岐阜県岐阜市はこんなに素敵なところ!
金華山、岐阜城(稲葉山城)、岐阜大仏(正法寺)、長良川、長良川鵜飼、小紅の渡し、加納城跡、鷺山城跡、黒野城跡、常在寺、鏡島弘法(乙津寺)、雄総山護国之寺、美江寺、延算寺、真長寺、崇福寺、願成寺、玉性院、妙照寺、伊奈波神社、加納天満宮、金神社、橿森神社、手力の火祭..
こちらでは岐阜県岐阜市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、公園、神社、お寺などのパワースポット、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物、モダン建築などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。
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岐阜大仏
岐阜市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、神社、お寺、美術館、文化遺産、歴史遺産、歴史的建造物

ねえねえボンゾくん、岐阜県の岐阜市ってどんなところなの?おすすめの名所や人気の観光スポット、素敵な場所を教えてくれる?

岐阜市には素敵なところがたくさんあるよ! 金華山、岐阜城(稲葉山城)、岐阜大仏(正法寺)、長良川、長良川鵜飼、小紅の渡し、加納城跡、鷺山城跡、黒野城跡、常在寺、鏡島弘法(乙津寺)、雄総山護国之寺、美江寺、延算寺、真長寺、崇福寺、願成寺、玉性院、妙照寺、伊奈波神社、加納天満宮、金神社、橿森神社、手力の火祭なんかがおすすめだね。それじゃあカートくんと一緒に岐阜市のこと、詳しく調べてみようね!
金華山
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金華山の特徴
標高329m(国土地理院の三角点設置箇所)の金華山は、岐阜市の中心部に位置し、かつては稲葉山と呼ばれていました。山頂には斎藤道三公・織田信長公ゆかりの岐阜城がそびえ立ち、長良川と同様に岐阜市のシンボル的存在です。
金華山にはロープウェーがあり、気軽に山頂までいくことができます。また、登山道も整備されており、気軽にハイキングを楽しむことができます。
所在地:岐阜県岐阜市槻谷
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岐阜城(稲葉山城)
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岐阜城(稲葉山城)の特徴
金華山山頂に位置し、岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした。戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でもありました。その後、織田信長がこの城を攻略、城主となり、地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。しかし、慶長5年(1600年)8月、関ヶ原の戦いの前哨戦の際、織田信長の孫・秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城。東軍総大将の徳川家康は、9月1日に江戸を出発し、関ヶ原の戦い前々日の9月13日岐阜城に宿泊しています。
現在の城は、昭和31年に復興され、鉄筋コンクリート造り3層4階構造で、岐阜市のシンボルとなっています。
城内は史料展示室、楼上は展望台として多くの人に親しまれています。
山頂駅まで約15分間隔で運行しているぎふ金華山ロープウェーがご利用いただけます。出典 岐阜県観光連盟公式サイト
所在地:岐阜県岐阜市天主閣18番地
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岐阜大仏(正法寺)
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岐阜大仏(正法寺)の特徴
日本三大仏の一つに数えられるこの大仏は乾漆仏としては日本一の大きさを誇ります。
天保3年4月(1832年)に、実に38年の歳月を費やして完成しました。
堂の高さ23.6m、仏像は坐像で、高さ13.63m、耳の長さ2.12m、鼻の高さ0.36m。大イチョウを直柱として、骨格は木材で組み外部は良質の竹材と粘土で造られ、その上を一切経で糊張りし漆を塗り金箔を置いたものです。胎内には薬師如来がまつられています。
私たちに微笑みかけられているようなそのやさしい表情と荘厳さ、そして静寂な大仏殿の中はまさに癒しの空間です。●籠大仏附木造薬師如来坐像・・・岐阜県指定重要文化財
