北7.6km、総面積27.46平方kmの都市です。
昭和33年11月1日、人口3万4878人で市制を施行。
昭和37年の東武伊勢崎線と地下鉄日比谷線の相互乗り入れや、当時マンモス団地といわれた松原団地の造成等により、昭和38年に人口が5万人を突破し、昭和43年には、県下8番目の10万都市になりました。
東京近郊という立地条件の良さも相まって、昭和50年代後半から人口は急激に増え、現在では24万人を超える都市となっています。草加市では、地球環境をはじめ、少子・高齢化、高度情報化、国際化といった時代の変化をしっかり見据えながら、「いつまでもこのまちで暮らしたい、このまちで子どもを育てたい」と思われるような快適都市の実現をめざし、市民と行政のパートナーシップにより、まちづくりを進めています。歴史
原始・古代の草加
今から、約8000年前、縄文時代(じょうもんじだい)と呼ばれる時期は、現在の関東平野にはその中央付近に、深く、大きく奥東京湾(おくとうきょうわん)が進出していましたが、その後、長い時間をかけながら海は海進(かいしん)・海退(かいたい)を繰り返し、さらに地殻変動(ちかくへんどう)なども重なって、現在の草加市域一帯は、しだいに多くの河川と広大な湿地が広がる地域となりました。
今から、約1600年前、現在の谷塚地域には方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)や古墳(円墳)が出現しました。また、近年の発掘調査からは、多くの土器や祭祀用の遺物が出土するなど、人々の営みの痕跡(こんせき)も見付かっています。
平地には上流からの土砂が堆積(たいせき)して自然堤防(しぜんていぼう)を形成し、さらにその堤防の上には人々が生活を送る集落が生まれ、また、よその土地との交流の礎(いしずえ)となる街道も形成されていきました。
中世から近世初頭の草加
承久3年(1221年)、北条氏(ほうじょうし)は鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に戦勝祈願のため谷古宇郷(やこうごう)の地を寄進しました。これが、書き示された資料の中で草加市域が登場する始まりといわれ、以来、関東武士の攻防を目の当たりにする土地となっていきました。
天正18年(1590年)、小田原の北条氏が滅亡すると徳川家康(とくがわいえやす)が関東に移り来て、翌年には柿木の東漸院(とうぜんいん)に朱印状(しゅいんじょう)を与えるなど、関東各地で所領安堵(しょりょうあんど=認定)などの施策を展開していきました。また、慶長8年(1603年)、家康は江戸に幕府(ばくふ)を開き、さらに彼の命を受けた関東郡代(かんとうぐんだい)伊奈忠次(いなただつぐ)は、八条領立野堀(はちじょうりょうたてのほり=稲荷一丁目から六丁目付近)の新田(しんでん)開発を許可し、この頃から草加市域では広大な沼沢が豊かな美田へと開発されていきました。そして従来からある村のほか多くの新田ムラが誕生し、市域の村々は、一部に大名や旗本、江戸の寺院の支配を受けましたが、多くは天領(てんりょう)といわれる幕府の直轄領に組み込まれていきました。
近世初頭、江戸(えど)と奥州各地とをつなぐ街道は、千住(せんじゅ)から八条(はちじょう)・越ヶ谷(こしがや)へと大きく迂回をしていましたが、やがて幕府は千住・越ヶ谷間を最短で結ぶ新道を整備し、その中間に近隣の村々からなる新しい宿駅(しゅくえき)の設置を命じました。草加宿の始まりです。
また、このとき整備された街道が、日光道中(にっこうどうちゅう)で、やがて寛永7年(1630年)、幕府の公認を受け正式に伝馬宿(てんましゅく)と認められた草加宿は、その後、参勤交代(さんきんこうたい)や日光社参、さらには一般旅人の往来もあって、大きな賑わいをみせるようになりました。
