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埼玉県深谷市はこんなに素敵なところ!
渋沢栄一 旧渋沢邸「中の家」、瀧宮神社、誠之堂、清風亭、鐘撞堂山ふるさとの森..
こちらでは埼玉県深谷市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、公園、神社、お寺などのパワースポット、文化遺産、歴史遺産、美術館、博物館、歴史的建造物、モダン建築などの特徴と魅力を動画、画像とともにご紹介します。
深谷市の名所、人気の観光スポット、観光地、美しい自然景観、絶景、神社、お寺、美術館、文化遺産、歴史遺産、歴史的建造物

ねえねえボンゾくん、埼玉県の深谷市ってどんなところなの?おすすめの名所や人気の観光スポット、素敵な場所を教えてくれる?

深谷市には素敵なところがたくさんあるよ! 渋沢栄一 旧渋沢邸「中の家」、瀧宮神社、誠之堂、清風亭、鐘撞堂山ふるさとの森なんかがおすすめだね。それじゃあ一緒に深谷市のこと、詳しく調べてみようね!
深谷市のおすすめグルメ、美味しいもの、お土産をこちらの記事で紹介しています。
瀧宮神社
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瀧宮神社の特徴
ご神徳
五穀豊穣をはじめ幸々を授け給うことから、家内安全・家運繁栄・起業成就・縁結び 合格・学業成就、身体健全、心願成就ほか安産、 初宮参り・七五三参り等の人生儀礼の 幸福を招く御神徳と 森羅万象は九星気学の運行によって定まるとされていることから、 深谷城の裏鬼門を守護する神として崇敬され、城を満たした神水の霊力から悪事災難を防ぎ止める神様と仰がれ方位・方災除け(八方除) ・厄除け・交通安全・業務安全・病気平癒などの 災いを除ける御神徳が挙げられます。 このような事から瀧宮大明神(たきのみやだいみょうじん) と称えまつる広大無辺なる御神徳によって「災いを転じて福となす」との信仰が、ここにあるわけであります。
ご由緒
深谷市の中心地は南を流れる荒川、そして櫛引台地と北の利根川・小山川によって形つくられた妻沼低地からなっています。 ここ瀧宮の地は台地と低地の境目に位置し、秩父山地に降る雨は荒川の流れとなって流れ来て、 台地の地下深くに浸透し湧き水となって台地の北端にあるこの地に現れ、 大昔から人々が生活を営む場所として大事にされてきました。そうした痕跡が土器や住居跡として掘り出されました。
境内の池はその時代から続く湧水の一つで、豊かな湧水は人畜の飲料に、また田畑を潤す用水にと使用され、 多くの幸を授ける源を神様から戴いた清浄な地として、渾々と湧き出る神水は唐沢川の谷に流れ落つるが如く瀧に因んでか、 いつしか「瀧の宮」と称して神社を祀りました。
太陽の恵みを体現された日の大神様の天照大御神、太陽の恵みを地上に活かして幸を授け給う豊受大御神、 海・山・里の幸々を授けて下さる山幸彦の名で知られる彦火火出見尊の神様をこの地に祀り、以来ここに暮らす 代々の人々は神々への感謝と豊穣への祈りお祭りごとを受け伝え、明治までは瀧宮山正覚寺が別当として祭祀を預かっていました。深谷の地が関東地方を経営する上で大切な処と悟った上杉氏は康正二年(一四五六)深谷城を築くと城の西南に位置する瀧宮神社を坤門(裏鬼門)の守護神として崇敬すると共に、 この湧水を城のお堀に引き込み用い、領国安寧の御神徳を歴代の城主は願い深く信仰し崇敬の誠を捧げてきました。
寛永十一年(一六三四)太平の世になると深谷城は廃されましたが、深谷は主要街道の一つ「中山道」の宿場町として栄え、 当社は仲町・本町・西島の鎮守「瀧宮大明神(たきのみやだいみょうじん)」或いは「大神宮瀧宮(だいじんぐうたきのみや)」 として心の拠り所とされてきましたが、明神様へ寄せる敬神の思いは脈々と今に続いております。
開発が進む深谷市の中心街にあり太古の昔から営々と湧き出ずる真清水(御霊水)は人々の生活と心を潤し、 森を育み特に桜の名所として沿線の住民の憩いの場として親しまれ、「埼玉の自然一〇〇選」に続き「深谷新八景」に選定されましたことは、 大神様の御神意によれるところであります。尚昨今でもこの御霊水は「お水取り」と称し、多くの方々が汲んで参ります。 このように氏子を始め、多くの皆様方がお寄せいただく御崇敬により当社の御神威が弥増し社頭が栄えることは誠にめでたきことであります。場所:JR高崎線 深谷駅南口より徒歩1分