●木造阿弥陀如来坐像・・・岐阜県指定重要文化財
所在地:岐阜県岐阜市大仏町8
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長良川
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長良川の特徴
岐阜市内中心部を流れる川でありながら今もきれいな水をたたえ、その流れは多くの人に愛されています。夏になれば川原は水遊びを楽しむ人でにぎわいます。
長良川は源流を郡上市高鷲の大日ヶ岳に発し多くの支流と合流し木曽三川の一つとして伊勢湾に流れ込みます。
長良川中流域の水は「名水100選」に選ばれており、今もなお昔ながらの伝統を守りつづけているぎふ長良川の鵜飼が行われる場所でもあります。長良川プロムナード
長良橋から上流へ1.3kmの川沿いの道は遊歩道として整備され、長良川や金華山を見ながら散策できます。
鵜飼開催期間中はライトアップされた岐阜城を背景に鵜飼を間近で見られるスポットです。長良川堤の桜
長良川左岸には400本のソメイヨシノなどが植えられています。
毎年4月上旬になると河畔から岐阜公園日中友好庭園一帯は満開の桜で埋め尽くされ、昼夜とも多くの花見客で賑わいます。
所在地:岐阜県岐阜市
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長良川鵜飼
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長良川鵜飼の特徴
戦国のロマンを今も感じさせる金華山と山頂にそびえる岐阜城を背景に、名水100選に選定されている清流長良川でぎふ長良川の鵜飼は行われています。漆黒の闇の中、赤々と燃える篝火を川面に映し、鵜匠と鵜が一体となって繰り広げる古典漁法「鵜飼」は、現在を忘れ千古の昔にタイムスリップしたような幽玄の世界へと誘います。
鵜飼は鵜匠が鵜をあやつり魚を捕える漁法で、およそ1300年の歴史があり、時の権力者たちに保護されてきました。織田信長公は「鵜匠」という地位を与え鵜飼を保護したと言われており、徳川家康はたびたび岐阜を訪れ鵜飼を見物、保護し、岐阜でつくらせた鮎鮨を江戸まで運ばせました。
また、鵜飼は多くの文化人にも愛され、松尾芭蕉は岐阜を訪れた際、鵜飼を見物し「おもうしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」という句を残したほか、名優チャールズ・チャップリンは2度鵜飼見物に訪れ、ワンダフルと絶賛したと言われています。
長良川の鵜匠は6人で正式な職名は宮内庁式部職鵜匠といい、代々その技が受け継がれています。
長良川の鵜飼用具一式122点は、国の重要有形民俗文化財に、長良川の鵜飼漁の技術が、国の重要無形民俗文化財に指定されています。鵜匠が鵜をはげます「ホウホウ」という掛け声や舟べりをたたく音が「日本の音風景百選」に選ばれています。
ぎふ長良川の鵜飼は、毎年5月11日~10月15日までの期間中、鵜飼休み(中秋の名月頃の1日)と増水時を除いて毎夜行われます。
所在地:岐阜県岐阜市長良
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小紅の渡し
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小紅の渡しの特徴
長良川を渡る岐阜市で唯一の渡し舟。県道(文殊茶屋新田線/173号)の一部となっています。遊覧船とは違い、交通手段としてご利用いただきます。
史実に登場するのは元禄5年(1692年)で、川下にあった河渡の渡しが中山道の表街道として、小紅の渡しが裏街道として栄えました。
現在、渡し船はエンジンで駆動していますが、過去は岸付近では竹ざお、水深の深い部分は櫓で進んでいました。水面から見る岐阜城が美しいと評判です。
冬季は鴨などの野鳥が飛来するバードウォッチングのスポットでもあり、毎月21日の弘法さんの命日は鏡島弘法への参詣客で賑わいます。
場所:北岸 岐阜市一日市場 南岸 岐阜市鏡島(鏡島弘法 乙津寺 北)
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加納城跡
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加納城跡の特徴
加納城は、文安2年(1445)に、美濃国守護土岐将益の執権斎藤利永が築いたのに始まります。その後斎藤氏は主に加納城にありましたが、天文7年(1538)に斎藤氏本宗が断絶し、翌年斎藤氏の名跡を襲った長井利政(後の斎藤道三)が稲葉山城に本拠を移すに及んで、加納城は廃されました。
