山形市はこんなに素敵! 山形県山形市の特徴と魅力 人気の観光地 名所 名物 グルメ お土産 特産品..

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山形県山形市はこんなに素敵!

山寺(宝珠山立石寺)、山形城址、専称寺、千歳山、山形県郷土館(文翔館)、山形美術館、山形県立博物館、元木の石鳥居、八幡神社鳥居、水の町屋七日町御殿堰、成沢城跡(成沢城跡公園)、もみじ公園(宝幢寺跡)、蔵王温泉、蔵王連峰、蔵王国定公園、山形蔵王温泉スキー場、第二公園、山形花笠まつり、芋煮、玉コンニャク、納豆汁、だし、青菜漬、おみ漬、どんどん焼き、冷やしラーメン、冷たい肉そば、すっぽこうどん、エンドーのげそ天..

こちらでは山形県山形市の名所、人気の観光スポット、有名なもの、有名人、名物、特産品、名産品、ブランド品、グルメ、名店、カフェ、銘菓、スイーツ、お土産、高級な手土産、通販でお取り寄せ出来るご当地グルメ等、おすすめの動画とともに、山形市の特徴、魅力をご紹介します。


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イギーくん
イギーくん

ねえねえボンゾくん、こんど山形県の山形市に行くんだけど、どんな特徴や魅力があるところなのかなあ?山形市についていろいろ教えてよ!特に美味しいものが知りたいなあ!

ボンゾくん
ボンゾくん

山寺(宝珠山立石寺)、山形城址、専称寺、千歳山、山形県郷土館(文翔館)、山形美術館、山形県立博物館、元木の石鳥居、八幡神社鳥居、水の町屋七日町御殿堰、成沢城跡(成沢城跡公園)、もみじ公園(宝幢寺跡)、蔵王温泉、蔵王連峰、蔵王国定公園、山形蔵王温泉スキー場、第二公園、山形花笠まつり、芋煮、玉コンニャク、納豆汁、だし、青菜漬、おみ漬、どんどん焼き、冷やしラーメン、冷たい肉そば、すっぽこうどん、エンドーのげそ天.. たくさんあるよ!それじゃあイギーくんと一緒に山形市のこと、詳しく調べてみようね!

山形市について

山形市の特徴、歴史

山形は、古くは最上(もがみ)と呼ばれていました。「最上」は、平安時代の末期頃、すでに出羽路の主要な宿駅の一つでした。このことは延喜式の記録などからも察せられます。仏教文化も、かなり早い時代にこの地方にもたらされており、山寺立石寺(りっしゃくじ)が天台宗の僧円仁(慈覚大師)によって開山されたと伝えられるのは、貞観2年(860)のことであり、出羽の吉祥院や竜山の西麓に多くの坊を擁して栄えたという竜山寺の草創も、その時代のことのようです。しかし山形が、この地方の政治文化の中心に発展したのは、室町時代中期以降のことです。延文元年(1356)羽州探題として奥州大崎より入部した斯波兼頼(しばかねより)がこの地に城を築き、神社仏閣を修復整備し、城下町を整えて発展の礎石をおいたのでした。

山形が、いっそう飛躍して出羽地方一帯に君臨するにいたったのは、兼頼からさらに200年余りたった最上義光(もがみよしあき)(斯波氏はのち最上を姓とする)の時代(1546-1614)です。義光は、兼頼の11代目の子孫で、年少より文武にすぐれていたといわれ、折からの戦国時代の風雲に乗じて近隣の諸将を従え、実収百万石にも達したといわれています。しかし最上氏は、義光没後わずか2代で、内紛のため改易されました。そしてその後の山形藩は次第に衰微し、明治維新まで小藩政治に終始しており、最後の藩主水野忠弘の時代には、5万石の小藩にすぎませんでした。

江戸中期以降の山形の繁栄を支えたのは、商業の発達でした。なかでも、当時、染料や口ベにの原料として用いられていた紅花(べにばな)は全国随一の生産を誇り、関東・関西の各地に移出されていました。また、青苧(あおそ)の生産や鋳物の製造なども盛んで、これらの物産の交流は、最上川船運の発達をもたらし、上方文化の導入にもつながりました。

一方、東の蔵王、西の出羽三山の参拝者たちも山形を拠点としており、山形は、すでにその頃からにぎわいをみせていました。

明治維新によって藩が廃され県に改まると、山形には統一山形県の県庁が置かれました。初代県令三島通庸は、ここに近代都市の建設をはかり、その形態を着々と整備しました。明治22年4月1日に大阪市や横浜市など名立たる大都市ともに日本で最初に市制が施行された31市のうちの1市として市制を施行、県内中心都市としての基礎を固めました。同年7月1日には市庁舎を開庁し、この日をもって本市の市制記念日としました。市制施行時の人口は、28,400人でしたが、大正9年の第1回国勢調査での人口は116,757人、約30年で4倍に増加しています。

昭和6年には隣村の一部を編入、18年には近接2カ村を、29年には12カ村を、続く31年には6カ村を合併して広域行政の端をひらき行政区域は現在の規模となり、43年には人口が20万人を超えました。

平成元年には市制施行100周年を迎え、新世紀の幕開けとなった平成13年には特例市となりました。さらに、令和元年度には中核市へ移行し、保健所を開設するなど、着実に都市のステップアップを果たしています。
現在、人口約25万の堂々たる県都となった山形市は、『みんなで創る山形らしさが輝くまち 健康医療先進都市』を目指す将来都市像として掲げ、更なる発展を目指しています。

山形市は、樹氷と温泉で名高い「蔵王」や、俳聖松尾芭蕉ゆかりの「山寺」などの観光地を有する自然豊かなまちです。四方を山で囲まれ、一年中美しい景色を堪能できるスポットがたくさんあります。

出典 山形市公式サイト


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山形市の名所、人気の観光スポット、有名人

山寺(宝珠山立石寺)

【山寺】宝珠山 立石寺の紅葉 : The Autumn Leaves of Rissyaku-ji Temple(Yamagata, Japan)

バスガイドぶらり旅 vol.105 東北の霊場 山寺 立石寺(前編)

バスガイドぶらり旅 vol.106 東北の霊場 山寺 立石寺(後編)

山寺(宝珠山立石寺)の特徴

山寺は、正しくは
宝珠山 立石寺といいます。

貞観2年(860)、第三世天台座主慈覚大師円仁 が開いた、天台宗の御山で東北を代表する 霊山です。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 という松尾芭蕉の句でも知られています。豊かな自然に恵まれ、春・夏・秋・冬、 四季折々の雰囲気を楽しむことができます。

立石寺の概要・歴史

当山は宝珠山立石寺といい通称『山寺』と呼ばれています。天台宗に属し、創建は貞観二年(860年)天台座主第3世慈覚大師円仁によって建立されました。当時、この地を訪れた慈覚大師は土地の主より砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げ寺領とし、堂塔三百余をもってこの地の布教に勤められました。開山の際には本山延暦寺より伝教大師が灯された不滅の法灯を分けられ、また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護る寺院となりました。その後鎌倉期に至り、僧坊大いに栄えましたが、室町期には戦火に巻き込まれ衰えた時期もありましたが、江戸期に千四百二十石の朱印地を賜り、堂塔が再建整備されました。元禄二年(1689)には俳聖松尾芭蕉が奥の細道の紀行の際この地を訪れ、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の名句を残しました。現在は約百町歩(33万坪)の境内を持ち、その中に大小30余りの堂塔が残され、三つの不滅(法灯・香・写経行)が今尚護られています。