出典 瀧宮神社公式サイト
所在地:埼玉県深谷市西島5丁目6-1
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渋沢栄一 旧渋沢邸「中の家」
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渋沢栄一 旧渋沢邸「中の家」の特徴
旧渋沢邸「中の家(なかんち)」主屋は、渋沢栄一生誕地に、栄一の妹夫妻が明治28年上棟した建物です。渋沢栄一が帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所です。
渋沢家の住宅として使われていましたが、昭和60年より「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され多くの外国人留学生が学びました。平成12年の同法人解散に伴い深谷市に帰属しました。
県指定旧跡「渋沢栄一生地」、市指定史跡。
出典 渋沢栄一記念館公式サイト
所在地:埼玉県深谷市血洗島247-1
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渋沢栄一について
「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一は、天保11(1840)年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の深谷市血洗島)の農家に生まれました。幼い頃から家業である藍玉の製造・販売、養蚕を手伝い、父市郎右衛門からは学問の手ほどきも受けます。7歳頃からは、隣村に住む従兄の尾高惇忠のもとへ通い、「論語」など四書五経を学びました。
文久3(1863)年、幕府の階級制度や一連の外交施策に不満を募らせた栄一らは尊王攘夷思想の影響を受け、高崎城乗っ取り・横浜外国人商館焼き討ちを企てます(計画は直前で断念)。幕府からの追手を避けるために故郷を出た栄一は、かねてから知遇を得ていた家臣の勧めにより一橋家に仕える機会に恵まれ、財政の改善などに手腕を発揮し、次第にその力を認められていきました。やがて、徳川慶喜の弟・昭武の欧州視察の随行員に抜擢されて渡欧すると、先進的な技術や産業を見聞し、近代的な社会制度を知った事が、その後の栄一の人生に大きな影響を与えました。
欧州から帰国した栄一は、蟄居した慶喜のいる静岡で、商法会所をつくって地域振興に取り組んでいましたが、明治政府に招かれ、新しい国づくりに関わりました。その中の一つには、世界遺産となっている富岡製糸場の設立があります。明治6(1873)年に官僚を辞めた後は、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の総監役(のちに頭取)となり、民間人として経済による近代的な国づくりを目指しました。栄一は、銀行を拠点に企業の創設・育成に力を入れて生涯に約500もの企業に関わり、約600の社会公共事業・教育機関の支援や民間外交に尽力しました。
儲けのみを求めるのではなく、世のため人のために働いて儲ける、つまり公共の利益を追求することで、皆が幸せになり、ひいては国が豊かになると考え、実践した栄一は、多くの人に惜しまれながら昭和6(1931)年11月11日、91歳の生涯を閉じました。
出典 渋沢栄一記念館公式サイト
誠之堂
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誠之堂の特徴
誠之堂の歴史
誠之堂は、大正5年(1916)、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築されました。
渋沢栄一は、深谷市に生まれ、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、日本の近代経済社会の基礎を築きました。その拠点としたのが第一国立銀行でしたが、明治29年、同行は第一銀行となり、栄一は、その初代頭取を務めました。