元禄2年(1689年)には松尾芭蕉(まつおばしょう)が『おくのほそ道』の旅で草加宿に歩みを残したのを始め、伊能忠敬(いのうただたか)や渡辺崋山(わたなべかざん)など多くの文人(ぶんじん)の通行によって、「街道文化」ともいえる独特な文化を創り出していきました。
また、綾瀬川・中川などの河川は、周辺の村々で生産された農産物を江戸に運ぶことにも活用され、荷積み・荷揚げに用いられた河岸(かし)も大層な賑わいを見せるようになっていきました。
草加宿は、地域の政治・経済・文化の中心として、近隣の村々に大きな影響を与えていたのです。
草加宿の北端に続く街道沿いには松が植樹され、それはやがて街道を行き交う旅人に草加松原(そうかまつばら)として、広く知られるようになりました。近代の草加
明治になると、草加市域のほとんどは小菅県(こすげけん)に編入され、やがてすべての地域が埼玉県(さいたまけん)の所属となりました。
日光道中(にっこうどうちゅう)は改めて国道として整備され、さらに交通の要衝としても草加はますます栄えていきました。また、明治22年(1889年)には町村制の施行を受け、近世以来の村々を統合して、それぞれ草加町(そうかまち)・谷塚村(やつかむら)・新田村(しんでんむら)・安行村(あんぎょうむら)・八條村(はちじょうむら)・ 川柳村(かわやぎむら)へと生まれ変わり、今日の地方行政の基礎が築かれました。
明治26年(1893年)、国道には馬車鉄道(ばしゃてつどう)が敷設され、さらに明治32年(1899年)に東武鉄道(とうぶてつどう)が開通すると、 草加は次第に停車場(ていしゃば=現在の駅)を中心とした街として、新たな発展を遂げるようになりました。
そして、それまでの農業中心であった草加市域には、草加せんべいや浴衣(ゆかた)、布晒(ぬのさらし)業が生まれ、さらにレンガ・皮革業などの転入によって特色ある地場産業が栄えることとなりました。
また、第二次世界大戦前後から化学・製紙関連業なども相次いで進出し、県下有数の工業都市へと変貌していきました。草加市の誕生から昭和・平成、そして令和へ
昭和30年(1955年)、草加町・谷塚町(旧谷塚村)・新田村による町村合併(ちょうそんがっぺい)の結果、 新生草加町が誕生し、その後の編入・分離によって現在の市域がほぼ確定しました。そして昭和33年(1958年)11月1日には、県下21番目に市制(しせい)を施行し、その後は大規模な住宅団地の造成、地下鉄の相互乗り入れなどを受けて人口は急増し、都市化が急激に進行しました。
さらにその後の昭和・平成時代、草加市では社会・経済情勢の変動を見据えながら東武鉄道の高架複々線化、東京外かく環状道路の建設、綾瀬川の改修、草加駅前や谷塚駅前の再開発など大規模プロジェクトによる取組が功を奏し、治水(ちすい)や都市基盤(としきばん)の整備が進みました。
そして令和の時代を迎えた草加市は、今まで以上に町並みの活性化や賑わいづくり、新たな住民連携・協働(きょうどう)を進めながら、改めて「このまちに住み続けたい」「このまちで子どもを育てたい」「このまちを訪れたい」と実感できる「だれもが幸せなまち 草加」の実現を目指していくこととなり、今まさに、邁進(まいしん)しているところです。
出典 草加市公式サイト
草加宿
草加宿の特徴
日光街道、日本橋から2つ目の宿場で、埼玉県に入って最初の宿場。日光街道の成立から少し遅れて1606年、大川図書という人が付近の住民とともに道筋を改修し、その後こここが宿場として認められました。大川図書の屋敷跡は現在小学校となっており、宿場内の東福寺には墓があります。
宿場の北は綾瀬川沿いに松並木が続いています。1683年の綾瀬川改修の折に植えられたものの名残と言われ、旧建設省の日本の道100選に選ばれています。
出典 街道なう
所在地:埼玉県草加市住吉1丁目13-10