出典 宝珠山立石寺公式サイト

山寺観光協会公式サイト

所在地:山形県山形市山寺4456-1

地図↓

宝珠山立石寺 · 〒999-3301 山形県山形市山寺4456−1
★★★★★ · 仏教寺院

山形城址

国指定史跡 山形城

【城めぐり】最上義光の居城 山形城 山形県【攻略ルート】

山形城址の特徴

東北屈指の戦国大名・最上義光公がその礎を築いた「山形城」。1986年に国の史跡指定を受け、2006年には「日本100名城」に認定されています。山形市市街地のほぼ中央にあり、第二次世界大戦後は「霞城公園」として一般公開され、近年、発掘調査と復原工事のプロジェクトが進行中。1991年には城門の「二ノ丸東大手門」、2005年には「本丸一文字門大手橋」などの復原が進み、往時の趣きを取り戻しつつあります。敷地内に立つ勇ましい騎馬像は最上義光公のもの。出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦「長谷堂城の戦い(長谷堂合戦)」 のおり、先陣を切って合戦に向かう雄姿が銅像になっています。公園内やその周囲には、明治時代に建てられた擬洋風病院建築「旧済生館本館」を移築復原した「山形市郷土館」をはじめ、山形県立博物館、山形美術館、最上義光歴史館などの文化施設があり、観光名所となっています。また、春には約1,500本の桜が咲き誇る山形市随一の桜の名所でもあり、桜の開花に合わせて「霞城観桜会」が開催され、東から南濠沿いの桜がライトアップされます。

出典 やまがたへの旅

所在地:山形県山形市霞城町1

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山形城跡 · 〒990-0826 山形県山形市霞城町1
★★★★☆ · 城

専称寺

専称寺(山形県山形市)

専称寺の特徴

最上義光公57万石の城下町である山形市に、寺町が置かれたのは現在の緑町3丁目辺りでした。山形城の東の要衝で、浄土真宗の寺院が十四カ寺集められ、いざとなれば出城の役割を果たすべく配置されたといわれています。中でも専称寺は市内随一の大伽藍(だいがらん)を誇ります。義光の次女、駒姫の悲劇は山形市民であればご存じかと思います。秀吉の天下の時代、関白秀次が自害を命じられ、秀次に見初められて嫁ぐために京都に向かった駒姫も、わずか15歳で三条河原にて斬殺されました。駒姫の非業の死を悼み、義光は天童高擶にあった専称寺を山形旅籠町に移転、その後現在地に駒姫の菩提(ぼだい)を弔う壮大な伽藍を建立しました。そのスケールをみれば、義光がいかに駒姫を溺愛していたかを感じることができます。大屋根がそびえる大本堂、境内を涼しげに流れる御殿堰(ごてんぜき)、ひっそりと佇む駒姫の墓、当時天下一の名匠と呼ばれた西村道仁作の梵鐘(ぼんしょう)、左甚五郎作ともいわれる4つの力士像、幹の周囲が7.5メートルもある大イチョウなど、見どころがたくさんあります。季節ごとに美しい佇まいをもつ寺院です。

少し涼しくなる秋の季節に寺町散歩などしてみてはいかがでしょうか。

出典 山形市公式サイト

所在地:山形県山形市緑町3丁目7-67

地図↓

専称寺 · 〒990-0041 山形県山形市緑町3丁目7−67
★★★★☆ · 仏教寺院

千歳山

千歳山の特徴

山形市の東側に位置し、市内のどこからでも見ることができる標高471mのおむすび型(三角形)の山。アカマツの群生地としても有名で、国有林野内の自然保護を進める自然休養林に指定され、また、周辺は水や緑などの自然的な要素に富んだ良好な景観として風致地区に指定されている風光明媚な地域です。
登山道も整備され、小学生の遠足や中高生の体力づくり、大人の健康づくりのために利用され、手軽に登れる山として、多くの市民から親しまれています。また、阿古耶姫と松の精との悲恋の伝説があります。

出典 やまがた山公式サイト

所在地:山形県山形市平清水

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千歳山 · 〒990-2401 山形県山形市平清水
★★★★★ · 山頂

山形県郷土館(文翔館)

山形県郷土館(文翔館)の特徴

山形県郷土館(愛称「文翔館」)は、1916年(大正5年)に建てられた英国近世復興様式の建物で、1975年(昭和50年)まで県庁舎及び県会議事堂として使用されていました。1984年(昭和59年)に国の重要文化財に指定され、1986年(昭和61年)から10年の歳月をかけて当時の工法を元に忠実に復原工事が行われ、現在は山形県郷土館として無料公開されています。旧県庁舎はレンガ造り3階建てで外回りの壁面は石貼りで覆われ、重厚感のある佇まいです。文翔館のシンボルで4辺に顔を見せる時計台は、現在日本で稼働している中で札幌の時計台に次いで2番目に古いものです。時計職人が振り子を動かす分銅を5日に一度手動で操作し、大切に使われてきました。そのおかげもあり、現在まで時を刻み続けています。旧県会議事堂はレンガ造り一部2階建てで、当初から県会で使用されないときには演奏会等の会場としても使用され、現在でもさまざまな催しに使われています。建物内部も豪華な装飾の数々が残ります。内部に入って最初に目に飛び込んでくる玄関ホールは西洋建築の情緒たっぷり。階段の手すりにも装飾が施され、踊り場には月桂樹の輪飾りをモチーフとした可愛らしいステンドグラスが。階段を上ってすぐの場所にある正庁(現在でいう講堂)の天井には、職人の細やかな技が光る漆喰飾りが復原されています。紅花やさくらんぼなど山形県の特産品が隠されているので、探してみてください。その他の部屋にも、木を組み合わせてつくる寄木貼りの床や山形で織られた絨毯など豪華な装飾があちらこちらに。時間に余裕がある方は、ガイドボランティア(無料)の案内で見学するとより一層楽しめます。

出典 やまがたへの旅

所在地:山形県山形市旅篭町3丁目4-51

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山形県郷土館(文翔館) · 〒990-0047 山形県山形市旅篭町3丁目4−51
★★★★☆ · 地域歴史博物館

山形美術館

山形美術館の特徴

山形美術館は、当時の山形新聞・山形放送社長服部敬雄が中心となって財団法人を設立し 、1964年8月に開館しました。山形における美術館建設は、終戦直後の山形県美術家協会発足以来の念願であり、用地や組織について検討を重ねた結果、民間主導で県と市が全面的に協力する財団法人による運営となりました。「公立美術館より一段と幅広い県民の美術館」という理念のもと、開館を迎えることができたのです。
1968年には別館を開設。その後開館20周年記念事業として新館建設着工、地域性と近代様式をマッチさせた多層民家風の3階建て新館が1985年8月10日オープンしました。翌年10月には別館を改修。延べ床面積6,400平方メートル、8つの展示室(2,100平方メートル)を有する現在の姿となりました。
以来、日本および東洋美術、郷土関係美術に新たにフランス美術を加えた3つの柱を中心に調査・研究ならびに作品収集にあたり、収蔵品と常設展示の充実を図っています。また、さまざまな分野の企画展、巡回展、個人や団体による展示施設貸与事業などを開催実施。山形県の美術文化振興と県民の生涯学習の一翼を担うべく開かれた美術館活動を行っています。2011年4月に公益財団法人に移行、2014年には開館50周年を迎え、ますます美術館としての役割が期待されています。