栄一は、喜寿を迎えるのを機に、第一銀行頭取を辞任しましたが、同行の行員たちが出資を募って誠之堂を建築したことには、栄一が行員たちから深く敬愛されていたことが伺われます。
平成15年5月30日、国の重要文化財に指定されました。
「誠之堂」の名前の由来「誠之堂」の名は、渋沢栄一自身により命名されました。
儒教の代表的な経典のひとつ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」にちなんだものです。
建物の概要煉瓦造平屋建、建築面積112平方メートル。外観は英国農家に範をとりながらも、室内外の装飾に、中国、朝鮮、日本など東洋的な意匠を取り入れるなど、様々な要素が盛り込まれ、それらがバランスよくまとめられています。
設計者は、当時の建築界の第一人者であった田辺淳吉です。
誠之堂の設計発注に当たって、次の条件が出されました。
西洋風の田舎屋
田舎の家らしく
建坪は、30坪前後
小集会に適する程度の設備田辺は、この条件を守りつつ、独自の発想を凝縮してこの建物を造り上げました。
出典 深谷市公式サイト
所在地:埼玉県深谷市起会111-3
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清風亭
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清風亭の特徴
清風亭の歴史
清風亭は、大正15年(1926)に、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、清和園内に誠之堂と並べて建てられました。
建築資金は、誠之堂と同じくすべて第一銀行行員たちの出資によるものでした。
栄一が「謙徳に富んだかた」と評した佐々木は、当初、自身の古希を記念する建物の建設を辞退しようとしたそうです。目立つことを好まない質実な性格をしのばせる逸話ですが、そうした佐々木も栄一と同じく行員たちから強く慕われていたことが伺われます。
平成16年3月23日、埼玉県指定有形文化財に指定されました。
「清風亭」の名前清風亭は、当初、佐々木の雅号をとって「茗香記念館」等と呼ばれていましたが、後に「清風亭」と呼ばれるようになりました。
設計時点の資料が残されていますが、これには「清和園記念館」のほか「清風亭」という名称がすでに見られることから、この名称は、設計当初において考えられていたものと考えられます。
建物の概要建築面積168平方メートルで、鉄筋コンクリート造平屋建。
外壁は、人造石掻落し仕上げの白壁で、対称的に黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントをつけています。
設計者は、銀行建築の第一人者の西村好時です。
屋根のスパニッシュ瓦、ベランダの5連アーチ、出窓のステンドグラスや円柱装飾など、西村自身が「南欧田園趣味」と記述している当時流行していたスペイン風の様式が採られています。
大正12年の関東大震災を契機に、日本の洋建築の構造は、煉瓦造から鉄筋コンクリート造へと主流が代わりましたが、清風亭は鉄筋コンクリート造の初期の建築物としても建築史上貴重なものといえます。
佐々木勇之助について
佐々木勇之助(1854-1937)は、若干28歳での第一国立銀行本店支配人就任をはじめとして、同行の数々の役員を歴任し、大正5年、栄一を継いで第一銀行第2代頭取に就任しました。
勤勉精励、謹厳方正な性格で知られ、栄一も深く信頼していました。明治39年に、「取締役総支配人」に就任しますが、これは、栄一が佐々木に第一銀行の業務を一任するために特別に設けた役職であり、二人の絆の強さが伺われます。
佐々木自身も財界の重鎮として活躍しましたが、終始、渋沢栄一を補佐しました。渋沢栄一の多方面にわたる精力的な活躍も、佐々木の手腕と人格によるところが大きかったと考えられています。
出典 深谷市公式サイト
所在地:埼玉県深谷市起会110番地-1