地図↓

草加松原
草加松原の特徴
おくのほそ道の風景地 草加松原
草加松原は、草加市の中心部を南北に流れる綾瀬川右岸沿いの遊歩道の東西に、約1.5キロメートルに及ぶ松並木です。日光街道第2の宿場だった旧草加宿の北側に位置し、一説では、天和3年(1683年)の綾瀬川開削に伴い街道が整備された際に松は植えられたと伝わり、江戸時代から日光街道の名所として知られてきました。
貞享5年(1688年)、松尾芭蕉は隅田川のほとりにあった芭蕉庵を引き払い、翌年の元禄2年(1689年)3月27日(今の暦で5月16日)に『おくのほそ道』の旅に出ました。舟で千住へ至り、その後は徒歩で日光街道を北上。草加宿は『おくのほそ道』の作品中にも登場します。松並木は、その草加宿の北側にあって、街道を行く人々を見守ってきました。戦後、昭和40年代(1965年から1974年)には、根元を通行する車両の排気ガスや道路舗装による根の切断などにより、著しく本数を減らしましたが、市はもちろん、地元の人々や埼玉県(SSR埼玉シンボルロード整備計画)による保護の取組の結果、平成24年(2012年)には古木・若木合わせて634本の松並木が復活するに至りました。
現在は、市道及び都市公園「草加松原公園」として整備され、訪れる人々の憩いの場となっています。
草加松原は、芭蕉の一行が通過した頃からその後の時代にかけて松が植え足され、街道の両側に今や長さ1.5キロメートルもの並木にまで成長を遂げました。幹回りが約2メートルにも及ぶ複数の老樹を含め、川に沿って線状に延びる並木道の風景は壮観であり、今なお『おくのほそ道』の時代の雰囲気を伝える一連の風致景観の一つとして、評価されました。出典 草加市公式サイト
所在地:草加市栄町一丁目、草加市栄町二丁目、草加市栄町三丁目、神明二丁目
地図↓

草加神社
草加神社の特徴
日光街道・奥州街道の宿場町「草加」に鎮座する草加神社
当社は安土桃山時代の天正年間頃(1573年~1585年)に、武蔵國三之宮なる大宮氷川神社の御霊を分け戴きて小祀を祭りしに起縁します。
寛永7年(1630年)に草加宿は千住宿に次ぐ、江戸・日本橋から数えて2番目の宿場として誕生しました。
当社は草加宿が整備されるとともに崇敬を集め、享保2年(1717年)神階正一位の宣旨を賜り、文政(力石)、嘉永(本殿修造)、文久(手水舎)の建造物の銘から、江戸中期より後期にかけ現在の境内様相になったともの推察されます。草加松原(国指定名勝)の総鎮守として
正徳3年(1713年)草加宿に宿場の鎮守様として神明宮を建立以降、それに伴い各村々(北草加村・与左衛門新田・弥惣右衛門新田・谷古宇村・立野村・宿篠葉村・吉笹原村・原島村)に鎮守様を祀り、当社は南草加村の鎮守様として祀られておりました。
明治40年(1907年)政令により当時の草加町内に御鎮座する諸神社十一社を当社に合祀し、明治42年(1909年)4月6日に社号を氷川神社改め草加神社と改称し文字通り、草加総鎮守の役割を担っております。御祭神は素盞鳴命・櫛稲田姫命二柱の大神様。
境内にある末社を含めると十四柱の神様がお祀りされています。出典 草加神社公式サイト
所在地:埼玉県草加市氷川町2118-2
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東福寺
東福寺(真言宗智山派)の特徴
草加の旧日光街道には、東福寺(とうふくじ)さんと呼ばれ親しまれているお寺があります。本堂・山門・鐘楼は江戸時代後期の建物で、本堂内外陣境の彫刻欄間や、山門、鐘楼は市の指定文化財に指定されています。草加駅からも近いので、お散歩がてら歩けます。
所在地:埼玉県草加市神明1丁目3-43
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そうか公園