出典 山形美術館公式サイト

所在地:山形県山形市大手町1-63

山形美術館 · 〒990-0046 山形県山形市大手町1−63
★★★★☆ · 美術館

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山形県立博物館

国宝土偶「縄文の女神」

「縄文の女神」は平成4年(1992)、舟形町の西ノ前遺跡で発掘され、平成24年(2012)に、47点の土偶残欠とともに国宝に指定されました。
「縄文の女神」は約4,500年前の縄文時代中期に作られたと推測されており、山形県立博物館に展示されています。時代を超えた比類なき造形美は、ここ県立博物館を訪れた人を魅了してやみません。
ぜひ、国宝土偶「縄文の女神」に会いにきてください。

出典 【県公式】やまがたChannel

山形県立博物館分館 教育資料館

山形県立博物館の特徴

山形県立博物館は、山形市の中央部に位置する霞城公園のなかにあります。ここは旧山形城(二の丸内)で桜の名所であり、市立郷土館、美術館、県立体育館等の立ちならぶ文教ゾーンで、県民の憩いの場所ともなっております。現在、公園は国の史跡指定を受け、東大手門が復元され、本丸石垣の発掘工事がおこなわれております。
館内の展示室は、おおきく3室にわかれております。第1展示室は「豊かな自然とそのめぐみ」というテーマのもとに、山形のなりたち、森林・野鳥・昆虫等の世界を、わかりやすく展示しております。ここでは、世界的な発見といわれた「ヤマガタダイカイギュウ」という化石が、代表的な展示です。第2展示室は「山形の大地に刻まれた歴史」というテーマで、山形の考古資料、最上川、三山信仰、紅花等の資料を展示し、山形の歴史が理解できるようにしております。第3展示室は「近代山形くらしのうつりかわり」のテーマで、文明開化から現代までのくらしの変遷、山形の焼きもの・郷土玩具等の資料を展示しています。特別展示室では、催し物展(企画展)、特別展を開催しておりますが、どの場面でも自力で学習できるように、展示資料等に創意と工夫をこらしております。
また附属施設として、県内でもっとも貴重な湿原である琵琶沼(県天然記念物)を中心に「自然学習園」を開設して、県民に自然学習の場を提供しております。さらに1901(明治34)年に建築された県内の代表的な西洋建築として、国重要文化財に指定されている「旧山形師範学校本館」の建物に、“教育県山形”の教育のあゆみを展示した教育資料館が、分館として開館し、ユニークな展示活動をつづけています。

出典 山形県立博物館公式サイト

所在地:山形県山形市霞城町1-8

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山形県立博物館 · 〒990-0826 山形県山形市霞城町1−8
★★★★☆ · 博物館

元木の石鳥居

元木の石鳥居の特徴

市長のやまがた自慢「日本最古の石鳥居」

県外から友人が遊びに来たとき必ず連れていくスポットがあります。それが鳥居ケ丘にある日本一古い石鳥居『国指定重要文化財「鳥居」』です。山形市にある「日本一」といえばまず思い浮かぶのはコレ。元来、「元木の石鳥居」とも呼ばれ、国指定の重要文化財でもあるのですが、意外と市民の方でもご存じない方もいらっしゃいます。
どのくらい古いかというと、約1000年前といわれています。山形市には古くからの原始的な山岳信仰の痕跡がたくさん残っていますが、これもその一つ。平安時代~鎌倉時代隆盛を極めた瀧山信仰の名残だと思われます。
現在みられる鳥居と違って「そり」がなく、柱もものすごく太く、迫力があります。県外から来た方も、「こんなの見たことない!」と、皆さん感動していただけます。

山形市は全国的に見て災害が少ないと言われますが、日本最古の石鳥居などはまさにそのシンボルなのではないでしょうか。1000年もの間倒れたり風化したりすることなくどっしりと山形を見守ってきたこの石鳥居を市民みんなで大切にしていきたいものです。
位置するのは国道112号線のすぐそばですが、住宅地にありますので見落としがちだと思います。一度行かれることをお勧めします。他に蔵王成沢にも、ほぼ同年代に建立された石鳥居『国指定重要文化財「八幡神社鳥居」』があります。こちらも迫力ある素晴らしい文化財ですのでぜひ訪ねてみてください。

出典 山形市公式サイト

所在地:山形県山形市鳥居ケ丘9-30

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石造明神鳥居(元木の石鳥居) · 〒990-2433 山形県山形市鳥居ケ丘9−30
★★★★☆ · 史跡

八幡神社鳥居

八幡神社鳥居の特徴

この石鳥居は、蔵王成沢の八幡神社境内入口に、南面して立っています。鳥居ヶ丘の石鳥居と同じく凝灰岩製で、総高436cm、柱は径95.5cmの円柱で、礎石の上に直立しています。笠木と島木は1石から成り、貫は島木と同じ長さで、両柱を貫いています。この鳥居は、もとは龍山信仰が盛んになった承久年間(1219~22年)以降、龍山への参道に造立されたもので、のちに八幡神社ができてから、現在地に移転されたことが伝えられています。なお同地の修験三蔵院に、天仁2年(1109年)に、この東方山間のウツボ清水より採石、造立したことを記す文書がありますが、同地には、その採石の跡が残っています。

この和様建築の石鳥居は平安時代末期の造立と推定されます。この石鳥居はその頃に、この東方の龍山に興隆した仏教文化の遺物と考えられています。八幡神社の石鳥居と同様の鳥居は元木地区にも残っていて(小立の鳥居(元木の石鳥居))、ともに日本最古級の石鳥居として、重要文化財に指定されています。この「八幡神社の石鳥居」は、同じく平安時代に造立されたとされる山形市鳥居ケ丘の「小立の鳥居(元木の石鳥居)」と天童市高櫤の「荒谷原の鳥居(清池の石鳥居)」と併せて『最上の三鳥居』の一つに数えられています。

出典 山形県公式サイト

所在地:山形県山形市蔵王成沢116

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八幡神社の石鳥居 · 〒990-2334 山形県山形市蔵王成沢116
★★★★☆ · 神社

水の町屋七日町御殿堰

水の町屋七日町御殿堰の特徴

中心市街地を網の目のように流れている農業用水堰「山形五堰」の一つ「御殿堰」を石積み水路に再生した親水空間と、堰の景観を利用した再開発商業施設

山形はどんな街でしょうか。
蔵王山系より流れる豊富な水によってできた扇状地。「奥羽の驍将」と呼ばれた最上義光の城下町です。その城下町の中心、七日町に山形の新名所が誕生しました。老舗とモダンが混在し、山形の歴史と伝統、そして山形発の最先端の情報が凝縮した癒しの空間です。

時は江戸時代の初め、出羽山形藩初代藩主の最上義光は商工業重視の街づくりを目指し、近江商人や、各地の職人を招き、城の東側を通る羽州街道沿いに城下町を発展させました。それが、商人町の「市日」のつく七日町、十日町、本町などの始まりです。

当時、旅籠町あたりを流れていた馬見ヶ崎川が大雨のたびに何度も氾濫し、被害をもたらし町の発展の妨げとなっていたため、最上義光の後に山形城主になった鳥居忠政が、馬見ヶ崎川の流れを変える大工事を行ったのが今から約400年前の1624年のことです。その際、城のお濠の水源と、城下町の生活用水、町の西側に広がる農村への農業用水の確保のために、馬見ヶ崎の上流域に取水口となる堰をいくつか設け、そこから網の目のように水路を町の中へ作った。それを「山形五堰」とよびます。「山形五堰」は流れる方向により、笹堰、御殿堰、八ヶ郷堰、宮町堰、双月堰とよばれ、江戸、明治、大正、昭和、平成と時の流れを越えて今も人々の生活と共に流れ続けています。