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鐘撞堂山ふるさとの森
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鐘撞堂山ふるさとの森の特徴
「鐘撞堂山(かねつきどうやま)ふるさとの森」は、春に山桜をはじめ、四季折々の草花が楽しめます。また、鐘撞堂山(標高330メートル)へのハイキングルートが、北コース、西コース、南コースと3ルートあり、いずれも40分から1時間で登れ手軽に自然を満喫出来ます。
出典 深谷市公式サイト
所在地:埼玉県深谷市武蔵野
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幡羅遺跡
深谷城址公園
畠山重忠公史跡公園
アクアパラダイス パティオ
深谷花園プレミアムアウトレット
上野台ダイアパレスビッグウィングの夜景
岡部六弥太忠澄(岡部忠澄)の墓
二層楼
人見館跡
旧北根代官所
桜ヶ丘組石遺跡
鹿島古墳群
中宿古代倉庫群跡
ブリッジパーク
旧日本煉瓦製造(ホフマン窯)
白鳥渡来地
岡部陣屋
花園フォレスト
深谷市について
深谷市PR動画
深谷市の地勢、交通
平成18年1月1日、深谷市、岡部町、川本町、花園町がひとつになり誕生した新「深谷市」は、埼玉県北西部に位置し東京都心から70キロメートル圏にあり、東は熊谷市に、南は嵐山町、寄居町に、西は美里町、本庄市に、北は群馬県の伊勢崎市、太田市に接しています。
また、北部は利根川水系の低地で、南部は秩父山地から流れ出た荒川が扇状台地を形成する平坦な地形となっています。
交通の面では、関越自動車道、国道17号線・同深谷バイパス・上武国道、国道140号線・同バイパス、国道254号線などがあり、広域間の基幹的役割を果たす道路として機能しています。また、地域の玄関口として関越自動車道花園インターチェンジが設置されているほか、嵐山小川、本庄児玉のインターチェンジに近接しています。また、鉄道はJR高崎線、秩父鉄道の2路線において駅を有するとともに、上越新幹線およびJR八高線が通過し、上越新幹線本庄早稲田駅にも近接していることから、東京都心方面、上信越方面、秩父方面への交通の要衝となっています。
出典 深谷市公式サイト
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深谷市出身、ゆかりの有名人
出身著名人
山内叶登(落語家)
畠山重忠(鎌倉時代の有力御家人)
岡部忠澄 (別名 岡部六弥太忠澄 鎌倉時代御家人 平家物語に登場)
桃井可堂(儒学者、倒幕運動家)
尾高惇忠(実業家)
尾高次郎(実業家)
渋沢栄一(実業家)
渋沢成一郎(実業家)
土屋嘉雄(ベイシアグループの創業者)
土屋哲雄(嘉雄の甥。ワークマン専務)
藤田貞資(和算家)
武井保雄(武富士の創業者)
鳥羽博道(ドトールコーヒーの創業者)
中林美恵子(政治学者、博士、教授、日本初で唯一のアメリカ合衆国議会公務員)
尾高ゆう(伝習工女)
北川千代(児童文学作家)
生沢クノ(医師。日本では2人目となる女医)
古今亭志ん丸(落語家)
岩﨑哲也(元プロ野球選手。投手)
清水達也(プロ野球選手。中日ドラゴンズ投手)
茂木力也(プロサッカー選手)
野口源三郎(陸上競技選手、体育学者、埼玉県初のオリンピック選手)
遠藤里沙(元文化放送アナウンサー)
バード238(お笑い芸人)
美村里江(女優。旧芸名「ミムラ」)
持田悠生(俳優)
ゴルゴ松本(タレント、TIMメンバー)
藤原敬典(格闘家)
入江悠(映画監督)
都賀清司(大正から昭和初期にかけての俳優)
伊井圭(小説家)
村岡桃佳(チェアスキー選手)
滝澤悠希(岩手めんこいテレビアナウンサー)
賽 a.k.a. BADSAIKUSH(ラッパー)
岡田夢以(タレント、声優、女優、元アイドル転校少女*)リーダー
丸山浩紀(プロサーファー)
川上葉月(フルート奏者)
出典 ウィキペディア
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三芳町
毛呂山町
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