そうか公園の特徴
そうか公園は、四季折々の樹木や草花・野鳥などを観察できる自然や修景池、芝生が心地よい自由広場などの多様な機能を持ち、草加市で最も大きな面積を有する市を代表する公園です。
所在地:草加市柿木町
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漸草庵 百代の過客
漸草庵 百代の過客の特徴
「漸草庵 百代の過客(ぜんそうあん はくたいのかかく)」
市民が和の文化・芸術に親しみ、また市内外へ発信するための施設です。
また、立礼席には、どなたでも気軽に立ち寄ることのできる「お休み処」を設けています。[建築様式]木造平屋建ての数寄屋建築
[和室]松の間(8帖)/菊の間(6帖)/桜の間(4帖半)/小間(3帖台目茶室)
出典 草加市文化会館公式サイト
所在地:草加市松江1-1-5(草加市文化会館内)
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皮革
草加市の皮革の特徴
皮革の歴史
草加の皮革の歴史は、皮革が製造工程で大量の水を使用するため、地下水が豊富であった草加に昭和10年に皮革会社が工場を開設して以来、東京の三河島方面から続々とまとまって移転・進出したことに始まります。
第二次大戦下においては、統制品の指定を受け、操業は著しく下降しましたが、昭和25年の統制解除後は、原皮の輸入の増加に伴い活況を取り戻し、羊皮をはじめとする染色工場も増加しました。
現在では草加は素材から最終作品まで幅広く生産する、全国有数の産地となっています。特徴
草加の皮革産業の特徴は、牛、豚、羊のほか爬虫類やシャーク(鮫)など、多種多様な素材を使用している点にあります。
製品は靴やかばん、衣料品、ランドセル、運動具など多種多様で魅力的な商品が生み出されています。
市内の皮革産業に携わる職人や企業が集まり、平成14年に「そうか革職人会」が設立され、レザーフェスタなどのイベントを通じて草加の皮革製品の普及とPRに努めています。出典 草加市公式サイト
ゆかた
草加市のゆかたの特徴
草加のゆかたは、県の伝統的手芸工芸品にも指定されている、市を代表する特産品です。「注染」(ちゅうせん)と呼ばれる染色技法で染められる草加のゆかたの特徴は、ヤカンという道具を使って熱い染料を注いで染め抜くため、表裏ともに色がつくことと、伝統工芸士の手によって作り出される微妙な色合いにあります。
「草加市民まつり」で行われる「草加さわやかさんコンテスト」の出場者は皆このゆかたを身に着けており、毎年違った色やデザインで会場をはなやかに盛り上げています。
出典 草加市公式サイト
地球儀
草加市の地球儀の特徴
埼玉県草加市
この町に、世界に誇れるモノがあるそれは、一つ一つ丁寧に手作りされる「地球儀」。
作っているのはここ「株式会社 渡辺教具製作所」。
昭和12年創業 従業員8名の町工場だ。まずは、世界地図が印刷されている紙を丸い地球儀の形に合うよう18枚の紡錘形に切り揃えていく。
その後一枚一枚貼っていくのだが・・・
ここで、まち・モノポイント!
職人による手貼り。
地図にのりづけをし、プラスチックの球体に緯度や文字のずれが無いよう赤道を中心に両極に向け正確に貼っていく。
0.1ミリの違いも許されない、高度な技が要求されるのだ。その後、小型のアイロンを使い空気やしわを取り除き、特殊な溶剤を吹きかけて、つやだしや強度を増すための塗装を施していくのだ。
そして、枠組みを作り球体を取り付ければ完成。
こうして、作られた地球儀はその完成度の高さを認められ多くの学校や施設で使われているのだ。
そう、この町にも世界に誇れるモノがあった。
出典 TBS公式サイト
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