中でも「御殿堰」は城のお濠を満たすために、城を目指して東から西へ、小白川町から、代々の城主ゆかりの寺のある寺町とよばれる今の緑町3丁目あたりを通り、三の丸大手門のすぐ東に位置する七日町を横切って、堀へと注いでいた堰であったことから、「御殿」の名が冠せられています。全長17.5km。作られた当時はすべてお堀に流れ込んでいましたが、時代の移り変わりと共に、庭園への引水、日常用具や野菜の洗水、防火用水としての生活用水として利用され、また製糸業や染物・鰻問屋・養鯉業などの産業用水としても使われてきました。

昭和に入って、水質汚染などの環境破壊もありましたが、上下水道の整備や環境への意識の変化から、最近では水質も改善し、あちこちで昔ながらの石組の間を流れる清らかな水音が復活し、場所によっては、蛍や梅花藻も見られるほどになりました。まさに今、山形市の中心に清らかな「御殿堰」を復元させ、市民の憩いの場、そして商人の町を取り戻そうとしているのです。

出典 やまがたへの旅 七日町御殿堰開発株式会社公式サイト

所在地:山形県山形市七日町2丁目7-6

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水の町屋七日町御殿堰 · 〒990-0042 山形県山形市七日町2丁目7−6 2F
★★★★☆ · 観光名所

成沢城跡(成沢城跡公園)

成沢城跡(成沢城跡公園)の特徴

成沢城は最上氏の庶流である成沢氏の居城として知られています。最上領の南部を守備する支城として機能し、1578年(天正6年)に上山城主・上山満兼が伊達輝宗と結んで最上義光と対峙した「柏木山合戦」の際には最上側の前線基地として機能したと伝えられます。1622年(元和8年)、最上家改易により廃城となりました。現在は成沢城址公園として整備されており、堀が残っています。

出典 攻城団公式サイト

所在地:山形県山形市蔵王成沢

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成沢城跡 · 〒990-2334 山形県山形市蔵王成沢
★★★★☆ · 城

もみじ公園(宝幢寺跡)

もみじ公園(宝幢寺跡)の特徴

この庭園は、真言宗の巨刹宝幢寺(御朱印1370石)の池泉回遊式古庭園です。これまで、元禄初期(1688~)の山形城主松平大和守直矩公(10万石)が、姫の病気平癒祈願のお礼として作庭寄進されたと言伝えられてきました。しかし、最近それを改める資料が発見され、それによると、同寺第二十四世亮辯和上の寛文年間(1661~)松平下総守忠弘公(15万石)が、城内本丸庭園を造り直した際、その余石と吉野のもみじを以て、この庭園も改築し、江戸から招いた幕府庭師と共に、忠弘公自ら石組に手を加え完成させたと言われております。宝幢寺は、明治初期に廃寺となり、寺郭がとり払われました。
山形市は、昭和26年から31年にかけて宝幢寺跡を買収し、本市の都市公園として開設しました。当時から園内にあった既存施設である旧日本書院は、「清風荘」と名づけ中央公民館分館として、市民に開放し利用されていました。その後、昭和54年10月に茶室「宝紅庵」を併設、昭和56年3月には「清風荘」を昔の面影に復元するため全面的改装を行いました。昭和58年から昭和59年にかけ庭園の大規模な修復工事を実施して閑雅な池泉回遊式庭園として当時の姿に再生いたしました。現在山形市の数少ない名園として文化的行事などに広く利用されています。

出典 山形市公式サイト

所在地:山形県山形市東原町2丁目16-7

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もみじ公園 · 〒990-0034 山形県山形市東原町2丁目16−7
★★★★☆ · 公園

蔵王温泉

温泉街とロープウェイ【山形蔵王観光】大人の観光旅行ー山形県蔵王温泉

蔵王温泉の特徴

豊富な湯量と強酸性の硫黄泉が特徴の蔵王温泉。温泉街のそこかしこに湯気が立ち上り、多くの旅館やホテルが建ち並びます。硫黄泉には殺菌作用や皮膚を強くする作用があるとされ、「美肌の湯」「美人づくりの湯」とも呼ばれます。そんな名湯を気軽に楽しめるのが、蔵王温泉共同浴場。「上湯」「下湯」「川原湯」という3つの共同浴場は、それぞれが徒歩3分圏内という近さなので、湯めぐりするのにも便利です。蔵王で人気の観光といえば、やはり「蔵王連峰」(宮城県・山形県境)の山岳観光。国定公園にもなっており、なかでも火口湖「蔵王の御釜」(宮城県川崎町・蔵王町)は、神秘的な美しさをたたえる、夏の蔵王の代表的な景観です。冬の蔵王の魅力的は、なんといっても、東北最大級の規模を誇るほこる「蔵王温泉スキー場」と、スノーモンスターと呼ばれる「蔵王の樹氷」。「蔵王の樹氷」のピークは1月~2月で、蔵王連峰の地蔵岳山頂付近で見ることができます。スキーやスノーボードをしなくても、「蔵王ロープウェイ」に乗れば樹氷の観賞を楽しむことができ、「樹氷ライトアップ」などのイベントも行われます。昼の「スノーアクティビティ」+夜の「樹氷ライトアップ」+温泉旅館・ホテル宿泊が、冬の蔵王温泉を最も満喫できるおすすめプランです。

蔵王温泉は、開湯は1900年前、日本武尊の東征の際、従軍した吉備多賀由により発見されました。江戸時代になると、蔵王権現への西側登山口としてにぎわい、早くも総合リゾートとしての様相を呈しています。
大正時代には麓の集落と温泉を結ぶ道路の開通や、街灯、駐在所など様々な施設が設置され、観光地としての足がかりを築きはじめました。
昭和に入るとスキー場もオープンし、それに伴い、ロープウェイ等設置、観光道路開通など、ますます観光地としての蔵王を確立しました。
それらに並行し、古くからの旅館に加え、ホテル・ペンション・民宿等も相次いで開業。東北最大級の総合マウンテンリゾートとして発展しています。

蔵王温泉は強酸性の硫黄泉です。 硫黄泉には、体内のムコ多糖タンパクを活性化させる働きがあり、体内水分量を増加させ、肌と血管を若返らせるとされています。
また、血行促進効果に加え、硫黄泉には表皮の殺菌作用や皮膚を強くする作用があり、「美肌」も促進!
お肌・血管の若返りと殺菌・美肌効果は、まさに「美人づくりの湯」!!