慶長5年(1600)、関ヶ原戦に勝利をおさめた徳川家康は、西国への押さえとして、旧加納城地を大拡張して築城し、奥平信昌を封じました。城主は、奥平・大久保・松平と転々し、永井氏3万2千石の代に明治維新を迎えました。
城はいわゆる平城で、本丸・二の丸・三の丸・南の丸等から成り、東・南・西は河川を利用して外堀とし、総構えの大手門を丸の内の北に設けてありました。現在、二の丸以下はほぼ市街地となりましたが、東部に取出丸をつくって凸形を成す本丸と四囲の堀・石垣・土塁が良く遺存しており、近世平城の貴重な遺構となっています。出典 文化庁公式サイト
所在地:岐阜県岐阜市加納丸之内
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鷺山城跡
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鷺山城跡の特徴
金華山西北にある標高68mの鷺山。その山頂に鷺山城跡の碑があります。
斎藤道三公が土岐頼芸を追放した後、岐阜城を長男の義龍公に譲り、自らの隠居所としました。出典 岐阜県観光連盟公式サイト
所在地:岐阜県岐阜市鷺山150
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黒野城跡
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黒野城跡の特徴
文禄3年(1594年)、加藤貞泰が美濃国4万国に封じられた際に築城後、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いで加藤貞泰は、東軍(徳川方)に属し、慶長15年(1610年)には2万石加増され伯耆国(ほうきのくに)米子6万石の城主になりました。
加藤貞泰の転封後は、黒野は加納藩領となり、黒野城は廃城となりました。城下町が存続したのはわずか16年間でした。岐阜市史跡に指定されており、近年の発掘調査の結果、石垣と門に使用したと考えられる瓦が発見されています。
出典 岐阜県観光連盟公式サイト
所在地:岐阜県岐阜市黒野388
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常在寺
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常在寺の特徴
斎藤家の菩提寺。斎藤道三公とその父・長井新左衛門尉が二代にわたり美濃国を制する拠点とした寺です。長井新左衛門尉は、京都から美濃へやって来た商人出身と言われています。
正式名は、鷲林山常在寺(じゅりんざん じょうざいじ)。日蓮宗、京都妙覚寺の末寺です。
室町時代の宝徳2年(1450年)土岐家守護代として権力を持ち、当時事実上美濃を支配していた斎藤妙椿(みょうちん)が建立しました。後に道三公が菩提寺とし、以後三代の菩提寺となっています。
毎年4月の第一土曜日には道三まつりにあわせて「斎藤道三公追悼式」が営まれ、まつりの2日間は無料開放されます。●絹本著色斎藤道三像・・・国指定重要文化財
●絹本著色斎藤義龍像・・・国指定重要文化財
所在地:岐阜県岐阜市梶川町9
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鏡島弘法(乙津寺)
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鏡島弘法(乙津寺)の特徴
歴史は古く、行基菩薩が天平10年(738年)に草庵を開創して、自ら十一面千手観音像を彫刻して安置したときに始まります。その後、弘法大師が当地に滞在、寺を乙津寺と名づけ、七堂伽藍塔などを造営しました。別名梅寺というのは、弘法大師が地面に挿した杖が梅の木となり、枝葉が出たという話に由来しています。昭和20年の空襲によって境内の本堂、庫裡、宝庫等を焼失してしまいましたが、重要文化財の十一面千手観音像をはじめとする貴重な仏像は難を免れています。
今は「鏡島の弘法様」として慕われ、境内にある四国八十八寺の霊場の地蔵に手を合わせる数多くの地元の人々の姿が。毎月21日、参道は縁日で賑わっています。
所在地:岐阜市鏡島中2丁目8-1
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雄総山護国之寺
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雄総山護国之寺の特徴
雄総山(ゆうそうさん)と号し、本尊が十一面千手観音で千手院とも称する高野山真言宗の寺院です。