蔵王温泉の温泉街には3つの共同浴場、3つの足湯、5つの日帰り温泉施設があり、宿泊のお客様だけでなく、どなたでも蔵王のお湯を楽しむことができます。 白濁したお湯や、全国でも珍しい足下から湧き出るお風呂など、それぞれに特色のあるお風呂を堪能する、贅沢な湯めぐりをお楽しみください。

出典 やまがたへの旅 蔵王温泉観光協会公式サイト

所在地:山形県山形市

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蔵王温泉 · 〒990-2301 山形県山形市
〒990-2301 山形県山形市

蔵王連峰

日本百名山 蔵王山登山 三宝荒神山→地蔵山→熊野岳→刈田岳

蔵王連峰の特徴

熊野岳(山形県上山市)を最高峰とする蔵王連峰は、「蔵王国定公園」の一部にもなっています。国土地理院の地図表記等には「蔵王山(ざおうざん・ざおうさん)」と表されており、これにあわせ、気象庁も火山名を「蔵王山(ざおうざん・ざおうさん)」としています。宮城・山形両県にまたがり、宮城県側を「宮城蔵王」、山形県側を「山形蔵王」などと表現することもあります。火口湖である「御釜(おかま)」(宮城県川崎町・蔵王町)は、蔵王のシンボル的存在。晴れた日は、湖面がエメラルドグリーンに輝き、神秘的な雰囲気に包まれます。「御釜」までのアクセス道路となる「蔵王エコーライン」「蔵王ハイライン」は、11月初旬から4月下旬頃まで冬期間通行止となりますが、開通後の春には雪の回廊をドライブすることができます。

出典 やまがたへの旅

所在地:山形県

地図↓

蔵王連峰 · 〒999-3113 山形県上山市蔵王
★★★★☆ · 山頂

蔵王国定公園

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蔵王国定公園の特徴

奥羽山脈の中にあり、面白山一帯の火山郡及び蔵王連峰一帯を中心とする自然公園。

出典 やまがたへの旅

所在地:山形県山形市蔵王温泉

地図↓

蔵王国定公園 · 〒990-2301 山形県山形市蔵王温泉
★★★★★ · 国の公園

山形蔵王温泉スキー場

山形蔵王温泉スキー場の特徴

雪質抜群!爽快な滑走が楽しめるパウダースノー。
豊富な降雪!安定したゲレンデコンディション。
自然の地形を活かし変化に富んだゲレンデ・コース。
初心者から上級者まで安心安全!
全てのお客様を満足させる東北最大級スノーエリア!樹氷の素晴らしさで知られたスキー場。複雑な地形を生かして作られたコースは、中級者がツアー的に楽しむのに適している。千年以上も続くといわれる名湯も魅力である。

出典 SURF&SNOW HOME 山形蔵王温泉スキー場公式サイト

所在地:山形市蔵王温泉土合709-1

地図↓

蔵王温泉スキー場 · 〒990-2301 山形県山形市蔵王温泉
★★★★☆ · スキー場

第二公園

第二公園の特徴

市長のやまがた自慢「第二公園のSL」

山形市十日町の第二公園に展示されている蒸気機関車(SL)が注目を集めています。
そのきっかけは、現在日本のみならず世界でも大人気の漫画・アニメ「鬼滅の刃」です。映画化された「無限列車編」に出てくる蒸気機関車のモデルが第二公園のSLと同型であり、そのことから、多数のメディアに取り上げられ、家族連れで見に来たり、漫画の登場人物のコスプレ姿で写真撮影を行う方も出てきています。
このSLはもともと昭和44年(1969年)、山形市制施行80周年記念として、当時の日本国有鉄道(現JR)より山形市に無償貸与され、現在に至っています。通称「ハチロク」と呼ばれる8620形というタイプで、大正12年に製造されたものです。
また、第二公園にはもともと藤棚がありますが、「鬼滅の刃」においては、藤の花は鬼が嫌って近寄れない結界のような存在という重要な設定もあります。こうした偶然に驚くとともに、大ヒット作品をきっかけに再び注目を集めている第二公園へ多くの方々にお越しいただきたいと思っています。
山形市では現在、このSLのライトアップを行うとともに、藤棚では藤色のLED照明による装飾をしています。ぜひ鬼滅の刃の登場人物に思いをはせながら記念撮影などを楽しんでください。

出典 山形市公式サイト

所在地:山形県山形市十日町4丁目1

地図↓

第二公園 · 〒990-0031 山形県山形市十日町4丁目1
★★★★☆ · 公園

山形花笠まつり

山形花笠まつりの特徴

蔵王開山1,250年にあたる昭和38年(1963年)、山形県、山形市、山形新聞社、山形商工会議所などが中心となり、蔵王の観光開発とPRを目的に「蔵王夏まつり」が開催されました。
『山形花笠まつり』は「花笠音頭大パレード」として、この「蔵王夏まつり」のイベントの一つでしたが、昭和40年(1965年)からは単独の『山形花笠まつり』として行う現在の形となりました。
昭和45年(1970年)に開催された大阪万博にて、日本を代表する民俗芸能の一つとして花笠踊りを披露したことから、『山形花笠まつり』の知名度が全国に広がりました。
平成5年(1993年)からは山形新聞社にあったまつりの事務局が、山形商工会議所に移り、会社などの企業がおもだった参加団体も、学校や愛好会などの参加者が増加し、より市民参加型のまつりへと変化していきました。
いまでは3日間で踊り手が1万人を超え、多くの観客を集める大きなまつりとなり、東北を代表する夏まつりの一つとして全国的に親しまれるまつりへと成長しました。

出典 山形県花笠協議会公式サイト

場所:山形県山形市本町1丁目7-7 国道112号線

地図↓

山形花笠まつり · 〒990-0043 山形県山形市本町1丁目7−7 国道112号線
★★★★☆ · 祭典

ほかにもある、山形市の魅力!

立石寺中堂(根本中堂)(重要文化財-建造物)
立石寺三重小塔(重要文化財-建造物)
木造薬師如来坐像(重要文化財-彫刻)
天養元年如法経所碑(重要文化財-考古資料)
木造慈覚大師頭部・木棺(重要文化財-彫刻定)
旧済生館本館(重要文化財-建造物)
旧山形師範学校本館(重要文化財-建造物)
山形県旧県庁舎及び県会議事堂(重要文化財-建造物)
旧松應寺観音堂(重要文化財-建造物)
嶋遺跡(史跡)
紙本淡彩奥の細道図 与謝蕪村筆(重要文化財-絵画)
光明寺
紙本著色遊行上人絵 伝狩野宗秀筆(重要文化財-絵画)
吉祥院
木造観世音菩薩立像(重要文化財-彫刻)
宝積院
木造十一面観音立像(重要文化財-彫刻)
慈光明院
金銅装笈(重要文化財-工芸品)
紙本墨書東大寺庄園文書目録残巻(重要文化財-書跡定)
紙本墨書華厳孔目章発悟記(重要文化財-書跡)
山形大学
中条家文書(重要文化財-古文書)
薬師祭植木市
5月8日~10日に市内薬師寺周辺で行われる。全国三大植木市に数えられている。
初市
1月10日に、市内七日町大通り(十日町から七日町)で行われる。縁起物の市が立ち賑わう。
蔵王樹氷まつり
蔵王龍岩祭
夏の蔵王で3日間行われる日本最大級の入場無料のロックフェスティバル。
山形国際ドキュメンタリー映画祭
世界中のドキュメンタリー映画作家やフィルムが集うドキュメンタリー映画の祭典。隔年で例年秋ごろに開かれる。
日本一の芋煮会フェスティバル
山形では秋になると、各地の河原でグループによる芋煮会が行われるが、そのシーズンの先駆けとして、毎年9月の第1日曜に馬見ヶ崎河川敷で開催される。6メートルの大鍋に約3万食の芋煮が作られる。
豊烈神社例大祭
毎年10月6日の行われる例大祭では、豊烈神社に伝わる、日本に残る3つの打毬の一つが奉納される。
山形大花火大会
例年8月14日に行われる夏の花火大会。打ち上げ数は約2万発。須川河畔の反田橋周辺を会場に行われる。
山形交響楽団
山形市を本拠地として活動するプロ・オーケストラ。山形市を中心に東北六県と新潟などで活動している。
スポーツ山形21
山形市をホームタウンとするJリーグに加盟するモンテディオ山形(1991年に本拠地を山形市に移転、他に鶴岡市や天童市など全県をホームとしている。)や、女子駅伝部の運営をしている。
スポーツチーム
モンテディオ山形(サッカー、Jリーグ)
パスラボ山形ワイヴァンズ(バスケットボール、B.LEAGUE)
山形銀行ライヤーズ(バスケットボール、実業団)
きらやか銀行硬式野球部(社会人野球) – きらやか銀行が保有する企業チーム。


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山形市出身、ゆかりの有名人

会田勇人(お笑い芸人、「カリマンタン」のツッコミ担当)
朝倉さや(シンガーソングライター・民謡歌手)
阿曽山大噴火(お笑い芸人)
安孫子充裕(短距離走選手)
阿部彦吉(発明家)
阿部吉雄(中国哲学者)
阿部義晴(UNICORN・ミュージシャン・音楽プロデューサー)
粟野学(銀行家)
飯野正光(医学者)
五十嵐佳子(作家、ライター)
池田敏子(評論家、池田書店創業者)
石沢綾子(アナウンサー)
石澤智幸(タレント、テツandトモ)
板垣公一(アマチュア天文家)
板垣吉則(騎手)
伊東秀人(スキーヤー)
牛嶋俊明(アナウンサー、岡山エフエム放送DJ)
遠藤敦子(アナウンサー)
遠藤綾 (声優)
遠藤幸吉(柔道家)
大江香織(プロゴルファー)
大江和美(気象予報士)
大神雄子(バスケットボール選手)
大沼保吉(政治家)
大沼義之助(実業家)
岡崎英生(漫画家・ライター)
大宮登(社会学者)
岡崎由紀子(脚本家)
奥山清行(インダストリアルデザイナー)
小山田健一(プロ野球選手)
加藤条治(スピードスケート選手)
加藤典洋(文芸評論家)
金井たつお(漫画家)
叶内紀雄(銀行家)
鹿野道彦(政治家)
川井巌(軍人)
河合単(漫画家)
城戸口静(漫画家)
工藤あやの(歌手)
栗原祐樹(サッカー選手)
黒須聡瑛(アナウンサー)
齋藤弘(政治家)
斎藤了(プロレスラー)
蔵玉錦敏正(大相撲力士)
佐久間聡一(ヴァイオリニスト)
桜井浜江(洋画家)
笹原正三(アマチュアレスリング選手)
佐竹十喜雄(牧師)
佐藤彰(牧師)
佐藤優(アナウンサー)
柴田徹(アナウンサー)
釈迦ヶ嶽庄太郎(元力士)
庄司七瀬(元新体操選手)
新海竹太郎(彫刻家)
神保光太郎(詩人)
菅井直樹(元サッカー選手)
菅野矢一(洋画家)
須藤満(ベーシスト)
制野秀一(漫画家)
斯波正樹(スノーボードアルペン選手、平昌五輪日本代表)
高野和隆(サッカー選手)
高橋和人(バレーボール選手)
高橋敬典(金工家)
高橋みゆき(元バレーボール選手)
高山岩男(哲学者)
武田直人(声優)
武田祐子(元フジテレビアナウンサー)
多田省吾(政治家)
田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
棚橋光男(歴史学者)
谷村昌彦(俳優)
千秋幸雄(アナウンサー)
千葉オライリー(と無法の世界)(THE BOHEMIANS・ドラム)
塚原繁美(フリーアナウンサー)
土居聖真(サッカー選手)
土井武夫(航空機設計者)
長岡弘樹(小説家)
成山哲郎(合気道家)
錦三郎(エッセイスト、歌人)
似鳥康太(サッカー選手)
丹羽厚悦(銀行家)
芳賀道也(アナウンサー)
橋本マナミ(女優)
服部公一(作曲家)
服部敬雄(実業家)
花輪公雄(海洋科学者)
早坂文嶺(絵師)
平田ぱんだ(THE BOHEMIANS・ボーカル)
古池雄(アナウンサー)
星川ドントレットミーダウン(THE BOHEMIANS・ベース)
ぺえ(タレント)
真壁仁(詩人)
松永直子(アナウンサー)
三浦新七(経済史学者)
三浦昌朗(お笑い芸人)
無着成恭(教育者)
村井守(テレビプロデューサー)
本沢竹雲(漢学者)
三浦里佳子(水球選手)
最上義光(戦国武将)
山澤進(実業家)
結城晃一郎(アナウンサー)
吉田司(作家)
吉田敏明(バレーボール指導者)
吉田菜穂(アナウンサー)
和田正義(プロゴルファー)
渡辺えり(劇作家・演出家・女優)
渡部峻(アナウンサー)
渡邊岳已(映画監督)


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山形市の名物、名店、グルメ、お土産、ブランド品

芋煮

芋煮の特徴

「芋煮」の発祥は古く、1600年代半ばともいわれている。当時、最上川舟運の終点だったといわれる中山町長崎付近は、上方から酒田経由で運ばれてきた荷物の引取がおこなわれる場所だった。しかし、当時は舟が到着したことを知らせる通信手段がなかったため、舟の船頭たちは荷受人が現れるまで何日も待たされることがあり、退屈をしのぐために河原で鍋を囲んで宴を開いていたという。船着場の近くに里芋の名産地・小塩集落があったため、手に入れた里芋と積み荷の棒ダラなどを鍋で煮て食べていたそう。それが現在の「芋煮」のルーツとされる。牛肉を使うようになったのは、昭和のはじめごろからといわれる。
「芋煮」は地域によって味付けや具材の種類が異なる。特に、日本海に面した庄内地域の「芋煮」は特徴があり、内陸部の「芋煮」の風習が庄内地域に伝わった際、養豚業が盛んな地域のため、肉は豚肉、味付けは豚肉に合う味噌味に定着したのではないかといわれている。

「芋煮」は里芋の収穫期の秋から冬によく食べられている郷土料理の一つ。「芋煮会」といって河原に鍋や材料を持込み、家族や友人などと一緒につくったり、運動会や地域行事の後などに野外でつくったりするほか、各家庭でもつくり食べられている。山形県では、「芋煮会」は新年会や忘年会と並ぶ年間行事の一つであり、「芋煮」は県民の団らんに欠かせない郷土料理である。この時期になるとスーパーマーケットやコンビニエンスストアでも「芋煮」に使う食材が販売されており、芋煮会用の鍋や薪やゴザがセットになったレンタルも当たり前となっている。

出典 農林水産省公式サイト

通販でお取り寄せ出来る芋煮

玉コンニャク

玉コンニャクの特徴

「玉こんにゃく」は”玉こん”の愛称で親しまれている山形県民のソウルフードである。その名のとおり、3cm程度の球状のこんにゃくで、観光地や催事場などで串に刺した状態で販売されている。板こんにゃくや糸こんにゃくは全国的に普及しているが、「玉こんにゃく」は山形県ならではの食文化である。「玉こんにゃく」の発祥は、昭和元年(1926年)に創業した「千歳山」のふもとにあるこんにゃく専門店「千歳山こんにゃく」だといいわれている。
こんにゃくと縁が深いのが、山形市にある「宝珠山立石寺(ほうじゅさん りっしゃくじ)」、通称「山寺」である。平安時代に創設された寺院で、開山した慈覚大師(円仁和尚)が中国から持ち帰ったこんにゃくを寺の精進料理に使いはじめ、それが周辺住民にも普及。やがて、県内一帯にこんにゃくが広がっていったと伝わる。
現在、山寺の周辺の飲食店や出店では「玉こんにゃく」を販売。寺の本殿に行くためには、1015段ある階段を登らないといけないため、その前に食べる「力こんにゃく」として観光客から人気を集めている。