天平18年(746年)、聖武天皇の勅願により「行基菩薩」によって開創されました。
現在の寺は天正18年(1590年)、兵火により消失したのを良啓上人が再興したものです。
寺内には岐阜市で唯一の国宝である「金銅獅子唐草紋鉢」が所蔵されています。
また境内には美しい庭園が広がり、予約をすれば庭をゆったりと眺めながら精進料理を食べることもできます。
所在地:岐阜県岐阜市長良雄総194-1
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美江寺
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美江寺の特徴
天台宗のお寺で美江寺観音とも呼ばれています。
かつては、瑞穂市美江寺にありましたが、戦国時代に斎藤道三が城下町繁栄のために現在地に移したといわれています。本尊の乾漆十一面観音立像は、奈良時代後期の乾漆仏で国の重要文化財に指定されており、毎年4月18日に開帳されています。●乾漆十一面観音立像・・・国指定重要文化財
●猩々面・・・岐阜市指定重要文化財
所在地:岐阜市美江寺2-3
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延算寺
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延算寺の特徴
寺伝によれば、弘仁6年(815年)弘法大師が美濃巡教のとき、この地に立ち寄り薬師如来を拝し、霊水の霊験によって衆生の病苦を救いたいと祈願して、一寺を建立して延算寺と名付けました。当時は粗末な草葺きの建物で尊像を祀るところもなく、新しいたらいに安置したというので、別名、盥(たらい)薬師ともいわれています。
本尊の薬師如来は、延暦24年(805年)伝教大師が因幡国岩井郡岩井において、楠の木を持って三体の薬師如来を彫刻したうちの一体で、比叡山根本中堂、揖斐郡横蔵寺の像と同じ木であると伝えられています。
また古くから「かさ神様」として有名で、東院には平安時代、女流歌人小野小町が病をいやしたとされる湧き水があり、プラスチックタンクをいくつも抱えて訪れる参拝者もいるほどです。
所在地:岐阜市岩井2-1-25
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真長寺
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真長寺(三輪釈迦)の特徴
真言宗の古刹で、行基の創建と伝えられる。往古は洞泉山真長寺と称していたが、天文4年(1535年)近松光保の弟、吽阿上人が再興して三輪山真長寺と改めた。
本尊の釈迦如来坐像は、国指定重要文化財に指定されており、像高2.82m、光背3.21m、台座84.8cmで桂材の寄木造りで、表面に厚く漆がかけてあり、藤原時代の作である。また、石庭は岐阜市指定名勝となっている。
所在地:岐阜市三輪778-1
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崇福寺
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崇福寺の特徴
織田信長公が斎藤道三公の孫の斎藤龍興を亡ぼし永禄10年(1567年)美濃に移ると、ここ崇福寺(そうふくじ)を菩提所とし、保護しました。その後、本能寺の変で信長公と息子の信忠が明智光秀に討たれると信長公の側室お鍋の方がその遺品を送り寺内に埋め位牌を安置させました。これが現在の「織田信長父子廟」です。
本堂には「血天井」があります。これは、信長公の孫織田秀信が慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍石田三成に加担したため、東軍の猛撃にあい岐阜城は落城しましたが、この時戦死した将兵の菩提を弔うため、岐阜城の床板を、本堂の天井に張られたものです。今でも鎖かたびらや鎧ひだたれの血痕が付着しているのが見られます。
また、「心頭を滅却すれば火も自ずから凉し」と言ったことで有名な快川紹喜が住職を努めたこともある由緒あるお寺で、堂内には貴重な資料が展示されているほか、きれいに手入れされた庭では、秋にはドウダンツツジの紅葉が見られます。
毎年10月第一土曜日のぎふ信長まつりの日に「織田信長公追悼式」が営まれ、まつりの2日間は無料開放されます。●織田信長父子廟・・・岐阜市指定史跡
●独秀和尚像、斎藤利匡像・・・国重要美術品
●非情成仏絵巻・・・岐阜市指定重要文化財
所在地:岐阜市長良福光2403-1
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願成寺
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願成寺の特徴
古い歴史をもつこのお寺は、壬申の乱で功績を上げた村国男依の発案により創建されたといわれています。
聖武天皇の時代に大仏の鋳造が計画され、家臣の一人が命を受け優秀な仏師を捜して全国を旅していました。願成寺を参詣したところ、夢に観世音菩薩が現れて「明日、西に向かって行け。そこで会った童子(子供)が大仏を造るのに必要な人材だ」と告げられました。翌朝お告げのとおり西に向かって歩いて行くと、川で牛に水を飲ませている童子に会いました。そこで用件を告げると、童子は黙って河原に大仏の絵を描きました。この童子のような男が「日野金丸」という仏像の鋳造師だったのです。日野金丸は都に行き無事大仏を完成させました。彼の功績により聖武天皇から命じられた僧行基が七堂伽藍を造営したと伝えられています。
その後度重なる兵火にあい伽藍のほとんどは焼失してしまいました。
しかし仏像などは戦火を免れ現在も十一面観世音菩薩立像をはじめ金剛力士立像など多くの文化財が残されています。●中将姫誓願ザクラ・・・国指定天然記念物
●木造金剛力士立像・・・岐阜県指定重要文化財
●木造十一面観音立像・・・岐阜県指定重要文化財
●木造大日如来坐像・・・岐阜県指定重要文化財 他中将姫誓願桜
願成寺境内にある中将姫誓願桜は、山桜の変化したものと言われており花弁の数が20~30枚と多く国の天然記念物に指定されています。
名前の由来となった中将姫は、継母からの迫害を逃れて各地を転々とした後、願成寺を参詣しました。この時中将姫は心労と長旅の疲れで病にかかっていましたが、たちまち治りました。そこで感謝の意と後世の女性たちの守りとなるよう誓願をこめて1本の桜を植えられました。これが中将姫誓願桜です。
今でも4月上旬の桜の季節になると繊細な花を咲かせます。
所在地:岐阜市大洞1-21-2
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玉性院
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玉性院の特徴
岐阜駅の南口から徒歩5分のところにある真言宗醍醐派のお寺、東光山 玉性院。慶長年間(1604~14年)創建と伝わる寺院。お寺の大きさはそこまで大きくはないものの、毎年節分に「節分つり込み祭り」が開催され、多くの人でにぎわいます。街中にも大きな鬼があちこちに出現するのも節分の時期の岐阜の名物になっています。
出典 ぎふのススメ公式サイト
所在地:岐阜県岐阜市加納天神町3-8
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妙照寺
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妙照寺の特徴
身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院です。
京都・大本山妙顕寺第8世日広聖人の弟子である、五千院日舜聖人により開山されました。当時は岐阜市柳町の辺りに創建されましたが、慶長5年(1600)に岐阜中納言織田秀信公より現在地に寄進され移転しました。
現在地は旧竹中半兵衛屋敷跡であったと伝えられています。また、松尾芭蕉と縁があり、貞享五年(1688)六月に来訪し、約一ヶ月滞在しました。実際使用された庫裏奥の十二畳座敷「芭蕉の間」が現存しています。
●本堂・・・岐阜市重要文化財
●庫裡・・・岐阜市重要文化財
所在地:岐阜市梶川町14
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伊奈波神社
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伊奈波神社の特徴
景行天皇の14年に創建されたといわれ、1900年以上の歴史を持つ古社。4月の第1土曜には岐阜まつりが行われ、市内を練り歩いた山車や神輿が次々に集まってきます。境内は壮大な楼門、拝殿、本殿などが建つ厳かな雰囲気ですが、岐阜まつりの頃には数百本の桜がちょうど見ごろとなり、大勢の行楽客で賑わいます。
また、元旦には午前零時を迎える前から長蛇の列ができるほどの参詣スポットで、岐阜市で最も多い参拝客が訪れます。
所在地:岐阜県岐阜市伊奈波通1-1
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加納天満宮