基本的には祭りや観光地、花見、イベントなど販売されており、ファストフード感覚で食べることが多い。スーパーマーケットや商店には味付け前の「玉こんにゃく」が大袋入りや小袋サイズなどさまざま売られており、一般家庭でもつくられている。
1年中食べられているが、寒い時期のほうが温かい「玉こんにゃく」をより美味しく感じることができる。

出典 農林水産省公式サイト

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納豆汁

納豆汁の特徴

山形県では、食材が不足する冬を乗り越えるための保存食として、納豆を自家製するのが珍しくなかった。煮た大豆をわらでつくった筒に詰め、こたつの脇などの温かいところに一晩から二晩おいて納豆をつくっていた。大江町村山地域では、糸の引かない納豆は「納豆汁」に仕立てたという。
「納豆汁」は、山形県で古くから親しまれている冬の家庭料理。納豆をすり鉢で粒が見えなくなるまでよくすりつぶしてとろみをつけ、汁に馴染ませるのが特徴。からとり芋の茎を干してつくる「いもがら」は、「納豆汁」に欠かせない食材。干物や塩蔵品などの保存食とともに、豆腐や油揚げなどもたっぷり入った貴重なタンパク源だった。
また、村山地域では七草の時期に、最上地域では正月に、庄内地域では「大黒様のお歳夜(おとしや)」などに食べられることもある。

「納豆汁」は納豆のとろみで冷めにくく、寒い冬に、体を温める汁物として各家庭でつくり、食べられてきた。
雪深い地域では早春に七草を揃えることができないため、七草の時期には、干物や保存食を利用してつくったこの「納豆汁」を食べて、1年間の無病息災を祈る習慣がある。また、最上地域では元旦や1月3日に、庄内地域では12月9日の大黒様が妻を迎える夜とされている「大黒様のお歳夜」や大晦日に食べることもある。「大黒様のお歳夜」では、ほかに豆炒りや米炒り、まっか大根(二股になった大根)を供えるとともに、豆と大根を使った料理を並べて豊作と子孫繁栄を祝う。

すりつぶす納豆の粗さは家庭によって異なるが、一見して納豆が入っていないくらいていねいにつぶすことが多い。すりつぶすことで、汁に馴染みやすく、口当たりがなめらかになる。また、かき回しすぎると粘りが出て滑りやすくなり、すりつぶすのが難しくなるため、豆一つ一つをつぶすようにするのが調理のコツ。
いもがらはお湯で戻して、水でアク抜きをしてから使う。すりつぶした納豆を入れる際は、すり鉢で味噌と合わせ、汁でのばして加えることで、混ぜやすくなる。味噌や納豆を加えたらあまり煮過ぎないほうが良い。

出典 農林水産省公式サイト

だし

だしの特徴

野菜を生のまま手軽に食べられる夏の山形県の定番料理。山々に囲まれ夏は高温多湿で非常に暑さが厳しい村山地域を中心に食べられてきたといわれており、現在でも地元の人々の生活に定着している一品。暑さで食欲がなくなる時期に、きゅうりやなすなど水分を多く含む夏野菜と青じそやみょうがなどの香味野菜を刻んで和え、味付けしたのが「だし」。昔から農繁期のスピード料理としても親しまれてきた。
「だし」という名前の由来は、出汁のようにほかの食材を引き立てる事から「だし」となった説や、包丁で野菜を細かく切り“出す”ことから「だし」となった説、また、野菜を刻んで味付けしただけで手早く食卓に“出す”ことから「だし」となったなど、諸説ある。
「だし」のレシピは“100軒の家があれば100種類の味”があるといわれていて、非常に多彩なのが面白いところ。基本の具材はなす、きゅうりだが、そこに青じそやみょうが、ねぎを入れたり、玉ねぎを加える家庭もある。また山芋やオクラ、納豆昆布(刻み昆布)などを混ぜてねばりを出すことも。調味料は醤油が基本だが、めんつゆや出汁入り醤油を使ったりもする。

新鮮な夏野菜を細かく刻んでつくった「だし」は、ごはんにのせるほか、冷奴にのせたり、そうめんやそばのつゆに薬味として入れたりと、食べ方は多種多様である。飲食店では「だしパスタ」や「だしピザ」、カルパッチョに「だし」をのせるなどアレンジメニューを提供するところも珍しくない。子ども向けにはとうもろこしや枝豆を入れると好評である。酒の肴にそのまま食べることもある。

出典 農林水産省公式サイト

通販でお取り寄せ出来るだし

青菜漬

青菜漬の特徴

多様な漬物文化が残る山形県。「青菜漬」は高菜の一種「山形青菜」を使った漬物で、「おみ漬」とともに山形県を代表する漬物の一つである。
青菜は明治37年(1904年)に中国の重慶から入ってきたといわれる品種で、山形県では明治41年(1908年)奈良県から種子を入れ、農事試験場で試作。その結果従来の漬け菜としていた体菜、山東菜、芭蕉菜などよりも品質が優れていることが判明し、山形青菜の栽培を開始した(『北国の野菜風土誌』青葉高)。大正初期から採種できるようになり、昭和に入り、栽培地域が村山地域から県内一円に広がった。
山形青菜は、1株500g、丈が70cmから80cmと大きく幅広い葉と肉厚の茎が特徴。シャキシャキした歯ざわりと独特の辛味を持つ。「青菜漬」は主に、冬の間の保存食として発展した食べ方で、山形青菜を軽く天日干しして、塩で漬け込んでから一度ていねいに水洗いし、醤油、昆布、カツオ節などでつくる漬けダレで本漬けにする。
収穫は10月下旬から11月中旬ごろで収穫後一度天日干しにするため、家庭の庭先などで山形青菜を干してある風景や漬物を仕込む風景は、初冬の風物詩にもなっている。

山形青菜の収穫は10月下旬から11月中旬ごろ。「青菜漬」は、山形のふるさとの味として、家庭により秘伝の味で受け継がれており、昔は大きな漬物桶にたくさん漬け込み、春先まで食べられていた。正月の席にも欠かせない料理。いまでも山形青菜を栽培している家庭では「青菜漬」をつくっているが、一般家庭では、スーパーマーケットなどで購入することが多い。

青菜漬は、なんといっても独特の辛味とシャキッとした歯ざわりが特徴で、炊き立ての白いごはんに合わせればいくらでも食べられ、お茶うけとしても親しまれている。庄内地域には、味噌を塗った丸いおにぎりに「青菜漬」を巻いて、焼き網で軽く焦げ目がつく程度に焼いた「弁慶めし」という郷土料理もある。また、春先にべっこう色になり少々酸味を帯びた「青菜漬」は、炒め煮にして食べるところもある。

出典 農林水産省公式サイト

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おみ漬

おみ漬の特徴

多様な漬物文化が残る山形県。「おみ漬」は高菜の一種「山形青菜(せいさい)」を使った漬物で、「青菜漬」とともに山形県を代表する漬物の一つである。
青菜は明治37年(1904年)に中国の重慶から入ってきたといわれる品種で、山形県では明治41年(1908年)奈良県から種子を入れ、農事試験場で試作。その結果従来の漬け菜としていた体菜、山東菜、芭蕉菜などよりも品質が優れていることが判明し、山形青菜の栽培を開始した(『北国の野菜風土誌』青葉高)。大正初期から採種できるようになり、昭和に入り、栽培地域が村山地域から県内一円に広がった。
山形青菜は一株が500g程度、丈が70cmから80cmにもなり、大きい野菜。「青菜漬」は肉厚の茎の部分を珍重して食べることが多く、葉先は捨ててしまうこともあったため、もったいないと近江出身の商人が刻んで漬物にしたことから、「近江漬」が転化して「おみ漬」になったといわれている(ほかにも名前の由来は、刻んだ野菜を揉んで漬けることから「もみ漬」が「おみ漬」になったという説など諸説ある)。
このように「おみ漬」は、余った野菜をすべて使い切るための知恵として発展してきた料理ともいわれており、使う野菜の種類に限りはなく、「山形青菜」に限らず余った野菜をなんでも細かく刻んで漬けていた。

山形青菜が収穫されるのは10月下旬から11月中旬にかけて。大きいもので、一株の丈が70cmから80cmにもなる。「おみ漬」は、正月の席でも食べられている。
山形青菜のシーズンを迎えると、わりと手軽につくれる「おみ漬」をつくる家庭も少なくない。

山形青菜を中心に、大根、人参などの旬の野菜を一緒に刻んで、しばらく塩漬けにしてから食べる。ごはんと一緒に食べるのはもちろん、おにぎりの具やお茶漬け、チャーハンの具などさまざまな用途に活用できる常備菜といえる。
近ごろは、山形青菜の間引き菜を使ってつくられることもあり、山形を代表する冬の漬物「青菜漬」が出回る前に食べられたりもする。

出典 農林水産省公式サイト

通販でお取り寄せ出来るおみ漬

どんどん焼き

どんどん焼きの特徴

「どんどん焼」とは、小麦の生地に海苔・青海苔・魚肉ソーセージなどを乗せ、焼いたところを割りばしで巻き、ソースなどを塗った食べ物です。
戦前に太鼓をドンドンと鳴らしながら売り歩いたのが名前の由来で、近年では山形の祭りやイベントの出店などでよく見かけます。
もっちりとした生地に酸味がやや強いどんどん焼専用ソースをたっぷりからめてお召し上がりください。
どこか懐かしい味が口の中に広がります。

出典 清川屋公式サイト

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冷やしラーメン

冷やしラーメンの特徴

冷やしラーメンとは山形の郷土料理で、その名の通り冷たいラーメン。麺もスープもひんやり冷たく、氷入りで提供されることも多いのです。
冷やし中華との異なる点は、通常のラーメンと同様に器にたっぷりのスープに麺が浸されているところ。スープは醤油味が一般的で、冷やし中華ほどの酸味がないのも特徴と言われています。

つまり、その名の通りの冷たいラーメン!それが山形ご当地グルメ“冷やしラーメン”です!

出典 favy[ファビー] 公式サイト

通販でお取り寄せ出来る冷やしラーメン

すっぽこうどん

すっぽこうどんの特徴

主に山形市内のそば店で提供されている伝統料理「すっぽこ」。うどんにたくさんの具材とあんをかけた料理で、「ちょっと高価な麺料理」として愛されているが、現在は下火になっている。ラーメン消費額日本一に返り咲き、同市民の“麺愛”が全国で注目される中、同じ麺料理の「すっぽこ」を見直そうと、同市福祉文化センターで、講座が開かれ、市内在住の研究家が歴史などを語った。

講師を務めたのはインターネットサイトで「すっぽこ研究所」を運営する建築写真家長岡信也さん(64)=山形市。偶然、店で目にしたメニュー表に興味を持ち、2005年から独自に調査を重ねてきたという。長岡さんによると、「すっぽこ」は同市内の「商家の旦那衆に愛された高級品だった」とし、煮こんだ具材をうどんにかける香川県や関西、東京の「しっぽくうどん」や滋賀県ののっぺいうどん(あんかけうどん)などの流れをくんでいる可能性があることを示した。

山形市内では近江商人の末裔(まつえい)が残る旧市街地の店で多く提供されていたとし、「紅花商いで土着した近江商人が古里を懐かしみ、出入りのそば屋に作らせたのではないだろうか」と展望した。「すっぽこ」との名は「『しっぽくうどん』の由来とされる長崎県の「卓袱(しっぽく)料理」が起源となっているのでは」とも語った。

時代の流れからラーメンが台頭してくると、調理に手間がかかることなどがネックとなり、次第に店のメニュー表から消え、現在、提供している店は数えるほどになったという。

長岡さんは「山形の冬の風物詩としてすっぽこが存続し続けるためにも、食べに行ってくれたらうれしい。もっと、すっぽこを楽しんで」と呼びかけた。

出典 山形新聞社公式サイト

エンドーのげそ天

エンドーのげそ天の特徴

山形市の住宅街にあるスーパー。午前10時の開店と同時に、続々と客が入っていきます。総菜や果物、調味料などが売られている店内。店内の一角に設けられたイートインのコーナーで客が注文していたのが、この店手作りの“げそ天”です。
作っているのは、このスーパーの店主、遠藤英則さんです。6年前から販売を始め、いまでは店の名物となっています。
この店は、昭和40年創業。地元の野菜や鮮魚などを販売する食品スーパーとして、遠藤さんの父親が開業しました。東京の飲食店で働いていた遠藤さん。結婚を機に山形に戻ってきて、13年前に店を継ぎました。当時、大手スーパーに客をとられ、売り上げは激減。店の半分のスペースを閉めて、なんとか営業している状況でした。
生き残りをかけて模索する中、遠藤さんが目をつけたのが、そばのトッピングとして定番のげそ天でした。スーパーの主力商品として売り出すことで、人を呼び込む起爆剤にしようと考えたのです。
あげるときに使っているのは米油。サクサクとした食感に仕上げています。
冷めてもイカがかたくならない工夫も。味のバリエーションを増やすことで、おやつやおつまみとしても楽しめるようにしました。わさびやキムチなど、11種類を取りそろえていて、テイクアウトもできます。
さらに、げそ天にちなんだキャラクターまで作り、グッズも販売。次第にSNSや口コミで話題を集めるようになり、店内は、県内外から訪れる客でにぎわうようになりました。げそ天をきっかけに、総菜や鮮魚などの売り上げが伸び、業績はV字回復しました。

こうした取り組みを通して、遠藤さんのスーパーは、暮らしや社会を豊かにするすぐれたデザインや取り組みを表彰する「グッドデザイン賞」の金賞に選ばれました。効果的な販売戦略で人を呼び込み、地域活性化にも貢献している点が評価されたのです。
げそ天を名物にしたことで人を呼び込むことに成功した遠藤さん。地域に根ざしたスーパーとして、これからもこの場所で、訪れた人たちを笑顔にしたいと考えています。

出典 NHK公式サイト

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山形県のこと、もっと知りたい!

山形県は素敵!

山形市
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鶴岡市
酒田市
新庄市
寒河江市
上山市
村山市
長井市
天童市
東根市
尾花沢市
南陽市
東村山郡
山辺町
中山町
西村山郡
河北町
西川町
朝日町
大江町
北村山郡
大石田町
最上郡
金山町
最上町
舟形町
真室川町
大蔵村
鮭川村
戸沢村
東置賜郡
高畠町
川西町
西置賜郡
小国町
白鷹町
飯豊町
東田川郡
三川町
庄内町
飽海郡
遊佐町

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