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加納天満宮の特徴
文安2年(1445年)、斎藤利永が沓井城(旧 加納城)の守護神として天満宮を勧請しました。関ケ原の合戦後、徳川家康が新しい加納城建設にあたり、鎮護の神として現在の地に遷座しました。ご祭神は菅原道真公です。
所在地:岐阜県岐阜市加納天神町4丁目1-1
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金神社
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金神社の特徴
起源は135年、成務天皇の時代といわれる由緒ある神社。平成27年には鳥居が金色に塗り替えられました。
境内裏手には小円墳が一基あるほか、付近一帯からは多数の須恵器の破片など大量に出土しており、古墳時代の後半に栄えた地区であると推測されています。
現在は毎月最終金曜日に「金の御朱印」を受けられることで多くの参拝客が訪れるほか、毎月9日と年末年始には境内で骨董市が開催され人気を集めています。
所在地:岐阜市金町5-3
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橿森神社
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橿森神社の特徴
第12代景行天皇の時代に創建された、家庭円満、縁結び、学業成就、安産などで知られています。市内中心地にあり、境内は粕森公園として市民に親しまれています。
所在地:岐阜県岐阜市若宮町1-8
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手力の火祭
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手力の火祭の特徴
手力雄神社の例祭で毎年4月第2土曜日に行われています。
この祭りの起源は不明ですが300年以上の歴史を持ち、岐阜県重要無形民俗文化財に指定されています。
滝のように降り注ぐ火の粉の中、火薬を仕込んだ神輿を担ぐ上半身裸の男達。神輿の火薬に火がつくと神輿からも火の粉が吹き上がり迫力満点です。その間を鐘を鳴らしながら乱舞する男達、爆竹の轟音・・・まさに音と火の勇壮な祭りです。
また、毎年祭りにあわせて参道の鳥居にかけられる長さが約12.5m、最大直径3m、重さ約1トンという大しめ縄も見物です。
場所:手力雄神社(岐阜市蔵前6丁目8-22)
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FC岐阜
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FC岐阜の特徴
「子どもたちに夢を!!」をクラブ理念に掲げるFC岐阜では、サッカーをはじめとする様々なスポーツの振興や普及活動に取り組んでいます。クラブではスポーツの種目にとらわれず、みんなが楽しめるスポーツ環境の実現を目指しています。
子どもから、おじいちゃん、おばあちゃんまでが、楽しくスポーツや運動をすることで、より健康で豊かな社会を岐阜県から作りたいと考えています。活動を通して、参加者の皆さんに「スポーツや運動の楽しさ」を伝えるとともに、健康の維持増進や心身の発達をサポートしていきます。FC岐阜では、Jリーグ地域スポーツ振興助成を受けて、ファンやサポーター、市民の方が気軽に参加できるクラブ活動も行っています。
出典 FC岐阜公式サイト
所在地:岐阜県岐阜市長良福光 大野2675−28
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その他の名所、イベント
賀夫良城(市指定史跡・金神社)
長森城跡
切通陣屋跡
川手城跡
上茜部城跡
柳津城跡
高桑城跡
瑞龍寺
法華寺
金粟山大龍寺
岐阜護國神社
長良天神神社
葛懸神社
溝旗神社
伊波乃西神社(日子坐命陵)
茜部神社
本荘神社
若江神社
鶉田神社
方県津神社
縣神社
比奈守神社
加納八幡神社
琴塚古墳(国の史跡)
岐阜公園
梅林公園
畜産センター公園
岐阜ファミリーパーク
長良公園
湊コミュニティ水路
中山道 加納宿・河渡宿
長良川温泉
柳ヶ瀬商店街
岐阜まつり協賛 道三まつり ぎふ信長まつりワールドアスレティックスのゴールドラベルを獲得。
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長良川薪能
池ノ上みそぎ祭
ぎふアジア映画祭
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